(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
寄ってくれるかと思ったんだけどな、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は平日、学校で普通に授業があった日。
ハーレイは仕事があった日なのだし、そうそう帰りに寄ってはくれない。
けれど、期待をしてしまう。
「今日はどうかな?」と、壁の時計を眺めて。
もう来てくれない時刻になるまで、何回となく。
(……今日は、駄目な日……)
会議があったか、柔道部の部活が長引いたのか。
それとも他の先生たちと、食事に出掛けて行っただろうか。
ハーレイの愛車に、他の先生たちが乗り込んで。
この時間にも何処かで食事か、ハーレイ以外はお酒を飲んでいるだとか。
(…仕方ないけどね…)
ぼくはハーレイの家族じゃないもの、と落とした肩。
この家だって、ハーレイの家とは違うから。
(……ぼくがハーレイのお嫁さんなら……)
食事に行かずに帰って来るよね、と思ってしまう。
もしも出掛けて行ったとしても、早めに帰って来ることだろう。
まだ続いている酒宴を抜けて、「お先に」と。
奥さんや子供がいる先生なら、そういう人も多いだろうから。
(ハーレイ、独身なんだもの…)
引き留められても困りはしないし、周りだってそう思っている。
一番最後まで皆と残って、最後は「送り届ける」役目、と。
ハーレイから何度も聞いているから。
「俺は、みんなを送って行くんだ」と、片目を瞑って。
皆がお酒を飲んでいたって、ハーレイは「送る役目」が好き。
お酒なんかは一滴も飲まずに、前のハーレイのマントの色の愛車で。
もう路線バスは走っていない時間に、一緒に出掛けた先生たちを何人も乗せて。
そういう役目のハーレイだけれど、いつかは変わることだろう。
チビの自分が大きく育って、結婚できる年になったら。
(ウェディングドレスもいいけど、白無垢もいいよね?)
迷っちゃうよね、と思う花嫁衣裳。
それを纏って結婚式を挙げて、ハーレイの「お嫁さん」になったら。
ハーレイの家で一緒に暮らして、「いってらっしゃい」と送り出す時が来たなら。
(……家では、ぼくが待ってるんだから……)
食事は断って真っ直ぐ帰るか、あるいは早めに切り上げて来るか。
どっちにしたって、遅い時間にはならないだろう。
「おかえりなさい!」と迎えるのは。
ハーレイの車がガレージに入って、玄関の扉が開くのは。
(だけど、今だと…)
まるで関係ないのが自分。
此処でションボリ項垂れていても、ハーレイが気付くことはない。
「寂しがってるかな?」と思いはしても、それだけのこと。
酒宴を抜けて、此処に帰って来はしないから。
ハーレイが帰るのは「自分の家」で、何ブロックも離れた所。
何時に其処に帰り着こうと、ハーレイの自由。
たとえ日付が変わる頃でも。
もっと遅くに帰っていたって、チビの自分は無関係。
ハーレイが帰ったことさえ知らずに、この部屋で眠っているだけだから。
「ただいま」の声は聞こえもしなくて、ハーレイの家のドアが開くだけ。
そしてパタンと再び閉まって、やがて灯りが消えるのだろう。
ハーレイがお風呂に入ったら。
明日の仕事の準備を終えて、「そろそろ寝るか」と思ったなら。
今の自分は、ハーレイを家で迎えられない。
「おかえりなさい」と言えはしないし、朝だって笑顔で送り出せない。
その日が来るのは、まだずっと先で、何年も待つしかないのだけれど…。
(……ちょっと待ってよ?)
ハーレイの年は、三十八歳。
前のハーレイよりは遥かに若いのだけれど、とうに結婚していたとしてもおかしくない。
その上、昔はモテたのだと聞いた。
柔道と水泳の選手だった頃には、「プロの選手にならないか」と誘われたほど。
大勢の女性ファンに囲まれ、花束だって貰っていた。
もしも「その中の誰か」と気が合い、お付き合いをしていたならば…。
(…とっくの昔に…)
プロポーズして、結婚していたことだろう。
子供部屋までついている家を、ハーレイは持っているのだから。
この町で教師の職に就く時、隣町に住むハーレイの父に買って貰って。
(……お嫁さんを貰っちゃったら、じきに子供も……)
生まれていたのに違いない。
とても可愛い女の子だとか、ハーレイに似てヤンチャな男の子とか。
(…ハーレイ、絶対、可愛がって…)
目の中に入れても痛くないほど、子供たちを愛したことだろう。
もちろん、妻になった女性も。
食事の誘いがあった時にも、「早く帰らないと」と言い出すほどに。
三度に一度は断るだとか、最初から行きもしないくらいに。
(…奥さんも子供も、大切だもんね…?)
きっとハーレイなら、いい父親になるのだろう。
最高の夫で、最高のパパ。
そうなっていても、何の不思議もない。
今のハーレイの年ならば。
三十八歳にもなっているなら、奥さんも、それに子供もいても。
(……もしも、出会うのが遅すぎたなら……)
ハーレイとの再会が遅れていたなら、ハーレイには家族がいたろうか。
隣町に住む両親の他にも、妻や子供たちが。
一度だけ遊びに出掛けたあの家、あそこに住んでいる人たちが。
(…ハーレイが、パパになっちゃってたら…)
子供はまだでも奥さんがいたら、いったい、どうなってしまったのだろう。
忘れもしない五月の三日に、あの教室で再会したら。
右の瞳や両肩や脇腹、聖痕から血が溢れ出したら。
(……ぼくとハーレイの、記憶は戻って来るけれど……)
前の生での恋だって思い出すのだけれども、その恋はもう続きはしない。
ハーレイには妻がいるのだから。
もしかしたら子供も待っている家に、帰ってゆくのがハーレイだから。
(…聖痕が出た日に、夜にお見舞いに来てくれたけど…)
その時に告げた「ただいま」の言葉。
「帰って来たよ」と微笑み掛けたら、ハーレイは抱き締めてくれたのだけれど。
(……奥さんや子供が待ってるんなら……)
ハーレイの顔に浮かんでいたのは、濃い途惑いの色だったろうか。
いくら恋人と再会したって、恋を育めはしないから。
「すまん」と詫びて帰ってゆくのが、今のハーレイには似合いだから。
(…ぼくなんかと、恋をしてるより…)
もっと大切な妻や子供が、ハーレイの帰りを待っている。
学校で起きた事件のことも、きっと知らせているだろうから。
「病院に運ばれた生徒がいるから、見舞いに行ってから家に帰る」と。
(……奥さんも子供も、待ってるんだし……)
ハーレイは急いで帰らなくては。
聖痕で倒れた「生徒」の無事を確認したら。
それが「かつての恋人」でも。
前の生から愛し続けた、愛おしい人の生まれ変わりでも。
そうなっていたら、きっと自分も、ハーレイを止めることは出来ない。
「俺には妻と子供がいるんだ」と打ち明けられたら、何も言えない。
どれほどハーレイのことが好きでも、「そんな人たち、放っておいてよ」なんて酷い言葉は。
「ぼくだけを見て」などという我儘も、「ぼくだけのハーレイに戻ってよ」とも。
そう言いたくても、遅すぎるから。
ハーレイにとっては妻も子供も、とても大切な存在だから。
(……もしも出会うの、遅すぎたなら……)
そうなっちゃっていたのかも、と震わせた肩。
青い地球の上で再会したのに、もう、この恋に望みは無くて。
どんなにハーレイの側にいたくても、其処には別の人たちがいて。
(…学校に行ったら、ハーレイ先生に会えるんだけど…)
それだけのことで、もう「ハーレイ」は手に入らない。
たとえ大きく育っても。
前の自分と同じ背丈に育ったとしても、花嫁になれる日は来ない。
もうハーレイには「お嫁さん」がいて、子供だって生まれているのだから。
誠実で優しい「ハーレイ」ならば、家族を捨ててしまいはしない。
それに自分も、そんなことなど望みはしない。
今のハーレイの家族を壊して、代わりに自分が入り込むなど。
妻や子供を放り出させて、あの家で暮らしてゆくことなんて、とても出来ない。
きっとハーレイは悲しむから。
「ブルー」を愛する気持ちはあっても、妻や子供を忘れることなど、有り得ないから。
(…そうならなくって、ホントに良かった…)
良かったよね、と撫で下ろした胸。
もしも出会いが遅すぎたなら、悲劇が待っていただろうから。
ハーレイが好きでたまらなくても、涙を堪えて諦めなければならない道が…。
遅すぎたなら・了
※ブルー君が考えてしまったこと。「ハーレイと出会うのが遅すぎたなら」と。
ハーレイ先生に奥さんや子供がいたなら、諦めるしかないのが恋。悲しすぎますよね。