(…明日は、あいつに会えるんだ)
そして一日一緒なんだぞ、とハーレイの唇に浮かんだ笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日は金曜、明日は土曜日。
何も用事は入らなかったし、明日も明後日も、ブルーと過ごせる。
朝食が済んだら、時計を見ながら家を出て。
早く着き過ぎてしまわないよう、途中で時間の調整もして。
(…ミーシャに会いに行ってくるかな)
ちと早すぎるようならな、と思い浮かべる顔馴染みの猫。
ブルーの家への道筋ではなく、回り道すれば出会える知り合い。
のんびり日向ぼっこをしていたならば、「元気だったか?」と撫でてやる。
(本当の名前は知らないんだが…)
猫はどれでもミーシャなんだ、と一人、頷く。
子供時代に母が飼っていた猫が、そういう名前だったから。
甘えん坊だった白いミーシャを、出会った猫に重ねるから。
(ミーシャの話は、ブルーも好きだし…)
道中で出会った「別のミーシャ」でも、顔を輝かせるのがブルー。
「今日もいたの?」と嬉しそうに。
元気に日向ぼっこだったか、尋ねたりもして。
(ミーシャの話でなくてもだ…)
どんな話でも、ブルーは喜ぶ。
見て来た花の話であっても、行き会った人の話などでも。
(デートには、まだ行けないからなあ…)
恐らくデートの気分なんだな、と想像がつくブルーの反応。
恋人が何を目にして来たのか、何をしたのかと知りたがって。
自分も一緒に「それ」を見ていたり、体験してきたつもりになって。
ブルーに自覚は無いけれど。
ただ好奇心に煌く瞳で、「それで?」と促すだけだけれども。
いずれにしても明日は休日、ブルーと二人。
もう楽しみでたまらないから、自然と頬が緩んでしまう。
ブルーに会ったら何を話そうか、何をしようかと考えては。
(…前の俺たちのことを思い出したら…)
それをブルーと話すのもいい。
何かのはずみにポンと出て来る、前の生での二人の思い出。
恋人同士になる前だったり、とうに恋人同士だったり、それこそ色々。
三百年以上も共に過ごして、同じ船で生きた二人だから。
(…俺が思い出しても、あいつの方は忘れたままで…)
キョトンとしたりもするブルー。
思い出の欠片を話してやっても、ピンと来なくて。
「何の話?」と不思議そうだったり、首を傾げて考え込んだり。
(あいつが忘れちまっているのを、せっせと話してやったなら…)
その内にブルーも思い出すから、大いに話が弾むもの。
「あんなこともあった」と、昔話に花を咲かせて。
白い鯨の時代だったり、改造前の船の頃だったりも。
(俺がキャプテンになっていなくて…)
厨房にいたり、備品倉庫の管理人を兼任していたり、そんな思い出話も多い。
「キャプテン・ハーレイ」とは限らないのが、時の彼方の自分だから。
(……役職名は何も無かったんだが……)
あえて言うなら主任調理師、そういう仕事だっただろうか。
厨房の責任者とも言ってよかったし、実際、それに近かったから。
(主任調理師なあ…)
今も料理は好きなんだがな、と可笑しくなる。
一人暮らしが長いけれども、料理で苦労したことは無い。
あれこれ工夫を凝らすのが好きで、レパートリーを増やすのも趣味。
珍しい料理を食べた時には、その場でレシピを訊いたりもして。
本で目にしただけの料理でも、興味が湧いたら作ってみて。
(…宇宙船を操縦したいとは思わないんだが…)
料理好きの方は「前の俺」だな、と苦笑する。
記憶がすっかり抜け落ちていても、子供の頃から好きだった料理。
母の手伝いでキッチンに立って、菓子や料理をせっせと作った。
普通だったら、スポーツをやるような男児は料理しないのに。
(…弁当は作って貰うもので、だ…)
家で食べるのも、空腹を満たすためにだけ。
量が第一、それが好物ならもっといい、という程度の人種がスポーツ少年。
けれど自分は違っていた。
「一緒に作る!」とエプロンまでつけて、キッチンに母と二人で立った。
最初の頃には慣れない手つきで、下手な包丁さばきながらも。
きちんと時間を見ていたつもりが、ウッカリ鍋を焦がしていても。
(…前の俺が何処かにいたんだろうなあ…)
忘れててもな、と見詰める自分の両手。
白いシャングリラの舵は忘れても、「料理する」ことは忘れなかった。
多分、ブルーのためだったろう。
厨房で料理していた頃には、いつもブルーを思っていた。
恋人として「想う」のではなく、船で一番のチビの身体を気遣って。
とにかく栄養をつけて欲しいと、もっと沢山食べて欲しいと。
(あいつ専用に試作してみたり、特別に少し作ったり…)
どれほどブルーを甘やかしていたか、分からないのが厨房時代。
他の仲間には内緒の食事を、こっそりと取っておいたりもした。
誰も欲しがらない非常食でも、ブルーは喜んでくれたから。
(ちょいと温めて食えるってトコが…)
便利な非常食だったけれど、船の仲間たちは興味など無い。
同じ料理ならば出来立てが良くて、食堂で食べたいものだけに。
(だから一つだけ貰っておいて…)
部屋でブルーに御馳走していた。
「しっかり食えよ」と、小さな身体を育てるために。
その記憶だけが何処かに残って、今の自分も料理好きなのに違いない。
いつか出会うだろうブルーのためにと、せっせと磨き続けた腕。
いずれ出番が来るのだけれども、まだ何年も先のこと。
十四歳にしかならないブルーは、結婚出来はしないから。
(うんと待たされちまうんだが…)
そいつも含めて楽しみなんだ、と思うのが未来。
ブルーと巡り会えたお蔭で、幸せが増えてゆく人生。
時が先へと流れてゆくほど、幸せの数はぐんぐん増える。
今はブルーの家を訪ねて行くのが精一杯でも、もう何年か経ったなら…。
(あいつと同じ家で暮らして、何処へ行くのも二人一緒で…)
もう毎日がデートのような甘い生活が訪れる。
前の生では夢だったことが、どれも端から現実になって。
「ブルーと二人で、青い地球で暮らす」夢が立派に実現して。
(……いいもんだよなあ……)
何年でもゆっくり待てるってもんだ、と思った所で気が付いた。
こうしてブルーと出会えたけれども、もしも出会えなかったなら、と。
ブルーも自分も出会わないまま、記憶も戻らずじまいだったら、と。
(…そうなっていたら…)
今の自分は、単なる料理好きに過ぎない。
ブルーのためにと磨き続けた料理の腕さえ、違う所で披露して。
顧問をしているクラブの生徒を家に呼んでは、「遠慮なく食え」と。
(…あいつを覚えていないんじゃあ…)
そうなるよな、と容易に分かる人生。
今と同じに「ハーレイ先生」と呼ばれてはいても、料理が上手いだけの先生。
柔道と水泳の腕はプロ級、それなのに「料理の腕もいい」と。
「ハーレイ先生の料理は美味しいですね」と、家に来たがる生徒が増えて。
(…俺の方でも、そういうモンだと思ってて…)
満足の人生なのだろう。
部員たちに料理を御馳走しながら、休日や長い休みを過ごして。
ブルーを思い出しもしないで、もしかしたら誰かと結婚までして。
(……うーむ……)
そいつはキツイ、と今更ながらに思ったこと。
どんなに幸せな人生だろうと、今が無かったら、きっと何処かが欠けたまま。
自分では全く気付かなくても、大満足の人生でも。
前の自分よりも長い生を生きて、大往生を遂げたとしても。
(…天国って所に着いた途端に…)
思い出すのだろうか、自分が本当は誰だったのかを。
それともブルーに出会うのだろうか、その天国という場所で。
(あいつはあいつで、別の人生を生きた後だとしても…)
天国で顔を合わせたならば、お互いに思い出すのだろう。
そうして後悔するのだろうか、「忘れてしまって」生きていたことを。
前の生とは全く違った、それは素敵な人生でも。
不幸の影など欠片も見えない、誰が見たって「最高だ」と思う生涯でも。
(…こう、人生の重みってヤツが…)
まるで違うぞ、と思う「思い出した人生」と「忘れたままの人生」。
どちらがいいかと尋ねられたら、迷うことなく「今」と答える。
小さなブルーが育つのを待つのが、もう何年も続こうとも。
二人きりで暮らし始めるまでには、まだ待たされる人生でも。
(…今の人生じゃなかったら…)
何の意味もありやしないんだ、と心はブルーの許へと飛ぶ。
ブルーと出会った「今」が無かったら、自分は「ただのハーレイ先生」。
運動をやる人間にしては、珍しく料理が好きな教師で。
家に招いた教え子たちから、料理の腕を称賛されて。
(…そうなっちまっていたんだなあ…)
今が無かったら、と気付かされたから、明日はブルーとゆっくり過ごそう。
お互いに「思い出した」からこそ、明日は二人で話せるから。
思い出さないままだったならば、天国でブルーと再会した時、きっとガッカリする筈だから。
(あいつのいない人生なんて…)
味気ないぞ、とコーヒーのカップを傾ける。
「今が無かったら、とんでもないな」と心の中で呟いて。
ブルーがチビになっていたって、「今の人生こそが最高なんだ」と…。
今が無かったら・了
※もしもブルー君と出会えなかったら、ハーレイ先生はどういう人生だったのか。
充実した人生を送っていたって、それは何処かが欠けた人生。ブルー君がいてこそ人生ですv
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