(……旅行かあ……)
次に行けるのはいつなんだろう、と小さなブルーが思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
ふと思い付いた「旅」という言葉。
他所の土地へと出掛けてゆくこと。
生まれつき身体が弱いせいもあって、あまり旅行はしていない。
(夏休みの旅行は、忘れちゃってたし……)
ホントに綺麗に忘れちゃってた、と肩を竦めて舌を出す。
夏休みがあまりに楽しかったから、旅のことなど忘れていた。
今の学校に入学する前、父と約束していたのに。
「病気をしないで元気でいたなら、夏休みには旅をしよう」と。
初めての宇宙旅行の約束。
宇宙と言っても遠出ではなくて、ソル太陽系の外には出ない。
外へ行くどころか、火星までさえ行かない旅行。
宇宙から地球を眺めるだけの遊覧飛行で、行くのは衛星軌道まで。
(…月にも寄らずに、帰るんだけどね…)
それでも宇宙へ出るというだけで、自分にとっては大旅行。
宙港という場所を知ってはいても、其処から飛んだことは無いから。
空を飛んでゆく旅をする時は、地球の空を飛んだだけ。
離れた地域に住んでいる祖父や祖母の所を、訪ねてゆくために。
(…船の形からして、違うんだよね…)
宇宙船と、地球の空を飛んでゆく船とは。
だから楽しみに待っていたのが、もう過ぎ去った夏休み。
両親と一緒に宇宙へ行こうと、宇宙船から地球を見るのだ、と。
(…だけど、ハーレイと会っちゃって…)
毎日が楽しく過ぎてゆく内に、夏休みは終わってしまっていた。
旅の話さえ出て来ないまま、いつの間にやら。
初めての宇宙の旅をするには、体力は充分、あっただろうに。
惜しいことをした、と少しは思う。
宇宙船にも乗ってみたかったし、宇宙から地球を見てみたかった。
前の自分が焦がれ続けた夢の星だけに、父と約束した頃よりも、ずっと。
(……でも、パパとママに誘われてたら……)
自分はいったい、どうしただろう。
夏休みの前に、「約束していた旅行に行くか」と父が尋ねていたならば。
母も一緒に夕食の後で、旅のパンフレットが広げられたなら。
(……んーと……?)
青い地球と宇宙船が刷られた、それは魅力的なパンフレット。
きっと心が騒ぐけれども、旅に行くなら、この家は留守。
(…どんなに短くても、一泊二日で…)
家を空けるから、その間、自分は此処にはいない。
ハーレイが家を訪ねて来たって、カーテンの閉まった窓があるだけ。
いつもだったら、その窓から大きく手を振るのに。
夏休みの間は、毎朝のように「まだかな?」と外を見ていたのに。
(……旅行に行ったら、ハーレイに会えない……)
二人きりで過ごすお茶の時間も、昼食の時間も消えて無くなる。
なにしろ自分は此処にはいなくて、宇宙だから。
ハーレイと居場所が重ならないまま、衛星軌道を飛んでいるから。
(…それは困るよ…)
やっぱり地球よりハーレイだよね、と直ぐに出る答え。
両親に旅に誘われていたら、迷いもしないで…。
(…行かないよ、って…)
返していたのに違いない。
せっかくハーレイと会えたのだから、ゆっくり地球で過ごしたいと。
前の生の積もる話をしたいし、旅に出るより家の方が、と。
(…三百年以上もあるもんね…)
前の自分とハーレイの記憶。
どんなに話しても尽きはしなくて、次から次へと出てくるのだから。
ハーレイと地球で過ごすと言ったら、両親も納得しただろう。
恋人同士なのだとも知らず、疑いもせずに。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、今の時代も語り継がれる英雄たち。
そういう二人の生まれ変わりだけに、話も山ほどあるのだろう、と。
(…旅行の話は、きっと断っただろうけど…)
それは分かっているのだけれども、そういった旅をするチャンス。
いわゆる旅行に出掛ける機会は、いつになったら来るのだろうか。
夏休みの旅を逃したからには、その埋め合わせに…。
(…春休みとか…?)
今は欠片も見えないけれども、もしかしたら父が言うかもしれない。
「春休みに旅行に行かないか?」と。
ほんの一泊二日の旅なら、春休みでも簡単に行ける。
宙港から宇宙に飛ぶ船に乗って、宇宙から青い地球を見る旅。
(……次の誕生日のプレゼント……)
それにどうだ、と言いそうな父。
美しい青い星を見ながら、宇宙で迎える誕生日。
ソルジャー・ブルーの生まれ変わりの、一人息子には似合いのプレゼント。
うんと豪華なディナーを予約し、最高のテーブルも予約して。
(…ぼくは沢山食べられないから…)
船のシェフには、それも伝えることだろう。
食が細い息子でも食べられるように、軽めのメニューにして欲しい、と。
そして大人の両親用とは、盛り付ける量も変えて欲しいと。
(…ディナーの後には、バースデーケーキ…)
きっと間違いなく付いてくる。
次の誕生日で十五歳だから、蝋燭を十五本立てたのが。
そうして灯りも消されるのだろう、蝋燭の光が映えるようにと。
(レストランのお客さんも、みんな祝福してくれて…)
バースデーソングと拍手の中で、蝋燭の火を吹き消すのだろう。
青く美しい地球が見える席で、胸一杯に空気を吸い込んで、フーッと。
(…蝋燭の火を消すまでは…)
窓の外には、青い地球の姿が、鮮やかに見えるに違いない。
レストランの灯りを落としている分、それまでよりも、ずっと。
(……きっと、ぼく……)
その青い地球を長く見ていたくて、息を吸い込むのは、とてもゆっくり。
うんと時間をかけたいけれども、それでは他の人たちが困る。
(…みんな食事に来てるんだものね?)
だから迷惑にならない程度に、時間をかけて吸い込む息。
それを一気に吐き出したならば、ケーキに灯した蝋燭が消える。
(…十五本分…)
出来れば一度に、見事に消したい。
蝋燭を消したら灯りが点ってしまうけれども、それとこれとは話が別。
バースデーケーキの蝋燭を消すのは、バースデーパーティーのハイライト。
周りのお客さんたちも見ているのだから、其処は絵になる景色が欲しい。
消し損なった一本とかを、フーフーと吹いて消すよりも…。
(フーッて、綺麗に、いっぺんに…)
吹き消してこその、パーティーの主役。
バースデーケーキが出て来るまでは、誰もそれだと知らなくても。
ウエイターがケーキを運んで来るまで、隣のテーブルの人さえ気付いていなくても。
(…灯りが消えたら、みんな気付いて…)
心からお祝いしてくれるのだし、主役に相応しく決めたいもの。
十五本の蝋燭を、いっぺんに消して。
再び灯りがついた時には、青い地球が霞んでしまっても。
(…もともと、そう見えていたんだものね…?)
窓の向こうに浮かんだ地球は、最初からレストランの自慢の風景。
青さが少しばかり減っても、きっと充分に美しい。
そういう地球を眺めながらの、それは素晴らしい誕生日。
バースデーケーキは食べ切れないから、周りの人にもお裾分けして。
「おめでとう」と祝福して貰って。
(……春休みかあ……)
そこで旅行になるのかな、と考える。
誕生日プレゼントは宇宙旅行で、地球を見ながらバースデーケーキ。
(…ちょっといいよね?)
素敵だよね、と弾んだ心。
ソルジャー・ブルーだった頃には、ずっと憧れ続けた地球。
何度も何度も地球を夢見て、幾つもの夢を描いていた。
いつか地球まで辿り着いたら、あれをしようと、これもしようと。
(…その中に、バースデーパーティーは…)
まるで入っていなかった。
青い地球を窓の外に見ながら、食事だの、バースデーケーキだのは。
(…とても素敵なイベントなのに…)
やっぱり誕生日が無かったからかな、と傾げた首。
前の自分は、誕生日を覚えていなかった。
成人検査と残酷な人体実験、それらに記憶を奪い去られて。
(……バースデーパーティーなんか、一度も…)
やっていないし、そのせいで思い付かなかっただろうか。
青い地球まで辿り着いても、誕生日を祝うことは無いだろうから。
(…そうだったのかも…)
とは思うけれども、青い地球を眺めながらの食事。
それにバースデーケーキに灯した蝋燭、吹き消した時の祝福や拍手。
(…他のイベントでも、出来そうなんだよ…)
たとえば結婚記念日とかでも…、と思った所で気が付いた。
結婚記念日を迎える時には、もうハーレイと結婚した後。
二人で地球で暮らしている筈で、地球でやりたいことが山ほど。
誕生日は宇宙へ出てゆく代わりに、必ず地球で迎えただろう。
果てが無いほど長い旅をして、ようやく着いた夢の星なのだから。
その地球を離れて宇宙に出るなど、思い付きさえしないままで。
(…今だと、地球は、近すぎちゃう星で…)
春休みに旅に出るのだったら、ハーレイのことが心配になる。
留守の間に訪ねて来たって、窓のカーテンは閉まったまま。
門扉の脇のチャイムを鳴らしても、母の返事は返りはしない。
(…ハーレイもガッカリするだろうけど…)
ぼくもガッカリしちゃうんだよね、と容易に想像できること。
同じ誕生日を祝うのだったら、ハーレイも一緒のパーティーがいい。
青い地球など見られなくても、豪華なディナーなどは無くても。
(…地球なら、此処にあるんだものね)
近すぎちゃって見えないけれど、と浮かんだ笑み。
ハーレイと二人で、地球に来たから。
宙港から宇宙船に乗ったら、青い地球が必ず見えるのだから…。
近すぎちゃう星・了
※ブルー君が行き損なった、夏休みに青い地球を見る旅。その約束さえも忘れたままで。
次は春休みかもしれませんけど、旅に出るより地球での誕生日。ハーレイ先生も一緒にv