(赤ちゃんっていうのは……)
大人には見えないものが見えるらしいよね、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、お風呂上がりに。
パジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
何故、突然に「赤ちゃん」と思い付いたのか。
その辺の所は、自分でもよく分からない。
(今日は赤ちゃん、出会ってないけど…)
学校の行き帰りに乗るバスの中でも、歩く道でも、赤ん坊連れは見かけていない。
けれどヒョッコリ頭に浮かんで、そちらに向く思考。
(…確かに見えているのかもね?)
そう見えることがあるんだもの、と小さいながらも経験は幾つも。
誰もいない方に笑顔を向ける子だとか、手を振る子とか。
きっとああいう赤ん坊には、「見えない何か」が見えているのだろう。
(……大人じゃなくても見えないんだけど……)
ぼくにはサッパリ、と苦笑する。
ハーレイには「チビ」と言われるけれども、そういう面では「大人だよね」と。
赤ん坊には見えているものが、まるで全く見えないのだから。
(だけどハーレイには、言うだけ無駄で…)
相手にしてなど貰えないことは、尋ねる前から分かっている。
「ぼく、大人だと思うんだけど」と言おうものなら、フフンと鼻で笑われて。
「今度は、どんな悪事を思い付いたんだ?」と鳶色の瞳で覗き込まれて。
どう頑張っても、チビには間違いないのだから。
赤ん坊ではないというだけで、十四歳にしかならない子供。
ハーレイからすれば立派に子供で、取り合うだけの価値さえも無い。
「大人なんだよ」と言い張ってみても。
根拠はこれだと頑張ってみても、「そりゃ良かったな」と流されるだけ。
「赤ん坊から見れば、大人だろうさ」と。
「それを言うなら、幼稚園児だって大人だよなあ?」などと。
(……うーん……)
分からず屋のことは放っておこう、と赤ん坊の方に頭を切り替えた。
言葉も話せない赤ん坊の目には、どんな世界が見えるのだろう。
大人には見えないものたちで満ちて、キラキラと輝いているのだろうか。
(風の精とか、お花の妖精だとか…)
そういった者たちが飛び交う世界で、赤ん坊の興味を惹くものが一杯。
大人の目には「風が吹き抜けただけ」でも、風の精が踊りながら駆けてゆくとか。
あるいは風の精霊の王が、お供を従えて行列だとか。
(…素敵だよね…)
自分が赤ん坊だった頃には、きっと彼らが見えたのだろう。
両親からは何も聞いていないし、自分でも覚えていないけれども。
精霊や妖精は本の中にいて、挿絵に描かれるだけだけれども。
(……そうなってくると……)
もしかしたら、と思い出した、さっきの分からず屋のこと。
「放っておこう」と頭の中から追い出したけれど、二十四歳も年上の恋人。
前の生から愛したハーレイ、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
(…ぼく、ハーレイとは、赤ちゃんの時に…)
会っていたかもしれないんだっけ、とハーレイから前に聞いた話が頭に蘇る。
チビの自分が生まれた病院、そこを退院して、初めて外の世界に出た日。
四月の初めだったけれども、寒の戻りで季節外れの白い雪が舞っていたという。
赤ん坊の自分が寒くないよう、母がストールで包んでくれた。
そして同じ日、ハーレイは同じ病院の前で、退院してゆく赤ん坊を見た。
暖かそうなストールにくるまれ、母親の腕に抱かれた赤ん坊を。
(それって、きっとぼくだったんだよ)
そうに違いない、と二人揃って結論付けた。
もっとも、証拠は無いのだけれど。
ハーレイはストールの色を全く覚えていなくて、赤ん坊の顔も見ていない。
もしも見たなら、忘れたりする筈がないから。
赤ん坊の目が開いていたなら、その目は鮮やかな赤なのだから。
そうして「出会えなかった」あの日に、赤ん坊の自分は「見た」かもしれない。
ジョギング中だった、とても大切な人を。
前の生から愛し続けて、また巡り会えた愛おしい人を。
(…赤ちゃんには、いろんなものが見えるんだとしたら…)
空から舞い降りてくる雪の妖精、それが耳元に囁いたろうか。
「あっちを御覧」と、ハーレイの方を指し示して。
雪の中を元気に走っている人、その人が「今のハーレイ」なのだと。
(そうだったかも…)
赤ん坊の自分は、懸命にそちらを見たかもしれない。
ストールが邪魔をして、よく見えなくても。
「あれがハーレイだ」と分かった時には、後ろ姿になっていたって。
(……きっと、とっても嬉しかったよね……)
ハーレイには声も掛けて貰えず、気付かれもせずに終わっても。
ただタッタッと駆けてゆくだけの、若き青年だったとしても。
(ちゃんとハーレイもいるんだよ、って…)
安心して眠りに就いたのだろうか、赤ん坊だった幼い自分は。
ハーレイも同じ世界にいるなら、いつかは必ず会えるのだから。
(…それとも、雪の妖精じゃなくて…)
もっと他のもの、違う誰かが「ハーレイ」を教えに来てくれたろうか。
かつて生命を持っていた者、いわゆる幽霊、あるいは魂。
遠く遥かな時の彼方で、白い箱舟にいた仲間たち。
彼らの内の誰かが出て来て、「ハーレイだよ」と指差して。
なにしろ宇宙はとても広くて、船の仲間たちが「いつも必ず」生きているとは限らない。
生まれ変わりを待つ途中だったら、暇だろうから。
雲の上から下界を見下ろし、ハーレイにも、「赤ん坊のブルー」にも気付いて。
「今は、ああいう人生なのか」と見守っていて。
(……ひょっとして、ゼル?)
あるいはヒルマン、ブラウやエラ。
とても懐かしい昔馴染みが、病院の表に立っていたろうか。
ストールにくるまれた赤ん坊を囲んで、「じきにハーレイが走って来るよ」と。
あちらの方からやって来るのだと、服の色まで教えてくれて。
(…「感動的な再会だねえ」って…)
ブラウあたりは言いそうだけれど、赤ん坊の自分は、きっと複雑。
ハーレイに会えるのは嬉しくっても、その「ハーレイ」のことが問題。
(…ブラウも、ゼルやヒルマンも…)
もちろんエラも全く知らない、前の自分の恋物語。
白いシャングリラで「ソルジャー・ブルー」は恋をしていた。
恋のお相手は「キャプテン・ハーレイ」、どちらも船の頂点に立つ者。
だから誰にも明かすことなく、恋をしたことを隠し続けた。
その生涯を終えるまで。
前の自分がメギドで命を失った後も、ハーレイは秘密を抱いたまま。
恋人を失い、生ける屍のようになっても、それさえも伏せて。
航宙日誌にも何も書かずに、地球の地の底で命尽きるまで、たった一人で抱え続けて。
(……感動の再会には違いないけど……)
それはブラウやゼルたちが思う「感動」の形とは、まるで異なる。
彼らは「親友同士の再会」だと信じているのだから。
年こそ離れていたのだけれども、親友だった前の自分とハーレイ。
お互いに恋をするまでは。
互いを大切に思う気持ちが恋だと気付いて、それを確かめ合うまでは。
(誰も、なんにも知らないんだから…)
ゼルやブラウの魂が見えて、彼らが教えてくれたとしても…。
「ハーレイが来るよ」と言ってくれても、とても素直には喜べない。
胸はドキドキ高鳴っていても、「恋人だった」ことは秘密だから。
迂闊に反応を示したならば、何もかもバレてしまうのだから。
(……バレちゃったとしても……)
今ならば、何も困らない。
白いシャングリラは地球まで行ったし、あれから長い時が流れた。
人間は全てミュウになった世界、SD体制もとうに倒された後。
だからバレてもいいのだけれども、赤ん坊の自分はためらいそう。
なにしろ、赤ん坊だから。
いくら「大人には見えないもの」が見えても、「自分が誰か」を覚えていても。
ゼルたちが「ハーレイだよ」と教えてくれるのだったら、前の自分の記憶はある。
育つ間に忘れただけで、前の生の記憶をまだ持っていて。
(……ハーレイのことも忘れていなくて……)
会えると聞いたら、本当に飛び跳ねたいほどに嬉しい。
生まれて間もない赤ん坊では、そんなことなど出来ないけれど。
せいぜい「キャッキャッ」と笑うだけでも、そうしたいほどに嬉しいだろう。
けれども、やっぱり明かせない「秘密」。
明かしても誰も困らなくても、自分自身が恥ずかしすぎて。
ゼルやブラウに周りを囲まれ、祝福されたらどうしよう、などと。
(…絶対、そうなっちゃうんだよ…)
恋人同士の再会なのだ、とバレたなら。
時の彼方では隠し続けた、恋人同士の大切な絆。
そのことさえも、今となっては「格好の話の種」でしかない。
ブラウたちが揃って賑やかに笑い、赤ん坊の自分の肩を叩いて、祝福をくれることだろう。
「長い間、ご苦労さんだったね」と。
「もう障害は何も無いから、今度は、うんと幸せになりな」と。
そう、雪の中をジョギングしているハーレイと。
今のハーレイの記憶が戻れば、恋人同士になれるから。
誰にも邪魔をされることのない、幸せな恋路。
それが二人を待っているから、「お幸せに」と、口々に言って。
(……言えないってば……!)
そんな恥ずかしいこと、と頬っぺたがカッと熱くなる。
鏡で見たなら、トマトみたいに真っ赤な顔に違いない。
赤ん坊の頃の自分は、きっと頬っぺたを染める代わりに…。
(……知らないよ、って……)
狸寝入りを決め込んだよね、と零れた笑み。
ゼルやブラウが周りにいたなら、「ぼくは眠い」と大嘘をついて。
もしもあの時、彼らの姿が見える赤ん坊だったなら。
大人には見えないものが見られて、ゼルたちも見えていたならば。
何故ならば、とても恥ずかしいから。
ハーレイと恋人同士だったことがバレたら、赤ん坊でも、本当に恥ずかしすぎるのだから…。
赤ん坊だったなら・了
※大人には見えないものが見えるというのが赤ん坊。ブルー君にも、赤ん坊だった時代が。
その頃にハーレイと会っていたなら、ゼルたちが教えてくれたのかも、というお話v