(当分の間は、行けそうにないなあ…)
旅ってヤツには、とハーレイが微かに浮かべた苦笑。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
ふと思いついたのが「旅」という言葉。
旅行とも呼ぶ、娯楽の一種。
当分は、それに行けそうもない。
一ヶ月や二ヶ月なんかではなくて、年単位で。
(どう考えても、二年以上は無理だな…)
行けっこないぞ、と頭に描いたチビの恋人。
十四歳にしかならないブルーは、きっと許してくれないだろう。
「旅に出てくる」と言ったなら。
たとえ一泊二日の旅でも、プンスカ怒るに違いない。
「なんで、ハーレイ、一人で行くの!」と。
「ぼくは一緒に行けやしないのに」と、「一人で好きに遊びたいんだ!」と。
なにしろ、連れては行けないから。
恋人とはいえ、まだまだ内緒の間柄。
隣町に住む自分の両親はともかく、ブルーの両親は何も知らない。
一人息子が恋をしていることも、その恋人が足繁く訪ねて来ることも。
(…それをいいことに、一緒に連れて行けだとか…)
言い出しそうなのがチビのブルーで、そうなった時は断れない。
ブルーの両親は、きっと喜んで許すだろうから。
「ハーレイ先生が一緒だったら、安心だ」と。
身体の弱い一人息子でも、保護者つきの旅なら大丈夫。
そう考えて「どうぞ、よろしくお願いします」と頭を下げるのだろう。
一人息子の魂胆も知らず、「ハーレイ先生との旅」に出してやりたくて。
旅は見聞を広めるチャンスで、世界がグンと広がるもの。
だから「是非に」と、大喜びで。
一人息子の成長を願って、「先生と旅をしてくるといい」と。
けれども、それは出来ない相談。
ブルーの両親が承知したって、肝心の自分が「お断り」。
誰も気付いていないことでも、ブルーは「恋人」なのだから。
前の生から愛していた人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
白いシャングリラでブルーに恋して、ブルーも同じに恋してくれた。
キスを交わして、愛を交わして、共に暮らした長い歳月。
もちろん今も忘れていないし、忘れられよう筈も無い。
どれほどにブルーが美しかったか。
この腕の中に抱き締めた時に、どれほど愛しく思ったのかも。
(いくらあいつがチビになっても、その辺の記憶は…)
少しも薄れちゃいないんだ、と充分にある自覚。
頭から消えてくれない面影。
(……だからだな……)
小さなブルーと、旅は出来ない。
前のブルーと重ねてしまって、道を踏み外すようなことになったら…。
(あいつの両親に顔向け出来んし、第一、俺は自分が許せん)
なんということをしたのだろうかと、自分を責めることだろう。
意志薄弱にも程があるのだし、言い訳などは、とても出来ない。
(…あいつにとっては、うんと都合がいいんだろうが…)
本当の所はどうなんだかな、と考えもする。
小さなブルーは何かと言ったら、「ぼくにキスして」と強請ってばかり。
早く大きくなろうと夢見て、せっせと牛乳を飲んでもいる。
前のブルーと同じ背丈に成長したなら、キスを許して貰えるから。
キスのその先に待っていることも、じきにお許しが出るのだろうと。
(……しかしだ……)
ちゃんと育ったブルーはともかく、チビのブルーは間違いなく子供。
「キスのその先」に待っていることは、今のブルーには早すぎる。
分かっているから、小さなブルーと旅には行けない。
もしも過ちを犯したならば、大変なことになるだろうから。
(…きっとショックで、泣き叫んだ末に…)
ブルーが心に負うだろう傷。
いくら自分が望んだことでも、「思い描いていたもの」とは酷く違ったら。
甘やかな夢が儚く砕けて、惨い現実と入れ替わったら。
(……あいつを旅行に連れてく、ってことは……)
そういうリスクを負うということ。
自制心が利かなくなった時には、小さなブルーを傷付けかねない。
前のブルーと重ねてしまって、そっくり同じに扱った末に。
(…でもって、俺も傷付くからなあ…)
旅は出来んぞ、と最初の所に戻った思考。
小さなブルーが大きくなるまで、旅は封印するしかない。
研修旅行や、柔道部の生徒を連れた旅とか、遠征試合は許されても。
小さなブルーが「仕方ないよね」と、納得してくれるケースだけ。
置き去りにされて、留守番でも。
「ほら、土産だ」と渡した何かを、「ありがとう」と素直に喜ぶ場合。
それ以外の旅は、当分は無理。
小さなブルーが前と全く同じに育って、一緒に旅するようになるまで。
何処へ行くにも、「お前も一緒に来るんだろう?」と、誘えるようになるまでは。
その日は、まだまだずっと先のことで、今の所は見えてさえ来ない。
きっと最初の旅はこれだ、と分かっていても。
二人で出掛ける新婚旅行で、行き先は宇宙なのだ、とも。
チビのブルーは、一度も地球を見ていないから。
宇宙から青い地球を見るのが、二人の新婚旅行だから。
ブルーと二人で旅に出られる時が来るまで、行けない旅行。
出掛けられない、旅というもの。
前は気ままに旅していたのに、すっかり難しくなってしまった。
「おっ、いいな」と心が動くことがあっても、「今は行けん」と諦めてばかり。
ほんの片道半日くらいで、行ける場所でも。
日帰りするには少し遠くて、一泊二日が似合う土地でも。
(一泊二日で行けるトコなら…)
小さなブルーと出会う前には、よく行ったもの。
週末にドライブを兼ねて行くとか、公共の交通機関などで。
(もっと遠くに行きたい時には、夏休みとか…)
長い休みが取れる時に合わせて、旅の予定を組んでいた。
「今度は此処を回ってみよう」と、色々な場所を組み合わせて。
この地球だけでも、長い旅なら、いくらでも出来る。
宇宙船で出掛けてゆく旅だったら、地球を離れて遥か彼方まで。
(…今だったら、行ってみたい所は…)
いったい何処の星だろうな、と考えてみる。
懐かしいアルテメシアだろうか、今の自分は知らないけれど。
前の自分が長く暮らした、雲海の星というだけで。
(…とんと興味も無かった星だが…)
ミュウの時代の始まりの星だ、と歴史の授業で教わる星がアルテメシア。
だから知らない者などいないし、前の自分の名前を刻んだ墓碑がある記念墓地だって。
けれども、記憶が戻る前には、ただそれだけの星だった。
「いつか行こう」と思いもしなくて、「機会があれば」という程度。
近くの星まで行くことがあれば、旅程に組み込むのもいい、と。
「うんと有名な星なんだしな」と、記念墓地などを見学しようと。
そう、入ってはいなかった。
旅したい星のリストには。
長い休みに出掛ける旅行で、「是非とも行きたい場所」の中には。
それを思うと、なんと変わったことだろう。
いつかは行きたい場所の一つに、アルテメシアが入るとは。
歴史で習っただけだった星が、「懐かしい星」になってしまうとは。
(…やっぱり、一度は行きたいよなあ…)
あいつが大きくなった時には、と頭に描いた雲海の星。
青い地球を見る新婚旅行が最初だけれども、ブルーと出掛けてみたい場所。
(まずは新婚旅行なんだが…)
宇宙から青い地球を見んとな、と思った所で気が付いた。
今は「地球の方が」近いのだと。
アルテメシアの方が遠くて、青い星、地球は、足の下にある。
前の生では、前のブルーが焦がれ続けた星だったのに。
ブルーは辿り着けずに終わって、前の自分だけが地球まで行った。
前のブルーの言葉を守って、白いシャングリラの舵を握って。
まるで青くない星とも知らずに、約束の場所へと、ミュウの箱舟を運んで行って。
(…着いたのは、死の星だったんだがな…)
ついでに俺も死んじまったが、と遠い日のことを思い出す。
地球の地の底で命尽きた日、ブルーの許へと魂が空へ飛び立った時。
(…その筈だったが、気付いたら、俺は…)
今のブルーと地球に来ていた。
青く蘇った母なる星に。
旅路の遥か彼方だった星が、今では二人の故郷になった。
(……こうも近すぎる星になると、だ……)
ちょいと有難味が減る気もするな、と傾けたコーヒーのカップ。
今では旅に出るとなったら、「地球から」だから。
アルテメシアの雲海で地球に焦がれる代わりに、「遠いな」と思うアルテメシア。
チビのブルーがうるさい間は、行けないから。
いつか二人で行ける時まで、雲海の星には、旅をしたくても出来ないから…。
近すぎる星・了
※当分は気ままに旅が出来ない、ハーレイ先生。置き去りにされたブルー君が怒るので。
けれど今では、近くなった地球。長い旅路を辿らなくても、足の下に地球。近すぎる星v