(駆け落ちなあ…)
そういうモンもあったんだよな、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎でコーヒー片手に。
それは遠い昔にあったこと。
人間が地球しか知らなかった頃、洋の東西を問わずに存在した。
親が結婚を許してくれない、気の毒な恋人たちの間で。
手に手を取って故郷を逃げ出し、幸せに暮らせる場所へ行こうと。
(…ロミオとジュリエットも、計画が成功していたら…)
駆け落ちになっていた筈なんだ、と今も名高い悲劇を思う。
不幸な行き違いが起こらなかったら、二人は何処かの村へでも逃げて…。
(身分なんかは忘れちまって、穏やかに…)
畑を耕し、羊でも飼って、その土地の人になったのだろう。
そうする内に子供や孫も生まれて、二人で齢を重ねていって。
(あれは失敗しちまったんだが…)
後の時代のイギリスにあった、とても有名な駆け落ち婚。
十九世紀の半ば頃まで、恋人たちを救った手段。
(イングランドとスコットランドじゃ、法律が違ったモンだから…)
とても厳格なイングランドでは、結婚を許されない恋人たちが逃げ出した。
国境を越えてスコットランドに入りさえすれば、簡単に結婚できたから。
誰でもいいから、証人を二人。
結婚の条件は、たったそれだけ。
だから二人で国境を越えて、国境から一番近いグレトナ・グリーンという町で…。
(証人を探して、結婚式を挙げて…)
既成事実を作ってしまって、それからイングランドに戻った。
もう諦めるしかない親たちの許へ、ちゃっかりと。
生まれてくる子が、イングランドでも正当な権利を得られるように。
イングランドの教会で二度目の結婚式を挙げ、正式なカップルと認められるように。
駆け落ちにしては、いささか悲劇性に欠ける「それ」。
二人にとっては切実だろうと、「戻って二度目の結婚式」というのが頂けない。
(結婚も、それで得られる権利も、貰おうってのが…)
どうも現実的すぎるんだ、と思うのは古典の教師なせいなのだろうか。
同じ駆け落ちなら、もっとロマンチックな方がいい。
もっとも、当時のイングランドでは、「グレトナ・グリーン」と言ったなら…。
(駆け落ち婚で、ロマンチックで…)
女性の憧れだったと言うから、単なる文化の違いだろうか。
小さな島国、日本の文化を受け継ぐ地域では「ちょっと違う」と思えるだけで。
イギリスを名乗っている地域ならば、今の時代でも、充分に…。
(ロマンチックで通るのかもなあ…)
生憎と、其処の生まれじゃないが、と顎に当てた手。
今の自分は生まれも育ちも、遠い昔に「日本」があった辺りの地域。
日本の文化を復興させている場所だから、考え方の方も自然と…。
(……日本人寄りになるってことは……)
職業が古典の教師でなくても、有り得るだろう。
ついでに遥か昔の日本で、駆け落ちするとなったなら…。
(心中覚悟の道行きってのも…)
定番だったし、「心中もの」の歌舞伎や浄瑠璃がもてはやされた。
叶わぬ仲の恋を貫き、死を選ぶしかない恋人たち。
(ロミオとジュリエットみたいに、駆け落ちに失敗したんじゃなくて…)
最初から来世を目指して駆け落ち、それが昔の日本人の好み。
生き延びることなど、二人とも最初から考えていない。
(日本人だと、ロマンチックだと思うのは…)
そちらの方が伝統だったし、そういう文化を継いだ地域で育ったら…。
(駆け落ちした後に、ちゃっかり戻って来るというのは…)
何か違うぞ、という気がする。
もっとも古典の教師でなければ、「どちらでもいい」かもしれないけれど。
今では世界は「うんと広くて」、もう地球だけではないのだから。
(……その駆け落ちも、今じゃ死語だな……)
人間が全てミュウになった今の時代は、そう簡単には人間関係はこじれない。
昔のように意固地で頑固な親はいなくて、喧嘩したって分かり合える。
思念波を使えば、互いの気持ちを「間違いなく伝えられる」から。
行き違いがあって大喧嘩しても、原因を取り除くことは容易い。
(お互い、譲り合いさえすれば…)
相手の気持ちが分かるわけだし、駆け落ちに走るまでもない。
「それくらいなら…」と何処かでお許しが出て、結婚式に漕ぎ付けるから。
宇宙船で遠くに逃げ出さなくても、恋の道は叶うものだから。
(……俺とブルーにしたって、だ……)
結婚までのハードルはとても高そうだけれど、駆け落ちはせずに済むだろう。
ブルーの両親が反対したって、きっと最後は許す筈。
大切な一人息子なのだし、駆け落ちされて「いなくなったら」悲しいから。
ブルーが何処に逃げて行ったか、それさえ分からないことになったら、辛すぎるから。
(…まあ、実際に駆け落ちしたって…)
本当の所は、行き先を掴むことは容易で、不可能ではない。
宇宙船に乗るには、それなりの手続きが必要だから。
まるで全く偽の名前で、遥か遠くまで逃げるというのは、まず出来ない。
(…密航するなら別だがな…)
しかし密航なんてあるんだろうか、という気もする。
犯罪の一つも起こらない、今の平和な世界。
宇宙船で密航しようとしたなら、とても気のいい船長が…。
(どうしたんです、と事情を聞きに来てくれて…)
たとえお金が無かったとしても、正規の切符を出してくれそう。
ましてや「駆け落ちする」となったら、行き先までの手配はもちろんのこと…。
(其処で暮らすのに必要なものを、一切合切…)
全て揃えてくれそうな感じ。
乗組員や乗客に事情を話して、船の中で募金活動をして。
落ち着き先になるだろう場所へも、航行中から連絡を取って。
(…グレトナ・グリーンを笑えないなあ…)
何の不自由も無い駆け落ちなんて、と思うけれども、今の時代はそうなるだろう。
ついでに「結婚を許さなかった親」の方にも、誰かから連絡が行く。
「お話したいことがあります」と、仲を取り持とうという親切な人から。
宇宙船の乗客の誰かか、あるいは落ち着いた先の星の住人か。
(…船の船長でも、時間が取れれば…)
自ら地球に行きそうではある。
船で面倒を見た駆け落ちカップル、彼らを幸せにしてやりたくて。
逃げ出して来た故郷の星へ、もう一度、二人で戻れるように。
(俺がキャプテンなら、そうするなあ…)
無理やり休暇を捻り出しても…、と考えて、ふと気が付いた。
前の自分はキャプテン・ハーレイ、正真正銘、船の船長。
ミュウの箱舟では、駆け落ちしたいカップルなど乗って来ないけれども…。
(誰かが恋で難儀していりゃ、きっと助けたぞ)
そうでなくっちゃキャプテンと言えん、と大きく頷く。
船の仲間の面倒を見るのも、キャプテンの役目だったから。
白いシャングリラで不自由しないで、幸せに生きてゆけるようにと。
(しかし、あの船に駆け落ちが必要なカップルは…)
誰一人としていなかったんだが…、と順に数えてゆく恋人たち。
皆、あの船で、ささやかな式を挙げられた。
ウェディングドレスも、結婚指輪も無かったけれど。
結婚披露のパーティーくらいが、精一杯の船だったけれど。
(よしよしよし…)
それでも幸せでいてくれればな、と思ったけれど。
誰も困っていなかったんだ、と自信に溢れていたのだけれど…。
(……前の俺と、ブルー……)
忘れていたぞ、と飲み込んだ息。
前の自分たちこそ、誰にも言えない「秘密のカップル」だったから。
結婚式を挙げるどころか、恋人同士だとさえ明かせないままの。
(駆け落ちするなら、前の俺たちだったのか…?)
今のブルーと俺じゃなくて、と愕然とした。
そんなことなど、一度も考えさえもしないで、時の彼方で生きたのだけれど。
キャプテン・ハーレイだった前の自分はもちろん、ブルーの方もそうだったろう。
(ソルジャーが駆け落ちしちまったら…)
ミュウという種族は導き手を失い、未来さえをも失った筈。
どのように生きてゆけばいいのか、それを指し示す者がいなくて。
おまけに「キャプテン・ハーレイ」も、いなくなった船。
白いシャングリラは、宇宙の藻屑と消えただろう。
船の舵を握るキャプテンはおらず、人類軍の船に発見されても、どうしようもない。
逃げる手段が分からない上、船を守れるソルジャーのサイオンも無いのでは。
いくらゼルたちが努力したって、限界というものはあるのだから。
(……それでも、駆け落ちしていたら……)
二人きりで生きてゆけただろうか。
遠く離れた辺境の星で、前のブルーと、ひっそりと。
人類のふりをし、社会から零れ落ちた者に混じって、機械の目の届かない場所で。
(…考えたことも無かったが…)
そうして二人で生きてゆけたら、どれほど幸せだったろう。
たとえ海賊になっていたって、誰にも隠さずに済む恋人同士。
前のブルーと愛し、愛され、満ち足りた生を送れたと思う。
ただし、その後は知らないけれど。
こうして地球に生まれられたか、その後のことは謎なのだけれど。
(…だが、それはそれで…)
良かったかもな、と思わないでもない。
駆け落ちというのは、本来、そうしたものだから。
何もかも、ちゃっかり手に入れるなどは、きっと邪道というものだから。
(俺が駆け落ちするのなら…)
前のあいつだ、と浮かべた笑み。
出来はしなかったことだけれども、だからこそロマンチックな選択。
手に手を取って船を捨てるのも、ミュウの未来など知ったことかと逃げてゆくのも…。
駆け落ちするなら・了
※ハーレイ先生の頭に浮かんだ「駆け落ち」という言葉。今の時代は死語なのですが…。
前のブルーとハーレイの場合は、それに相応しかったかも。その道は決して選べなくても…。
- <<駆け落ちするんなら
- | HOME |
- 禁止してやる>>