(まだまだ、詰めが甘かったよな…)
この俺を甘く見るんじゃないぞ、とハーレイの顔に意地の悪い笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
ふと思い出した昼間の出来事。
ブルーのクラスに古典の授業で出掛けて、遭遇した珍事。
(…俺は宿題を集めただけで…)
それは、ごくごく普通のこと。
前の授業で宿題を出せば、次の時間に回収するもの。
もっとも宿題の中身によっては、もっと後になることもあるけれど。
(今日のは、1時間もあれば出来るヤツで、だ…)
翌日に回収にやって来たって、大抵の生徒は困らない筈。
家に帰って「宿題があった」と思い出して取り掛かったなら、直ぐに完成するから。
(現にだな……)
教室で「宿題を集める」と声を上げると、生徒たちはサッと用意した。
前回の授業で配ったプリント、それに対する宿題の結果を。
順に提出させたのだけれど、其処で上がった困惑の声。
とても困った顔付きをした男子生徒が、自分の席で手を挙げた。
「宿題が出来ていないんです」と。
それを聞くなり、「そうか」と重々しく頷いてやった。
「こいつが追加の宿題だからな」と、取りに来るよう促してやって。
(…そういう約束だったしな?)
宿題をやらなかった生徒は、罰に宿題を追加する。
何度も念を押してあったし、文句を言われる筋合いは無い。
ところが件の男子生徒は、泣きそうな顔で…。
(……出来なかったんです、と来たもんだ)
宿題は昨夜に仕上げる予定で、ちゃんとスケジュールを書いたメモまで。
なのに思わぬ事態が起こって、手つかずになってしまったのだ、と。
クラス中の生徒が固唾を飲んで見守る中で、彼は切々と訴えた。
「ミミちゃんが病気になったんです」と。
(…妹なのか、と訊き返したら…)
ミミちゃんというのは猫だった。
けれども彼の家族も同然、両親も可愛がっている猫。
その「ミミちゃん」が病気だというので、たちまち家中、上を下への大騒ぎ。
動物病院へ連れて行ったり、診察を終えて家に戻ってからも…。
(自分たちの食事もそっちのけで、せっせと看病……)
落ち着いた頃には、すっかり夜更けで、誰もが疲れ果てていた。
皆で黙々と遅い夕食を食べて、ミミちゃんの様子を確認してから…。
(ああ良かった、と風呂に入って…)
ベッドにもぐり込んだ頃には、日付が変わっていたという。
そんな具合だから、全く出来なかった宿題。
今日の時間割をするだけで精一杯で、古典の教科書やノートがあるのが奇跡なのだ、と。
そちらも忘れて登校したって、何の不思議も無かったのだ、とも。
(…事情を考慮して下さい、と泣き落としで…)
追加の宿題を免れようと、懸命に説明を続けた彼。
「ミミちゃん」が如何に重病だったか、大切な家族の一員なのかを。
今朝は元気になっていたから、こうして授業に出ているけれど…。
(病気が重くて死にそうだったら、学校を休んで、付きっきりで…)
ミミちゃんの看病をしていた筈だ、と彼は主張した。
そうなっていたら、宿題の提出日が今日であろうと関係無い。
授業に出席していないのだし、当然、提出義務だって無い。
追加の宿題を貰うことも無くて、何も知らずに過ごしただろう。
(でもって、例の宿題は…)
次の授業に出席した時、「遅れました」と詫びて提出。
もちろん追加の宿題は出ない。
彼は欠席していたのだから、宿題を忘れずに出しただけでも立派なもので。
(…言うことは間違っちゃいないんだがな?)
自分だって地獄の鬼ではないから、事情があったら臨機応変。
「そういうことなら、この次でいいぞ」と、無罪放免するくらいのことは、わけもない。
とはいえ、世の中、そうそう甘くは…。
(出来てないってな、生憎と)
他の生徒の手前もあるんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
真面目に宿題をやった生徒は、きちんと評価されねばならない。
ほんの1時間で出来るものでも、仕上げるのは生徒の義務なのだから。
(…そいつをやらずに、のうのうと遊び暮らした末に…)
真っ赤な嘘で言い逃れるなど、言語道断。
しかも自分が風邪を引いたとか、腹痛だったとかなら、まだしも…。
(……猫が病気だったと、お涙頂戴……)
クラスメイトたちの同情を誘って、泣き落としという手段に出た彼。
これで追加の宿題を出せば、教師の自分が悪者にされる。
「なんて酷い」と、まず女子生徒が騒ぎ始めて。
愛猫のために頑張った彼に、罰を与えるなど、鬼の所業だと。
(そうなれば、男子も黙っちゃいないし…)
俺の人気が地に落ちるんだ、と顰めた顔。
せっかく学校で勝ち得た人気は、すっかりオシャカになるだろう。
「おい、聞いたか?」と噂がたちまち駆け巡って。
「ハーレイ先生、酷すぎるよな」と、まるで根拠の無い悪評が。
(……なにしろ、猫のミミちゃんは……)
病気なんかじゃないんだからな、とカップをカチンと指先で弾く。
宿題を忘れた男子生徒は、苦し紛れに大嘘をついた。
「こう言えば、許して貰えるだろう」と、泣き落としに出て。
きっと嘘だとバレはしないと、スラスラと嘘を並べ立てて。
それが証拠に、彼の顔色はサッと変わった。
「気の毒にな…。帰りに見舞いに寄るとしよう」と微笑んだら。
「俺が子供の頃には、おふくろが猫を飼っていたしな」と、ミミちゃんに敬意を表したら。
(…本当に修行の足りないヤツだ)
同じ嘘なら、もっとマシなのを言えばいいのに、と苦笑する。
修行を積んだ教師が見たって、「嘘かどうか」の判断に困るようなのを。
「宿題を家に忘れて来ました」という定番の方が、まだバレない。
この世の中には、本当に忘れる不幸な生徒もいるものだから。
通学鞄を逆さに振っても、「入れた筈」の宿題が出て来ない子が。
(そっちにしてれば、俺だって……)
宿題の追加を出すべきかどうか、きっと考え込んだだろう。
彼の日頃の行いなどから、総合的に判断するために。
(……しかしだな……)
あの泣き落としは頂けん、と彼に下した追加の宿題。
「特別に、これも付けてやろう」と、その場で考えた宿題もセット。
悪事を働こうとしていたのだから、相応の罰を与えなくては。
「泣き落とし」という卑怯な手段を用いた、彼に。
嘘だとバレなかった時には、「追加の宿題を出したハーレイ先生」が悪者にされる。
「猫が病気だったと言っているのに、酷すぎる」と。
きっと小さなブルーさえもが、後から責めにかかるだろう。
「どうして許してあげなかったの?」と、赤い瞳でキッと見据えて。
「酷いよ、ハーレイ!」と、正義の拳を振りかざして。
そうなっていたら、本当に目も当てられない。
生徒どころか、恋人にまで悪者にされてしまうとは。
血も涙も無い鬼教師だと、情があるとは思えない、と。
ところがどっこい、露見したのが彼の嘘。
「ハーレイ先生」が家に見舞いに来ようものなら、今度は彼が困る番。
きっと玄関を開けた家族は、とても恐縮するだろうから。
(ミミちゃんは、ピンピンしててだな…)
宿題を忘れた言い訳に使われただけで、動物病院に行ってはいない。
「泣き落とし」に出た彼はその場で、家族に叱られることだろう。
先生の手を煩わせた上に、宿題も忘れた悪人として。
場合によっては、夕食の時に、父からゲンコツを貰ったりもして。
(……本当に、あいつは馬鹿だったんだが……)
ちょっと使ってみたい気もする、と思う手段が「泣き落とし」。
彼は失敗したのだけれども、成功するなら、試してみたい。
「大の男」が「お涙頂戴」、それで解決するのなら。
頭を抱えるような難問、それがアッサリ…。
(許しますよ、と言って貰えるのなら…)
いいんだがな、と考える。
今の時点で、その難問には、まだ立ち向かっていないけれども。
立ち向かうべき時は、まだ遥か先で、欠片も見えてはいないのだけれど。
(……息子さんを、嫁に下さいと……)
ブルーの両親を泣き落とせたら、どんなにか楽なことだろう。
「嫁に欲しい」と思う気持ちに嘘は無いから、いくらでも泣ける。
結婚を許して貰えないなら、首を括って死ぬとでも。
高い崖から身を投げるとでも、底無しの沼に飛び込むとでも。
(…あいつを嫁に貰えないなら、生きていたって意味が無いからなあ…)
泣き落とせたら、どんなにいいか、と思うけれども、きっと、その手は使わない。
同じブルーを貰うのだったら、正々堂々、正面から突破したいから。
何度、門前払いを食おうと、懲りずに通い詰めるのだから…。
泣き落とせたら・了
※ハーレイ先生の授業中に起こった「泣き落とし」。宿題を忘れた男子生徒の、真っ赤な嘘。
それが切っ掛けで、使ってみたくもある「泣き落とし」。いつかブルーの両親相手にv
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