「…ハックション!」
ブルーの口から飛び出したクシャミ。
何の前触れもなく、突然に。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、お風呂上がりに。
いつものようにパジャマ姿で、チョコンと腰掛けていたベッド。
そこでいきなりクシャミが出たから、驚いた。
(え、えっと…?)
冷えちゃったかな、と見回した自分の部屋の中。
今は秋だけれど、今日の昼間は、暖かすぎるほどだった。
きっとハーレイなら「小春日和」と言うのだろう。
これから寒さに向かう季節に、何故だか春を思わせる陽気。
そういった日を「小春日和」と呼ぶのだそうで、前に古典の授業で聞いた。
(…あの日も、暖かかったから…)
教室もポカポカ暖まっていて、窓辺の生徒は「暑い」と言っていたくらい。
制服のシャツの袖をまくって、半袖にしている男子もいた。
それをハーレイがチラリと眺めて、始めた雑談。
(…英語だと、インディアン・サマー…だったっけ?)
確か、そういう名前だった筈。
地球が滅びてしまうよりも前に、アメリカ大陸で生まれた呼び名。
当時のアメリカに、元から住んでいた人々のことを、インディアンと言った。
(……アメリカは、インドじゃないんだけれど…)
高価な香辛料を求めて、インドに向かって船出していった冒険者たち。
彼らは西へ、西へと懸命に船を進めていった。
香辛料が採れるインドへは、東に行くのが当然のことで、近道だけれど…。
(…地球は丸いから、西へ行っても、グルッと遠回りするだけで…)
必ずインドに辿り着くから、船乗りたちは西に向かった。
そうして大西洋を渡って、見付けた大陸がアメリカだから…。
(住んでいるのはインドの人で、インディアン…)
彼らは全く別の人々、インディアンではなかったのに。
衣服も言葉もまるで別物、大陸だって違う場所だったのに。
ハーレイが学校で教えてくれた、古典とは関係ない話。
小春日和という言葉で始めて、インディアン・サマーを持ち出して。
(…あの話も、面白かったっけ…)
興味津々で聞き入っていた、大勢のクラスメイトたち。
同じ話を歴史の授業で聞かされたならば、みんな退屈したのだろうに。
(…歴史だと、アメリカ発見なだけで…)
黒板にもそういう風に書かれて、それをノートに書き写すだけ。
船乗りたちの冒険談など、誰も夢にも思わずに。
新しい大陸を見付け出すまでに至った理由も、きっとつまらない。
(……香辛料は高いから、って……)
歴史の先生にそう言われたって、「はい、そうですか」としか思わない。
これがハーレイの雑談だったら、誰もが心を躍らせるのに。
西に向かって船出した後、首尾よくインドに辿り着くことが出来たなら…。
(金と同じ値段で取引されてる、胡椒とか…)
シナモンだとかカルダモンだとか、それは色々な名前のスパイス。
船乗りたちはそれを手に入れ、ドッサリと船に積み込める筈。
そうして故郷に戻って来たなら、それらを売って、たちまち大金持ちに。
(おまけに、王様たちが出資してるから…)
地位や名誉も手に入る。
インドに至る航路を見付けた英雄として。
新しい船を建造したいと思ったならば、スポンサーだってつくだろう。
英雄が再びインドを目指して、西へと出航するのだから。
(…考えただけでワクワクするよね?)
それは素晴らしい冒険の旅。
たとえ彼らが行き着いた先が、本物のインドではなかったとしても。
全く別の新しい土地で、後にアメリカと呼ばれる場所でも。
小春日和は、インディアン・サマー。
けれど語源になったインディアンの方は、インドとは違う土地の人。
(確かに地球は、丸いんだけど…)
西へ西へと向かって行ったら、確かに、いつかはインドにも着く。
アメリカ大陸の南の果てを回って、太平洋へと進んだら。
途轍もなく広い大海原を旅して、西へ西へと、幾つもの波を越えて行ったら。
(…そっちだと、世界一周の旅…)
アメリカ大陸が見付かった後に、そちらに挑んだ人々もいた。
「インディアン」たちが住んでいる場所、其処はインドではなかったから。
インドだとばかり思っていたのに、実のところは「新大陸」。
それなら次に目指すべきなのは、本物のインドに辿り着くこと。
丸い地球の上を回って、東とは逆の西に向かって。
インドに行くなら東へ行くのを、「地球は丸い」ことを信じて。
(……海は平らで、端まで行ったら大きな滝になっていて……)
海の果てまで行き着いた船は、落ちるのだと皆が思っていた。
滝に向かう流れに吸い込まれたなら、もはや逃れる術などは無くて。
当時の船は、帆を張って走る帆船。
風の力だけで走る船では、世界の果てから落ちる滝には歯が立たない。
そうだと皆が信じた時代に、西を目指した冒険者たち。
「地球は丸い」という説を頼りに、命を懸けて。
本当に地球が丸いのかどうか、確かめる手段は無かったのに。
人工衛星などは無いから、誰も「地球の姿」を知らない。
それが丸いのか、平らなのか。
西へ西へと旅をしてゆけば、インドに着くとは限らなかった。
乗った船ごと、真っ逆様に滝から落ちてゆくかもしれない。
もしも地球が丸くなければ、世界一周などは出来ずに。
無事にインドに辿り着く代わりに、世界の端から落ちてしまって。
(…それでも旅をして行ったんだよ…)
世界一周をした船乗りたちは…、と遠い昔に思いを馳せる。
インディアンが住む新大陸の端を回って、太平洋という海に出て。
世界の果ての滝を恐れもしないで、本物のインドに辿り着くために。
(凄いよね…)
前のぼくたちの旅より凄かったかも、と傾げた首。
白いシャングリラは地球を求めて、長い長い旅をしたのだけれど…。
(…地球の座標が謎だっただけで、宇宙の何処かに地球があるのは…)
間違いようもない真実。
宇宙の果ては今も謎だけれども、地球に行くには、あの時代でも困らなかった。
広い宇宙の何処であろうと、宇宙船で行ける範囲の宙域。
けして「宇宙の端」から落ちはしないし、そういう意味では安全な旅。
敵は人類だけだったから。
人類軍に船を壊されなければ、いつかは地球に着けるのだから。
(……度胸だけなら、きっと昔の船乗りの方が……)
シャングリラにいた仲間たちより、上だったろう。
いくらハーレイがキャプテンとして優れていたって、宇宙の端から落ちるリスクが…。
(…あるんだったら、地球を探して旅したかどうか…)
どう考えても、危ういと思う。
前のハーレイの最大の務めは、仲間たちの命を守ること。
そのために人類と戦いはしても、冒険の旅には出られない。
宇宙の端から落っこちるかもしれない旅など、白いシャングリラには「させられない」。
確実に地球に着ける航路を見付けなければ、地球には行けない。
昔の船乗りたちと違って、シャングリラだけが「ミュウの未来」を負っていたから。
白いシャングリラはミュウの箱舟、冒険の旅をする船ではない。
人類軍との戦いだったら、ギリギリの賭けをしてはいたって。
今もハーレイが自慢している、三連恒星の重力の干渉点からワープするような。
きっと昔の船乗りの方が度胸があるよ、と眺めた窓の方。
今はカーテンが閉まった向こうに、ずっと先の方に、広がっている筈の地球の海。
遥かな昔に「地球は丸い」と信じた人々、彼らが船で旅をした場所。
地球を一周することは叶わず、世界の果てから落ちる危険があったのに。
(…ホントに凄い…)
尊敬しちゃう、と思った所で、頭を掠めた「小春日和」という言葉。
ハーレイが授業で話してくれた、インディアン・サマーだったのが今日の昼間で…。
(忘れてた…!)
さっきのクシャミ、と竦めた肩。
あれが無ければ、きっと昔の船乗りのことは、思い出しさえしなかった。
本でも広げて読んでいたのか、あるいはのんびり座っていたか。
(…冷えちゃったのかも…)
お風呂に入って温まった身体が、夜になって気温が下がったせいで。
部屋の空気が思った以上に、実は冷たくなっているとか。
(風邪引いちゃったら、とても大変…!)
船乗りの話どころじゃないよ、と慌ててベッドにもぐり込んだ。
「寒い」という気はしないけれども、用心した方がいいだろう。
クシャミが出たなら風邪の前兆、そういったことも少なくはない。
今の生でも身体が弱くて、ふとしたはずみで風邪を引くから。
昼間はポカポカ陽気の日だって、朝晩は油断出来ないから。
(……手遅れじゃありませんように……)
お願いだから、と暖かな布団を肩の上まで引っ張り上げる。
ハーレイの雑談を思い出したせいで、ベッドに入るのが遅れてしまって…。
(風邪を引いたら、本末転倒…)
学校を休む結果になったら、ハーレイの話を聞き損ねる。
そんなのは御免蒙りたいから、願わくば…。
(…誰かが噂を…)
していたんだよ、と思いたい。
クシャミが出たなら、誰かが噂をしているのだ、と聞いたから。
そっちの方なら、さっきのクシャミも安心だから。
(……神様、お願い……)
風邪の方じゃありませんように、と暗くした部屋で目を閉じる。
暖かいベッドでぐっすり眠って、明日は元気に起きたいから。
今のハーレイがしてくれる素敵な話を、学校でも聞いていたいのだから…。
クシャミが出たなら・了
※昼間は小春日和だった日の夜、クシャミが出たのがブルー君。夜は冷えるのかも。
けれど頭は別の方へ行って、ハーレイ先生の雑談を思い出して…。風邪を引きませんようにv
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