(……今日も一日、終わったってな)
何事もなく、とハーレイが傾ける愛用のマグカップ。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
たっぷりと淹れた熱いコーヒー、それが一日の締めくくり。
飲みながら読書をするのもいいし、のんびりと考え事もいい。
(…あいつの家には、寄り損なったが…)
それを除けば、いい日だったと言えるだろう。
学校では、ちゃんとブルーに会えたし、立ち話だって少しは出来た。
懸命に敬語で話すブルーと、学校の廊下で向かい合わせで。
(明日は、あいつの家に寄れるといいんだがなあ…)
今の所は特に予定も無いから、おそらく時間はあるだろう。
急な会議が入ってしまえば、その時は仕方ないのだけれど。
(…こればっかりは、明日、行ってみないと…)
分からないしな、と思う学校の中の細かな出来事。
思念波を日常生活で使っていたなら、連絡がヒョイと入りそうでも…。
(生憎と、今はそういう時代じゃないんだ)
普段の暮らしで思念波を使うのは、マナー違反。
親しい家族や友達だったら、もちろん使ってかまわなくても。
(…ついでに、深夜に連絡するのも…)
今の時代はマナー違反になっている。
緊急の用事などを除けば、夜に通信機が鳴ることは無い。
離れた地域で暮らす親戚などでも、時差を考えて連絡するもの。
やむを得ず夜遅くなってしまったら、一言、挨拶しなければ。
「こんな時間にすみません」と、お詫びの言葉を。
夜はゆっくり眠る時間で、夜更かししている人にしたって…。
(……昔と違って、誰かと夜通し……)
通信機などの機械を使って、繋がるような時代ではない。
遥か昔は、そういう時代が人の歴史にあったけれども。
地球が滅びるよりも前には、それが当たり前の社会が存在したけれど。
人類文明の進歩とは逆に、滅びへの道を辿った地球。
緑が自然に育たなくなって、海からは魚影が消えていって。
大気はすっかり汚染されてしまい、地下には分解不可能な毒素。
滅びゆく地球を救う手立ては、もう、人類には何も無かった。
人類そのものが「変わる」他には。
地球を滅びに導いた種族、それを改革する以外には。
(……それがSD体制なんだ……)
完全な生命管理の社会。
人を人とも思わぬ機械が統治していた、忌まわしい時代。
(前の俺たちが、そいつを壊して…)
赤黒い死の星のままだった地球も、機械と一緒に燃え上がった。
そうして全てが焼き尽くされた後に、再び青く蘇った地球。
宇宙はミュウの時代を迎えていたのだけれども、彼らは英断を下していた。
人類の過ちは、繰り返さないと。
文明はとても便利だけれども、きちんと考えて使うべきだと。
だから失われた、常に繋がっているようなシステム。
それらは諸刃の剣だから。
人間が支配しているように見えても、知らない間に機械に縛られる。
生きている世界も、思考でさえも。
縛られた自覚を失ったならば、ヒトは再び滅びへと向かう。
地球や宇宙の星のことなど、まるで全く考えないで。
自然を破壊し尽くしていって、いつの間にか、故郷を滅ぼしていって。
(……ふうむ……)
俺は未来に来たわけなんだが…、と顎に当てた手。
気が遠くなるほど長い時を飛び越え、ブルーと二人で地球まで来た。
新しい身体に生まれ変わって、青い水の星に住んでいる今。
けれど、前の自分が今の暮らしを見たなら、どう思うだろう。
(…未来だとは、とても思うまいなあ…)
この家だけを見たんならな、と苦笑する。
宙港に行けば、あの時代よりも進歩を遂げた宇宙船が幾つも。
宇宙の他の星に行くにも、ずっと安全で速い旅が出来る。
ところが、家の中だけを見れば、白いシャングリラで暮らした頃の…。
(……俺の部屋に比べりゃ、なんにも無くて……)
通信用のシステムだってありやしない、と目を遣った壁。
その壁よりも向こうの部屋に、鎮座しているのが今の時代の通信機。
呼び出し音が鳴っていたって、書斎に届く音は微かなもの。
(…気を付けていないと、まず分からんぞ)
本に夢中になっていたなら、聞き逃してしまうことだろう。
それでも全く困りはしないし、第一、こんな夜遅くに…。
(通信を入れる方がマナー違反ってヤツなんだしな?)
相手も充分、承知している。
通信に出なくても、仕方が無いと。
明日の朝にでも、また通信を入れてみるかと、通信を切って。
(前の俺だと、大昔の世界と間違えそうだぞ)
地球が滅びるよりも前のな、と可笑しくなった。
ずっと未来に来たというのに、そんな風には見えないから。
色々不便な古い時代で、人間はまだ、宇宙にさえ…。
(…出られていないか、せいぜい月まで…)
行った程度で、それも着陸しただけだろう。
月に基地など作れはしなくて、宇宙ステーションさえ、夢のまた夢。
それくらい昔に生まれ変わって、古臭い暮らしをしているのだ、と勘違いしそうな前の自分。
この家だけを眺めていたなら、大昔だと思い込んで。
(……大昔なあ……)
そいつも悪くはないかもしれん、という気がする。
ブルーが一緒だったなら。
二人で生まれ変われるのならば、同じに青い地球の上なら。
(…生まれ変わりって時点で、未来にしか行けそうにないんだが…)
あるかもしれない、神の気まぐれ。
「青い地球さえあれば、幸せだろう」と選んだ時代が大昔。
ふと気が付いたら、今のこういう世界の代わりに…。
(牛車が、都大路をギシギシ…)
ゆっくりと進むような世界で、学校で教える古典の世界。
それが自分の目の前にあって、もちろん自分は其処の住人。
(…平安時代に生まれ変わるんだったら、身分は、そこそこ…)
いいものを貰わないと駄目だな、と職業柄、すぐに考えた。
王朝文化に憧れる人は、今の時代も少なくはない。
けれども、優雅な文化を享受したのは、ごく一握りの人間だけ。
(いわゆる貴族で、特権階級…)
柄じゃないな、と思いはしても、幸せに生きてゆきたかったら必要な身分。
貴族以外は、日々の生活で精一杯だった時代だから。
頑張って田畑を耕してみても、それほど暮らしは良くはならない。
だから生まれた夢物語。
竹取の翁が竹の中から姫を見付けて、大金持ちになる話。
(主人公は、かぐや姫なんだがな…)
金持ちになった翁も羨ましがられたろうさ、と思いを巡らせる。
あの時代の庶民が話を聞いたら、大いに夢見たことだろう。
自分の前にも、金色の竹が現れないかと。
かぐや姫を立派に育てるためでも、大金持ちになれたなら、と。
平安時代で生きてゆくなら、譲れない身分。
ブルーも自分も、貴族の身分に生まれ変わっていたいもの。
宇宙から青い地球を見るには、方法などは何も無くても。
「此処は地球だ」と確信できても、確かめる術が無いままでも。
(…あいつは、貴族の若様で…)
自分は、そろそろ初老といった頃合い。
あの時代ならば、そんな年齢。
たまに長寿の人もいたって、大抵は早く亡くなったから。
四十歳にもなってしまったら、妻を亡くして出家する者も多かった。
(…俺は婚期を逸した貴族ってトコか…)
それでも、あいつと出会うんだな、と頭の中に描いた光景。
聖痕は、きっと、物騒だから、別の切っ掛け。
(あの時代は、血は縁起でもなくて…)
忌み嫌われたし、他の何かが、自分とブルーを繋ぐのだろう。
ちゃんと出会えて恋仲になって、のどかな世界で恋を育む。
二人で花見の宴をするとか、月見の宴を催すだとか。
(あいつがチビの子供でなければ、もう早速に…)
自分の館に迎えてもいいし、自分が通って行ってもいい。
今よりもずっと不便であっても、恋をするには困らない筈。
(歌を詠んで贈らんと駄目だと言うんだったら、歌を詠んで、だ…)
ブルーからも歌が届くのだろう。
ペンではなくて、筆でサラサラと書かれたものが。
季節の折枝などが添えられ、美しい紙に綴られた文が。
(そういうのも、きっと…)
悪くはないのに違いないぞ、と夢は尽きない。
昔だったら心配なのが、寿命の問題なのだけれども…。
(…神様が生まれ変わらせて下さるのなら…)
ブルーも自分も、今と同じにミュウだと思う。
サイオンのお蔭で年を取らない、今の時代は普通の種族。
(昔だったら、仙人だろうと思われるぞ)
あの時代の人々が憧れ続けた、年を取らなくなる薬。
それを飲んで年を取らない仙人、そうだと誰もが信じるだろう。
(…あいつと二人で、仙人になって…)
のんびり暮らしてゆくのもいいさ、と傾ける少し冷めたコーヒー。
昔だったら不便であっても、一緒なら、きっと幸せだから。
ブルーと二人で生きてゆけるなら、遥かな昔の時代でも、きっと天国だから…。
昔だったら・了
※前のハーレイたちが生きた頃より、遅れているように見える今の文明。そういう時代。
ならば昔に生まれていたら、と考えてみたハーレイ先生。仙人になるのも良さそうですよねv