(……んーと……)
今は全然大丈夫、と小さなブルーが触った瞼。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
夕食の後に、右の瞳に感じた痛み。
瞬きしたはずみに、なんだかチクリと。
(…多分、小さなゴミ…)
埃か、あるいは見えないくらいに細い糸とか。
そういったものが目に飛び込んだら、思った以上に痛く感じる。
睫毛が入ってしまった時でも、チクチク痛くなるのが瞳。
(擦ったら、余計に痛くなるから…)
上下の瞼を指で押さえて、涙が出てくるまで待った。
そうすればゴミは洗い流せて、不快な痛みも綺麗に消える。
涙で駄目なら、洗面所に行って目を洗えばいい。
(そこまでしなくて済んだんだけどね…)
もうゴミなんかは入ってないし、と触れてみる右目。
ゆっくりのんびりお風呂に入って、今はすっかり気分爽快。
けれど、右目には「思い出」がある。
今日は来てくれなかったハーレイ、とても大切な人に纏わる思い出が。
(…ハーレイと、教室で初めて会った日…)
右の瞳から溢れた鮮血。
その兆候なら、少し前からあったのだけれど。
(入学式の日に…)
校長先生の挨拶で聞いた、「ソルジャー・ブルー」という名前。
ミュウの時代の始まりの人で、ミュウたちを乗せた箱舟を守った大英雄。
「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」は、学校では定番の言葉なのだけれど…。
(…それを聞いたら、ぼくの右の目…)
目の奥が急にツキンと痛んで、血の色をした涙が零れた。
家に帰った後だったから、母たちは気付かなかったけれども。
最初の出血は、入学式の日。
次は「ソルジャー・ブルー」の名が目に入った時、やはり血が出た。
(病気だったら、大変だから…)
両親には隠していたというのに、日が経ってから、母が何気なく語った名前。
「ソルジャー・ブルー」と聞いた途端に、ズキンと痛んだ右目の奥。
右目から流れた赤い血の涙、見ていた両親は驚き慌てた。
直ぐに病院に連れてゆかれて、あれこれと検査を受けたのだけれど…。
(ぼくの目、なんともなっていなくて…)
診てくれた医師は、「聖痕現象」だと告げた。
「ソルジャー・ブルー」の名が引き金になって、傷も無いのに起こる出血。
確たる証拠は今も無いけれど、「ソルジャー・ブルーは撃たれた」という説がある。
メギドを沈めに潜入した先で、人類軍のキース・アニアンに。
(…その傷が、ぼくに出たんだろう、って…)
語った医師は、「生まれ変わりかもしれませんね」と微笑んだ。
「ソルジャー・ブルーに似ているのは、そのせいかもしれませんよ」などと。
それから、こうも付け加えた。
「私の従兄弟に、キャプテン・ハーレイにそっくりなのがいましてね」と。
(ぼくの学校に、転任してくる予定だから…)
出会った時に聖痕現象が起こるようなら、二人とも生まれ変わりだろう、と話した医師。
(ぼくは、ミュウの長だったソルジャー・ブルーで…)
医師の従兄弟は、キャプテン・ハーレイ。
そういう二人が再会するかもしれませんね、と聞かされた話。
半信半疑で聞いていたものの、考えるほどに恐ろしくなった。
自分が自分でなくなるだなんて。
「ソルジャー・ブルー」になってしまうだなんて、恐ろしいだけ。
今の自分がいなくなるなど、想像したくもなかったから。
(…ホントのホントに、怖かったんだよ…)
間違いであって欲しいと思った、聖痕現象。
生まれ変わりだという話。
(でも、それっきり血は出なくなって…)
自分でも忘れかかっていた頃、教室に「ハーレイ」が現れた。
忘れもしない五月の三日に、新しい古典の教師として。
前の学校に欠員が出たせいで、予定よりも遅れて着任して。
(ハーレイが入って来た途端に…)
ズキンと痛んだ右目の奥。
血の色の涙が溢れ出したけれど、右目だけでは済まなかった。
両方の肩に走った激痛、左の脇腹も銃で撃たれたかのように…。
(物凄く痛くて、気が遠くなって…)
スローモーションのように倒れ込んだ床。
そういった時は、時間の流れを、とても長く感じるものだから。
(床に倒れてたら、ハーレイが来て…)
強い腕で抱き起された瞬間、忘れていた「全て」を思い出した。
遠く遥かな時の彼方で、自分は何と呼ばれていたのか。
ハーレイは、自分の「何」だったのかを。
膨大な量の記憶が交差し、絡み合うように混じったハーレイの「想い」。
前の生で誰よりも愛した恋人、その人と巡り会えたと分かった。
もう会えないと思ったのに。
メギドで命を終えた時には、「ハーレイとの絆が切れてしまった」と泣いたのに。
最後まで持っていたいと願った、ハーレイの温もりを失くしたから。
右手が冷たく凍えてしまって、温もりは二度と戻って来てはくれなかったから。
右目の痛みは、「ハーレイ」を連れて来てくれた。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
気絶するほどだった酷い痛みも、「そのため」だと思えば苦にもならない。
あれに比べれば、目の中にゴミが入ったくらいは…。
(痛いなんて言ったら、神様に叱られちゃうかもね?)
でも痛いものは痛いんだよ、と触れてみる右目。
前の生の最後に、キースの銃で砕かれてしまった瞳の場所を。
(……ハーレイ、今でも怒ってるんだよ……)
「ソルジャー・ブルー」を撃ったキースを。
許す気などは全く無くて、「キース」という名の朝顔さえも憎むほど。
「キース・アニアン」と名付けられた品種の、秋になっても咲く朝顔を。
(…道路まで蔓を伸ばして来たなら、花を八つ裂き…)
そんなことまで口にしていた。
本気で八つ裂きにするかはともかく、「キース嫌い」に間違いはない。
(…キースがいなくて良かったよね…)
クラスメイトの中の誰かが、偶然、キースに似ていただとか。
学校の先生たちの一人が、生まれ変わりかと思うくらいにそっくりだとか。
(……うーん……)
そうなっていたら、どうだったのかな、と考えてみる。
周りに「キースにそっくりな人」が、いたならば、と。
(…ぼくの聖痕……)
ハーレイは「事故だ」と思ったらしくて、肝を潰したと聞かされた。
あの時、交差した記憶の中には、「メギドでのこと」は無かったらしい。
後になってから話して聞かせたせいで、ハーレイの「キース嫌い」は悪化した。
前の生でも憎んではいても、今よりは遥かにマシだったという。
(…ぼくとハーレイが再会した場所、ぼくの教室だったから…)
キースに似ている人はいなくて、メギドでの記憶も伝わらなかった。
けれども、何処かの街角などでバッタリ再会していたら。
「大丈夫ですか!?」と取り囲む人々の中に、「キースに似た人」がいたならば…。
(…メギドのこと、思い出しちゃって…)
ハーレイの心にも「それ」が伝わり、キースへの憎しみが噴き上げたろうか。
偶然、その場に居合わせた人は、「キース」とは全く違っていても。
他人の空似で似ているだけの、赤の他人に過ぎなくても。
(……まさかね?)
いきなり殴りはしないと思う。
何処の誰かも尋ねもしないで、「貴様!」と怒鳴って、掴みかかることも。
(…でも……)
きっと不機嫌にはなることだろう。
「キースに良く似た誰か」が進んで、応急手当てをしてくれても。
救急車を呼びに全力で走って、息を切らして戻って来ても。
どんなに「いい人」で「優しい人」でも、「キースを思い出させる」から。
「こいつが、ブルーを撃ったんだ」と、憎む心が生まれるから。
(……再会の場所って……)
大事だよね、と零れた溜息。
学校の教室で再会したから、とても平和に流れた時間。
ハーレイにとっては「気が気ではない」時間でも。
「もう一度、ブルーを喪うのでは」と、生きた心地もしていなくても。
(…救急車の中で、ぼくに「頑張れ」って…)
手を握り締めて、何度も叫んでいたらしいハーレイ。
けれど、「そのこと」に専念できた。
憎いキースを恨む代わりに、「恋人の無事」だけを祈って。
再会した場所に「キース」そっくりの人が一人もいなかったから。
救急車を見送る先生の中にも、「そっくりさん」は誰もいなかったから。
(…繁華街とかだったら、危なかったかも…)
人が大勢行き交う場所なら、「キース似の人」もいるかもしれない。
キース似の人が手を貸してくれても、ハーレイは嬉しくなかっただろう。
「なんだって、こいつに助けられねばならんのだ!」と。
他人なのだと分かっていたって、救急車の中でも、イライラとして。
(……八つ当たり……)
朝顔の「キース・アニアン」にだって、八つ当たりするのが今のハーレイ。
だから教室で良かったと思う、再会の場所。
其処に「キース」はいなかったから。
せっかく巡り会えた感動の場所に、苛立ちが生まれはしなかったから…。
再会の場所って・了
※もしもハーレイ先生と再会した場所に、キース似の人がいたならば…。大変だったかも?
ブルー君の考え、間違っていないかもしれません。朝顔の話は『秋の朝顔』からです。