(……地球だよね……)
地球なんだよね、と小さなブルーが思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今の自分は「地球」の住人。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が焦がれ続けた夢の星、地球。
気付いたら、其処で暮らしていた。
すっかり小さな子供になって、血の繋がった両親までがいて。
その上、再び出会えたハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
もう会えないと思ったのに。
ハーレイとの絆は切れてしまって、それっきりになる筈だったのに。
(…ぼくの手…)
前の生の最後に凍えた右の手。
最後まで持っていたいと願った、ハーレイの温もりを落として、失くして。
キースに撃たれた酷い痛みが、大切な温もりを消してしまって。
(……あの時、メギドで……)
命の灯が消えてゆく時、想っていたのはハーレイのこと。
「ハーレイとの絆が切れてしまった」と、泣きじゃくりながら。
二度と会えない人を想って、それでも最期まで祈り続けた。
白いシャングリラが、無事に地球まで辿り着けるよう。
ミュウの仲間を乗せた箱舟、白い鯨が夢の星まで行けるようにと。
それが「自分」の最期の願い。
命の終わりに祈ったこと。
「どうか、地球まで」と、仲間たちのことを。
その仲間たちを乗せている船、シャングリラを預かる恋人の無事を。
そうして終わった、前の生。
メギドの爆発に巻き込まれたのか、それよりも前に命尽きていたか。
自分でも、まるで思い出せない。
深い悲しみに沈んでいたから、それどころではなくて。
「ハーレイの温もりを失くしてしまった」と、自分のことだけで精一杯で。
(……それでも、船のみんなの幸せ……)
それを祈れたのは、流石だと思う。
三百年以上もの長い年月、「ソルジャー」だったからこそだろう。
今の小さなチビの自分には、逆立ちしたって出来ないから。
「ハーレイに会えなくなっちゃった」と泣き叫ぶだけで、滝のように涙が溢れるだけで。
(…前のぼくは、大英雄だから……)
そう呼ばれている「ソルジャー・ブルー」。
ミュウの歴史の始まりの人で、とても偉大なソルジャーだった、と。
それだけのことはあったのだろう、と自分でも分かる「前の自分」の強さ。
今の自分は「持っていない」もの、とても敵いはしないもの。
けれど、自分は地球まで来た。
前の自分は夢に見るだけで、最後まで辿り着けなかった星に。
青く輝く水の星まで、気の遠くなるような時を飛び越えて。
十四歳の「地球の住人」になって、ハーレイとも再び巡り会えて。
(……ズルをして、地球に着いちゃった……)
神様の御褒美なんだけどね、と右手でそっと右目を覆ってみる。
ほんの一瞬、ふうわりと。
前の生の最後に砕けてしまった、赤い瞳があった所に。
(キースが、最後に撃ち込んだ弾……)
それが砕いた、前の自分の右の瞳。
視界が赤く染まった時には、もうハーレイの温もりは消えていたろうか。
あるいは瞳が砕けた瞬間、儚く消えていったのだろうか。
(……分かんないよね……)
メギドを沈めることだけが目当て、そういう「時」が流れる中では。
目の前のキースに邪魔をされずに、忌まわしい兵器を破壊しようとしていたから。
(自分のことなんか、後回しで…)
何も考えずに戦い続けて、気付いた時には「無かった」温もり。
右手から消えて失せてしまって、もう欠片さえも。
ハーレイの腕に最後に触れた時から、しっかりと持っていた筈なのに。
深い悲しみと、それから絶望。
底さえ見えない闇の淵に落ちて、次に瞳が開いた時には…。
(……右目から、赤い血の涙……)
前の自分の涙の代わりに、赤い鮮血が滴り落ちた。
少し前から、その兆候はあったのだけれど。
(…病院に連れて行かれちゃって…)
検査をされて、「異常なし」だと言われた右目。
それが「ハーレイ」と出会った途端に、血の色の涙を溢れさせた。
両の肩からも、左の脇腹からも、流れ出した血。
「前の自分」がキースに撃たれた、傷そのままに。
身体には何の傷も無いのに、まるで大怪我をしたかのように。
「聖痕」と診断されている「それ」は、神が与えてくれたもの。
またハーレイに会えるようにと、この身に深く刻み込んで。
前の自分が英雄だったから、今の自分は地球に来られた。
夢だった星に、ハーレイと二人で生まれて来て。
青い地球の上で生まれ育った、十四歳の少年になって。
(…シャングリラのみんなは、青い地球には…)
行けずに終わっちゃったんだよ、と「今の自分」は知っている。
シャングリラは地球まで行ったけれども、「青い星」は何処にも無かったから。
青い地球が浮かんでいる筈の座標、其処に在ったのは死の星だった。
赤黒い星に見えたくらいに、赤茶けた砂漠に覆われて。
地上の七割を占めている海は、毒素を含んで死に絶えたままで。
(……前のぼくは、何も知らなくて……)
だから最後まで夢を見ていた。
「地球を見たかった」と、涙したほどに。
船の仲間を守るためには、夢は捨てねばならないものでも。
「ソルジャーの務め」を果たすためには、地球は諦める他は無くても。
(…せっかく、ナスカまで行けたのに…)
思いがけなく長生きが出来て、地球までの旅路の途中で目覚めた。
そのまま船に乗っていたなら、いつか地球まで着けそうな旅。
(……だけど、その旅……)
自分が座して「何もしなければ」、ナスカで終わってしまうのだろう。
「地球の男」が戻って来たなら、きっと船ごと沈められて。
それならば、夢は捨てねばならない。
どれほど「地球」を見たくても。
「いつか肉眼で見たい」と焦がれ続けた、夢の星が旅の先に在っても。
そう思ったから、シャングリラを後に飛び立った。
「皆が、地球まで行けるように」と。
自分の夢は叶わなくても、仲間たちの未来を切り拓かねば、と。
(…前のぼくの夢は、其処で終わって…)
それきりになる筈だった。
ハーレイとの絆も切れてしまって、独りぼっちになってしまって。
けれども、夢は終わらなかった。
終わるどころか、思いがけない「続き」があった。
知らない間に「地球」に来ていて。
ハーレイまでが「地球」に生まれて来ていて、また巡り会えて。
(…地球を一目でも見られたら…)
もうそれだけで充分なのだ、と前の自分は思っていた。
幾つもの夢を抱いていた星には、「もう行けない」と悟った時に。
寿命の終わりが見えて来た時、地球への旅は始まってさえもいなかったから。
(…ハーレイと、地球でやりたかったこと…)
本当に幾つもあったのだけれど、それは諦めて「見たい」とだけ。
青い水の星を一目見られたら、夢は叶ったと言えるのだろう、と。
(だけど、終わらなかったんだよ…)
終わりなんかじゃなかったんだよ、と今だから分かる。
夢の終点ではなかった「地球」。
銀河の海に青く輝く、一粒の真珠。
蘇った青い水の星の上で、夢は今でも続いている。
前の自分が夢見たものより、ずっと大きく、果てしなくなって。
尽きることなく広がり続けて、どんどんと夢が増え続けて。
(……今度は、結婚出来るんだから……)
ハーレイの「お嫁さん」になれるんだから、と胸が温かくなる。
いつか迎える結婚式の日、それが「一番、大きな夢」。
とはいえ、「今の時点で」のこと。
結婚式を挙げた後には、また次の夢があることだろう。
「これが一番、大きな夢だよ」と思えることが。
夢が叶う日を指折り数えて、未来に向かって首を長くして「待つ」何かが。
(……それって、どんな夢なのかな?)
夢は一杯あるんだけどな…、と考えてみる。
今のハーレイと約束したこと、「青い地球の上で」叶える夢の数々。
前の生で交わした約束もあれば、新しく交わした約束だって。
(…五月一日に、森のスズランを摘みに行くのも…)
ヒマラヤの青いケシを見に出掛けるのも、前の生から続く約束。
それらは全て叶うのだろう。
前の生では「何処にも無かった」、青い地球の上で。
蘇った青い水の星の上で、ハーレイと叶えてゆけるのだろう。
他にも「今だからこそ」の夢。
幾つも幾つも交わした約束、これからも、きっと増えてゆくから…。
(……地球に着いたって……)
ぼくの夢、少しも終わらないよね、と浮かべた笑み。
前の自分が「夢にも思わなかったこと」。
一目だけでも地球を見られたら、それだけでいいとまで考えて。
「それで充分だ」と思っていたのに、尽きるともさえ思えない夢。
青い地球まで、やって来たから。
ハーレイと二人で、幸せに生きてゆけるのだから。
まずは最初の夢を叶える。
今の自分の「一番、大きな夢」を、この地球の上で。
ハーレイとの結婚式を迎えて、幸せな誓いのキスを交わして…。
地球に着いたって・了
※前のブルーの夢は「地球に行くこと」。寿命の終わりを悟ってからは、一目、見ること。
けれども「地球に着いた」今でも、夢は終わりではないのです。まだまだ、これからv