(わっ…!)
凄い風、と小さなブルーが見開いた瞳。
ハーレイが寄ってはくれなかった日、お風呂上がりにパジャマ姿で。
ベッドの端にチョコンと腰掛け、のんびり寛いでいた時に。
窓の向こうで、ゴオッと音を立てていった風。
夜はカーテンを閉めているから、目には映らなかったけれども…。
(庭の木、うんと揺れたよね…?)
幹ごと揺れることはなくても、枝は大きく揺れたのだろう。
風が音を立てて抜けてゆくほどなら、普段は揺れない大きな枝も。
(葉っぱも飛んで行ったかな…?)
今ので沢山飛んじゃったかな、と瞳を瞬かせる。
秋が深まるにつれて、葉が色づいてゆく木たちもある庭。
冬にはすっかり葉っぱを落として、幹と枝だけになってしまう木。
そういう木たちが持っている葉を、風は奪っていっただろうか。
ゴオッと吹き抜けた一瞬に。
木々の梢を、枝葉を鳴らして、夜の庭を駆けてゆく時に。
(……明日、起きたら……)
冬の景色になっちゃってるかも、と考えたけれど。
雪はまだでも、木の葉は落ちてしまっているかも、と少し心配だけれど…。
(…でも、あれっきり…)
風は吹かない。
窓の向こうで鳴ったりはしない。
(天気予報も、寒くなるとは言ってなかったし…)
さっきの風は、きっと気まぐれだったのだろう。
嵐のように吹き荒れないなら、木の葉は枝に残る筈。
何枚かは持って行かれたにしても、見た目でそれとは分からないほどで。
明日の朝、カーテンを開けて見たって、庭の景色は変わらないままで。
それならいいな、と小さく頷く。
冬の景色も好きだけれども、秋の庭の景色も同じくらい好き。
なにより、秋は穏やかで…。
(寒くないから、ハーレイと庭に出られるんだよ)
雨さえ降っていなかったならば、いつでも庭に出てゆける。
平日は、流石に無理だけれども。
(…ハーレイが来る頃は、夕方だものね…)
秋の日暮れは早いものだし、庭に出るには、遅すぎる時間。
だから二人で出るなら休日、お茶の時間に選ばれる庭。
午前中だったり、午後のお茶だったり、気分次第で。
庭で一番大きな木の下、其処に据えられた白いテーブルと椅子で。
(冬にも出よう、って約束したけど…)
雪の中でも庭でお茶を、と交わした約束。
ハーレイのシールドに入れて貰って、庭に降る雪を眺めながら。
火鉢というものを置いて貰って、暖を取りながら。
(…だけど、今みたいに…)
頻繁に出られはしないだろう。
いくらシールドに入ると言っても、寒い季節には違いない。
「風邪を引くぞ」と、早々に引き揚げさせられることになるかもしれない。
ただでも風邪を引き易い身体は、けして丈夫には出来ていないから。
夏でも風邪を引いたくらいに、前と同じに弱いのだから。
(…冬もいいけど、秋の方が…)
庭に出るにはピッタリなんだよ、という気がするから、秋のままがいい。
木の葉が風に奪い去られて、一枚も無くなる季節よりかは。
いずれは冬が来るにしたって、一晩で冬になるよりは。
(…この次に、風が鳴ったなら…)
その心配も出て来るけれども、今の所は鳴りそうにない。
本当に、あれっきりだから。
耳を驚かせた強い風の音は、たった一回だけだったから。
(…風かあ……)
そういえば…、と頭を掠めていったこと。
前にハーレイから聞いた。
遠く遥かな時の彼方で、ナキネズミのレインが言っていたのだ、と。
(…前のぼくは、風の匂いがした、って…)
レインは、ハーレイにそう話した。
前の自分がいなくなった後、主を失くした広い青の間で。
訪れる者さえ滅多にいなくて、ガランとしていた寂しい部屋で。
(…ジョミーは、あの部屋、使わなくって…)
それまでの部屋を使い続けたから、青の間には、誰も用が無かった。
たまに会議の場所になる程度で。
(…だから、ハーレイが出掛けて行っても…)
先客はナキネズミのレインだけ。
ハーレイはレインと、何度も思い出話をした。
いなくなってしまった人を想って、時には涙を零しもして。
(……レインは、知らなかっただろうけど……)
ハーレイにとっての、「ソルジャー・ブルー」が何だったのか。
ソルジャーであり、古い友だった以上に、誰よりも大切だった恋人。
気付かれるようなヘマは、お互い、してはいなかった。
長い歳月が流れ去った今も、誰も夢にも思ってはいない。
白いシャングリラの頂点にいた二人が、恋人同士だっただなんて。
(…生まれ変わっても、また出会えたほど、うんと絆が強くって…)
今でも恋人同士だけれども、誰一人として気付いてはいない。
だからレインも、全く知らなかっただろう。
「風の匂いがしたソルジャー」が、ハーレイの恋人だったとは。
思い出話をしに来る理由も、時には涙を零す理由も。
我ながら、上手くやったと思う。
あれほどの恋を隠し通して、最期までバレずに死んでいったこと。
代償は高くついたけれども、それは仕方が無いだろう。
幸せな日々を過ごせた分だけ、最期に悲しみが降って来たって。
前の生の最後に凍えた右手。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、絆が切れてしまったと泣いた。
もう二度と会えはしないのだと。
「独りぼっちだ」と、青い光が満ちたメギドの制御室で。
泣きじゃくりながら死んだけれども、気付いたら、地球の上にいた。
青く蘇った母なる星に、ハーレイと二人で生まれ変わって。
(…神様が、ぼくに聖痕をくれて…)
お蔭で、巡り会うことが出来た。
またハーレイと一緒にいられて、前の自分の話まで聞ける。
「風の匂いがしていたそうだぞ」と、レインが語っていたことまで。
自分ではまるで自覚が無かった、「ソルジャー・ブルー」の匂いなんかを。
(…風の匂いって言われても…)
どういう匂いか、本当にピンと来なかった。
今のハーレイと頭を悩ませ、「硝煙の匂いかも」と考えたほど。
レインが知っていた風の匂いで、「ソルジャー・ブルー」と重なりそうなもの。
それは硝煙だったのでは、と物騒な匂いを思い浮かべて。
(……でも、本当は雨上がりの風……)
きっとそうだ、とハーレイは言った。
前の自分は知らないけれども、赤いナスカを潤した雨。
恵みの雨が降った後には、水の匂いを含んだ風が吹いたのだという。
そして、青の間にも満ちていた水。
無駄に大きかった貯水槽には、いつだって水が満たされていた。
だからレインは、その匂いを嗅いで…。
(…前のぼくは、風の匂いがする、って…)
いつも感じていたのだろう。
昏々と眠り続ける前の自分と、青の間に満ちている水と。
それは繋がっているものだったから。
レインが青の間に入る時には、いつでも水の匂いがしたから。
(……今のぼくだと……)
水の匂いはしないよね、と腕を鼻先に近付けてみた。
洗ったばかりのパジャマの匂いが、ふわりと鼻腔の中に漂う。
お日様の匂いと、それに混じった洗剤の匂い。
(…おやつを食べた時なら、きっと甘い匂いで…)
その時々で匂いは変わって、「風の匂い」は、もうしないだろう。
もう青の間には、いないから。
今の自分が暮らす部屋には、貯水槽も、金魚鉢も無いから。
(…きっとレインも、匂いだけだと…)
誰だか分からないだろう。
目隠しをさせて、鼻先に手を差し出したなら。
「レイン?」と名前を呼んでやっても、「誰だろう?」と首を傾げるだけで。
(……思念波で、バレてしまうかな?)
前の自分だと有り得ないけれど、レインに心を読まれてしまって。
放って置いたら零れ放題の、心の欠片をヒョイと拾われて。
(…縮んだの? って…)
訊かれるだろうか、小さくなった手を舐められて。
「ブルーの手は、もっと大きかったよ」と、不思議そうに。
(……余計なお世話……)
ぼくだって好きでチビなんじゃないよ、と膨らませた頬。
此処にレインはいないけれども、空想の翼を広げた世界で、レインに会って。
「チビになってしまったブルー」を、レインの思念で評されて。
(…匂いが違うだけならいいけど…)
今のぼくはチビの子供だもんね、と悲しくなる。
ハーレイがキスもしてくれないほど、小さな子供。
十四歳にしかなっていなくて、背丈も、うんと小さくなった。
前の自分の頃よりも。
風の匂いがしていたという、「ソルジャー・ブルー」だった頃よりも、ずっと。
(……うーん……)
ホントに小さくなっちゃったから、と落とした肩。
チビの子供で、おまけに身体が弱くて、すぐに風邪を引く。
これでは冬になってしまったら、ハーレイと庭に出られる日は…。
(今よりも、ずっと減ってしまって、雪の日だって…)
火鉢で暖を取りながらのお茶は、そうそう許して貰えないだろう。
いくらハーレイのシールドがあっても、前から約束していても。
「雪の中で、お茶がいいんだよ」と、駄々をこねても。
(…この次に、風が鳴ったなら…)
木々の葉っぱは落ちてしまって、冬将軍が来るのだろうか。
今夜は無事に済みそうだけれど、次の時には。
木枯らしという名前の通りに、轟々と風が鳴ったなら。
(……まだ吹かなくていいんだからね!)
風の匂いも要らないからね、とカーテンの向こうを睨み付ける。
まだまだ、秋を楽しみたいから。
ハーレイと二人で庭に出られる季節を、持って行かれたくはないものだから…。
風が鳴ったなら・了
※風の音を聞いたブルー君。木の葉がすっかり落ちてしまったら、少し困ってしまうのです。
ハーレイ先生と庭に好きなだけ出られる季節に、さよならしたくはないですものねv