(赤ん坊ってヤツは……)
大人の目には見えないものが見えるらしいよな、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それをお供に寛いでいて。
(あの子には、何が見えてたんだか…)
仕事帰りに車で行った、家の近くの食料品店。
其処で出会った、母の腕に抱かれた赤ん坊。
若い夫婦が子連れで来ていて、父親が食料品を入れたカートを押していた。
妻が「これを」と注文する品を、せっせとカートに追加しながら。
赤ん坊は起きていたのだけれども、突然、笑顔で手を伸ばした。
野菜が積まれた棚に向かって。
棚には何もいないというのに、まるで何かがいるかのように。
(これが外なら、まだ分かるんだが…)
公園などで起きたことなら、気を引く「何か」を見付けたと分かる。
風で動いた木の葉っぱだとか、急に光が差した場所とか。
(……しかしだな……)
場所は食料品店だったし、そんな「何か」があるわけもない。
レジとか、他の買い物客がいたならともかく、食料品の棚などには。
それも野菜がズラリと並んだ、何の変哲もない所には。
(……だが……)
あの子は楽しそうだったんだ、と赤ん坊の姿が脳裏に蘇る。
キャッキャッと可愛い声ではしゃいで、野菜の棚に手を振っていた。
とても小さい、紅葉の葉っぱのような手を。
棚に並んだ野菜を持つには、まだまだ小さすぎる手を。
(お母さんは、「ジャガイモがいい?」とか訊いていたがな…)
我が子の気を引いた野菜はどれかと、指差し合っていた両親。
出来ればそれを買って帰ろうと、笑み交わして。
赤ん坊でも食べられるメニューは、何があるかと挙げてゆきながら。
離乳食なら、食べられそうだった赤ん坊。
とっくに眠っているだろうけれど、夕食は何を食べたのだろう。
食料品店で買ったばかりの野菜を使った、母親が作る離乳食。
あるいは父が作っただろうか、「たまには腕を奮ってみるか」と。
(離乳食ってヤツも、けっこう奥が…)
深いらしいし、と知識だけはある。
大人の食事とは違うけれども、凝る人は、とことん凝るらしい。
色々な素材を裏漉ししたり、ミキサーにかけてドロドロにしたり。
そこから更に手間ひまかけて、プリンみたいに仕上げてみたり、と。
(…あの子も、美味いの、食ったんだろうなあ…)
大満足で寝てるんだろう、と微笑ましい。
野菜の棚に手を振るくらいの幼さだけども、家では、きっと立派な王様。
誰よりも大切にかしずいて貰って、居場所は小さなベッドの玉座。
お風呂も食事も両親の手を借り、何不自由のない暮らしをして。
(召使いは、もっといるかもな?)
祖父母も同じ家にいるなら、召使いは二人増えるだろう。
王様のお世話が好きでたまらない、甘くて優しい人たちが。
(はてさて、王様は誰に手を振っていたんだか…)
野菜の棚には、召使いなんかいないんだがな、と考えなくても分かること。
顔見知りの大人も子供もいなくて、もちろん可愛い動物もいない。
(ジャガイモも、タマネギも、ニンジンもだ…)
ピクリとも動くわけがないから、野菜に手を振る理由など無い。
それなのに、懸命に手を振っていた。
あの子供にしか見えない「何か」に向かって、嬉しげに。
まるで野菜と遊ぶかのように、精一杯に小さな手を伸ばして。
(…野菜の妖精が座っていたかな…)
だったら分かる、と一人で頷く。
よく耳にするのが「赤ん坊には、大人には見えないものが見える」という話。
実際、そうだと思える場面は幾つもあったし、今日の出来事もその一つ。
野菜ばかりが並んだ棚には、きっと「何か」がいたのだろう。
畑からトラックに乗って旅をして来た、ジャガイモやタマネギなどの妖精。
それとも畑に生えていた草から、花の妖精でもくっついて…。
(食料品店まで来ちまったかもなあ、好奇心ってヤツで一杯で)
妖精だったら、公園などの方がお似合いなのに、食料品店の棚に腰を下ろして。
自分に気付く人はいるかと、茶目っ気たっぷりに足をブラブラさせて。
(そいつは大いにありそうだぞ)
何の妖精だったんだろう、と自分まで気になってくる。
大人の目では見られないから、分からない分、余計に見たい。
赤ん坊と同じ視点で世界が見えたら、どれほど楽しいことだろう。
妖精がいたり、他にも素敵なものが沢山。
(切り替えられればいいのにな?)
サイオンっていう便利なものがあるんだから、と考えた。
精神の力がサイオンなのだし、心と密接に繋がった力。
無垢な子供の瞳で見たい、と念じたらパッと切り替わるとか、と。
(そうすりゃ、俺にも野菜の妖精が…)
見えるんだがな、と顎に手を当て、ふと気付いたのが「過去」のこと。
遠く遥かな時の彼方で、「キャプテン・ハーレイ」と呼ばれた時代。
(……あの頃の俺は、赤ん坊どころか……)
子供時代の記憶を全て失くして、養父母の名前さえも覚えていなかった。
成人検査という名のシステム、それに「サイオン」を忌み嫌う機械。
それらがズタズタに踏み躙ったのが、前の自分の人生だった。
負けずに強く生きたけれども、失った記憶は戻らないまま。
そうして恋人のブルーも失くして、長い長い時を一人きりで生きて…。
(……地球に来たんだ)
死の星だった地球の地の底で息絶え、それから遥かな時を飛び越えて、青い地球まで。
(…今の俺は、どうだったんだろう?)
赤ん坊だった頃の俺ってヤツは…、と傾げる首。
「大人には見えないものが見える」のなら、やはり妖精が見えただろうか。
隣町に住む両親からは、特に聞いてはいないけれども。
(見えてたのかもしれないなあ…)
すっかり忘れちまったんだが、と残念な気持ち。
時の彼方で生きた自分も、幼い頃には「見た」のだろうか。
SD体制が如何に酷くとも、「大人の目には見えないものたち」までは消せない。
あんな時代でも、妖精たちは何処かで生きていたかもしれない。
普段はひっそりと息をひそめて、幼い子供に出会った時だけ、生き生きとして。
(そう考えてみりゃ、赤ん坊の頃には、誰だって、ミュウ…)
たとえ生粋の人類だろうと、「目には見えないものたち」が見えているのなら。
成長したら見えなくなろうと、立派に備わっていた能力。
それを失わずに大きくなったら、ミュウへと変化したのだろうか。
方向性は違うけれども、サイオンという形になって。
野菜の妖精たちの代わりに、人の心が見える生き物に進化していって。
(……どうなんだかな?)
その辺の研究はしてるんだろうか、と思うけれども、それは自分の管轄外。
専門分野がまるで違うし、調べようにも手掛かりもゼロ。
(まあ、いいが…。それよりも赤ん坊の視点ってヤツが…)
ちょいと欲しいな、と見たくなるのが、野菜の妖精たちがいる世界。
赤ん坊の頃に戻れるものなら、少し戻ってみたい気もする。
(ほんの半日くらいなら…)
あの時代ってヤツに戻ってもいいな、と隣町の家を頭に描く。
庭に植えられた夏ミカンの木は、森のように見えることだろう。
大人の目にも立派な木だから、赤ん坊の目には、きっと森。
其処から妖精が覗くのだろうか、黄色いミカンに腰を下ろして。
あるいは枝からヒョイとぶら下がって、空中ブランコみたいに飛んだり。
それも愉快だ、と「赤ん坊なら…」と広がる夢。
夏ミカンの木の妖精に手を振り、他にも色々なものたちが見える。
空を飛んでゆく風の精とか、ひょっとしたら、お菓子の妖精だって。
(妖精の他にも、見えるのかもな?)
不意に心を掠めていった、とても懐かしい人の面影。
今は小さな子供の姿の、前の自分が愛した人。
(……ソルジャー・ブルー……)
もしかしたら、彼もいたのだろうか。
赤ん坊だった頃の自分が、無邪気に眺めていた世界に。
前の生の記憶は戻っていなくて、それが誰かも知らないままに。
(…あいつは、俺よりずっと年下…)
二十四歳も年下なのが、小さなブルー。
ならば充分、有り得ること。
生まれ変わって来る前のブルーが、ゆりかごを覗き込んでいたとか。
肩に妖精たちを止まらせ、庭に微笑んで立っていたとか。
(……おふくろたちに訊いたところで……)
きっと手掛かりは無いんだろうな、と思うけれども、そうだったろうか。
心から愛した人とも知らずに、前のブルーに手を振ったろうか。
「とても優しい人なんだよ」と、無垢な心で思い込んで。
ブルーは少し寂しいだろうに、そんな気持ちを知りもしないで。
(…赤ん坊なら、許されるんだろうが…)
やっちまっていたならすまん、と心の中でブルーに詫びる。
生まれ変わった小さなブルーは、きっと忘れているだろうけれど。
思い出しても、笑って許してくれそうだけれど、やっぱり少し悲しいから。
赤ん坊なら仕方なくても、愛おしい人に気付かなかったこと。
ブルーがあやしてくれていたって、「いい人」としか思わなかったろうから。
誰よりも大切だった人だというのに、妖精たちの仲間扱いしたのだから…。
赤ん坊なら・了
※ハーレイ先生が考えたこと。赤ん坊だった時代に、前のブルーに出会ったかも、と。
本当は出会っていないんですけど、生まれ変わる前の記憶が無いから、知りようがないですv
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