(…ビックリしちゃった…)
今日の古典、と小さなブルーが瞬かせた瞳。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は寄ってはくれなかったハーレイ。
放課後に会議が入っていたのか、柔道部の指導が長引いたのか。
それは全く分からないけれど、学校でハーレイには会えた。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
古典の教師になったハーレイ、その授業の中で起こった事件。
ブルーのクラスにやって来た時に、宿題を集めようとして。
(……泣き落としなんて……)
そんなの思い付かなかったよ、と驚きと共に感嘆する。
宿題を忘れた男子生徒が、そういう手段に訴えた。
前の授業で、ハーレイが予告していたから。
「宿題をやって来なかったヤツには、追加の宿題を出すからな」と。
(それが嫌だから、泣き落とし…)
宿題のことなど忘れていたろう、件の男子。
彼は「やっていません」と申し出る代わりに、真っ赤な嘘をつくことにした。
「ミミちゃんが病気だったんです」と、愛猫の名前を口にして。
家族同然の「ミミちゃん」だから、上を下への大騒ぎ。
動物病院に連れて行ったり、帰ってからも皆で見守ったりと。
(…晩御飯を食べるのも、うんと遅くなって…)
ミミちゃんの具合が落ち着いた頃には、とうに変わっていた日付。
疲労困憊してベッドに入って、宿題どころではなかった昨日。
お風呂に入るのが、精一杯で。
今日の学校の授業に備えて、時間割だけ整えただけで。
(……ホントに大変だったんだよね、って……)
心から同情した自分。
ところが、事実は違っていた。
何もかもが、口から出まかせの嘘で。
クラスメイトも騙されたけれど、誤魔化せなかったハーレイの目。
事情を聞き終えたハーレイはといえば、大きく頷いて、こう言った。
「なるほど、それは大変だったな」と同情をこめて。
自分も昔は猫を飼っていたから、「帰りにミミちゃんの見舞いに行こう」と。
聞くなり、顔色が変わった生徒。
「ミミちゃん」は病気になっていないし、昨日は、ごくごく平凡だった日。
宿題をやらずに終わった理由は、単に忘れていただけのこと。
もしもハーレイが見舞いに行ったら、家族は恐縮することだろう。
彼がついた嘘もバレてしまって、夜に帰って来た父親に…。
(ゲンコツを貰うとか、晩御飯は抜きになっちゃうだとか…)
ロクな結果になるわけがない。
仕方なく、彼は白状せざるを得なかった。
本当のところはどうだったのかを、「宿題は、やっていないんです」と。
(だから追加の宿題が出て…)
ハーレイを騙そうとした罪の分まで、別の宿題が追加になった。
「忘れました」と言うならともかく、同情を買おうとしたものだから。
愛猫が病気だと「お涙頂戴」、「泣き落とし」などを試みたから。
(……正直に言えば良かったのに……)
そうしていたなら、宿題の追加は一つだけ。
オマケの宿題は貰わなかった。
とはいえ、彼の「真っ赤な嘘」がバレなかったら、効果は大きい。
「やむなく宿題が出来なかった」上に、家族同然の「ミミちゃん」が病気。
一晩で無事に治ってはいても、誰だって気の毒に思うだろう。
病気になったミミちゃんのことも、看病に励んだ彼や家族をも。
(なのにハーレイが、宿題を追加していたら…)
きっとクラス中がブーイング。
「先生、酷い!」と、非難轟々で。
授業が終わった休み時間には、他のクラスにまで伝わって。
(……血も涙も無い、鬼教師だ、って……)
たちまち評判が立つのだろうし、自分だって、ハーレイを責めたくなる。
いくらハーレイのことが好きでも、それとこれとは別問題。
次にこの家を訪ねて来たなら、真っ先に口にすることだろう。
「ハーレイ、なんで宿題を追加しちゃったの!」と。
とても可哀想な生徒を相手に、なんということをするのか、と。
(宿題は、忘れたんじゃなくって…)
男子生徒の言い訳によれば、昨日、仕上げる筈だった。
そのつもりで予定もメモしておいたし、やらない気など全く無かった。
けれど起こった突発事故。
大切な猫が病気となったら、宿題などはしていられない。
気が気ではなくて、勉強なんかは…。
(絶対に、手につかないよね…?)
具合の悪い「ミミちゃん」のことが心配で。
動物病院に連れて行ったのが彼でなくても、家で留守番していたのでも。
(……ぼくだって、きっと泣きたくなるよ……)
ペットを飼ったことは無いけれど、気持ちは分かる。
「このまま、死んでしまったら…」と、涙がポロポロ零れるだろう。
動物病院から帰って来たって、落ち着くまではオロオロ見守る。
「ちゃんと元気になるんだよね?」と、何度も両親たちに尋ねて。
大事な家族がいなくならないかと、寝ている姿を覗き込んで。
(誰だって、きっとおんなじだよ…)
病気のペットを思う気持ちは、誰だって、きっと変わりはしない。
だから「泣き落とし」は効果絶大、彼が成功していたならば。
真っ赤な嘘だとバレなかったら、ハーレイに看破されなかったら。
そうは言っても、世の中、そこまで甘くなかった。
百戦錬磨のハーレイ相手に、通じなかった泣き落とし。
彼が貰ったのは「オマケの宿題」、ハーレイを騙そうとしていた分まで。
素直に「忘れました」と言っていたなら、追加の分だけで済んだのに。
(…思いっ切り、間抜けだったんだけど…)
それは結果がそうなったからで、バレずに成功していた時は…。
(上手くやったな、って羨ましがられて…)
ちょっとしたヒーローだっただろう。
嘘八百を並べまくって、ハーレイの同情を買ったのだから。
「そういうことなら仕方ないな」と、免除になった追加の宿題。
ついでにお見舞いの言葉も貰って、得意だったに違いない。
授業が終わって、ハーレイが姿を消したなら。
「ミミちゃん、病気だったのかよ?」と、友人たちに囲まれたなら。
(…泣き落としだぜ、ってニヤニヤ笑って…)
してやったり、という顔だったろうか。
結果は逆に転んだけれども、ハーレイを騙せていたならば…。
(すげえ、って、友達に褒められちゃって…)
たちまちクラスの英雄扱い、「頭が切れる」と大評判。
宿題を忘れた時の言い逃れに、「泣き落とし」という手は斬新だから。
咄嗟に思い付いたことやら、効果の大きさに、皆が感心して。
(……失敗しちゃったんだけれどね……)
あの手も、きっと悪くないよね、と「泣き落とし」のことを考えてみる。
自分は宿題を忘れないけれど、他の場面で役に立ちそう。
同情を買って「お涙頂戴」、使い方によっては、素晴らしい武器。
彼は泣いてはいなかったものの、本当に涙を流したならば…。
(もっと効果は抜群で……)
普通だったら、すげなく断られそうなことでも、許して貰えそうな気がする。
言われた相手が可哀想に思って、仕方なく折れて。
涙を零したくらいだったら、「駄目だ」と突き放された時でも…。
(大泣きに泣いて、泣きじゃくったら…)
どうにもこうにもならないのだから、涙を止めにかかるだろう。
最初は、僅かに譲歩してみて。
それでも涙が止まらないなら、じりじりと後退していって。
(…うんと無茶なことを言ってても…)
泣き落としという手段に出たなら、勝ち目はありそう。
目玉が溶けて流れるくらいに、おんおんと泣いていたならば。
「聞いて貰えないなら、死んじゃった方が遥かにマシだよ」と、訴えたなら。
(……うん、使えそう……)
いつか大いに役立つだろうか、たとえば両親を相手にして。
ハーレイと結婚できる年になったのに、結婚に反対されたりしたら。
両親が頑として譲らなかったら、まずはポロポロ涙を零して。
「ハーレイとしか結婚しない」と、唇を噛んで。
それで駄目なら、もう身も世もなく泣きじゃくるまで。
結婚を許して貰えないなら、家出するとか。
「御飯は二度と食べないからね」と、ハンガーストライキに入るのもいい。
痩せ衰えて死んでやるから、と涙ながらに脅しをかけて。
そういう手段に訴えたならば、両親も、きっと折れるだろう。
一人息子を失うよりかは、許した方がマシだから。
ハーレイと結婚されてしまっても、息子の命は残るのだから。
(……よーし、この手で……)
いけばオッケー、と笑みを浮かべて頷いた。
両親に反対された時には、「泣き落とし」という手が使えそうだ、と。
(…ついでに、ケチなハーレイにも…)
やってみようか、と考えてみる。
断わられてばかりの唇へのキスも、この手で貰えるかもしれない。
涙をポロポロ幾つも零して、「ぼくにキスして」と。
「ハーレイのキスが貰えないなら、死んじゃうからね」と泣きじゃくって。
これならケチなハーレイでも、と考えたけれど…。
(……鬼教師……)
男子生徒の真っ赤な嘘を見抜いたように、直ぐに見抜かれることだろう。
「馬鹿野郎!」と頭に軽くゲンコツ、おまけに罰も来るかもしれない。
「俺は当分、来ないからな」と、サッサと帰ってしまわれて。
それから何日待っていたって、一向に来てはくれなくて。
(……うーん……)
泣き落とせたらいいんだけどな、と思いはしたって、相手はハーレイ。
きっと敵いはしないものだから、ガックリと肩を落とすしかない。
「泣き落とせたなら、幸せなのに」と、「ハーレイのキスが貰えるのにね」と…。
泣き落とせたなら・了
※ハーレイ先生の授業で、泣き落としを試みた男子生徒。ブルー君まで騙されたほど。
その手を自分も使えるかも、と浮かんだ名案。ハーレイ先生には、無理そうですけどねv