(……ハーレイのケチ!)
今日も酷い目に遭っちゃった、と小さなブルーが尖らせた唇。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は休日、午前中からハーレイが訪ねて来てくれた。
いい天気だから車に乗らずに、運動を兼ねて歩いて来て。
そうして二人で過ごしたけれども、今日も貰えなかったキス。
「ぼくにキスして」と注文したのに、貰えたキスは頬へのもの。
唇にキスが欲しいのに。
恋人同士のキスが欲しいというのに、キスはいつでも額と頬に貰えるだけ。
「キスは駄目だ」と、「俺は子供にキスはしない」と断られて。
(…ハーレイ、ホントにケチなんだから…!)
前の自分と同じ背丈に育たない限りは、貰えないのが唇へのキス。
あの手この手で頑張ってみても、まるで取り合っては貰えない。
それに叱られたりもする。
鳶色の瞳で睨み付けられて、「キスは駄目だと言ったよな?」と。
今日もハーレイは睨んで来たから、負けじとプウッと膨れてやった。
両方の頬っぺたに空気を詰めて。
不満たらたらの顔で見詰めて、「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って。
けれど、ハーレイには無かった効き目。
「おっ、フグか?」と言われた頬っぺた。
大きな両手が伸びて来たかと思うと、もうペッシャンと潰されていた。
膨らませた頬を、ハーレイの手で。
「フグがハコフグになっちまったぞ」と、それは可笑しそうに。
(…ハコフグだなんて…)
酷すぎるってば、と思うけれども、ハーレイはそう決め付けている。
唇を尖らせて膨れているのを、押し潰したらハコフグだと。
海に棲んでいるハコフグの顔と、恋人の顔を重ね合わせて。
(…あんまりだよね…)
普通は言わないと思う、と溜息が零れるハコフグ呼ばわり。
恋人に向かって言いはしないと、「ぼくはホントに子供扱い」と。
今のハーレイは三十八歳、今の自分は十四歳。
親子と言っても通るくらいに年が違うし、子供扱いも仕方ないとは思う。
でも「ハコフグ」はあんまりだろう。
「フグ」と呼ばれるのも、「ハコフグ」の方も、とても恋人につける渾名ではない感じ。
ハーレイは、そう呼ぶけれど。
頬っぺたをプウッと膨らませる度に、フグと呼ばれて、ハコフグにされることもしばしば。
なんとも酷い今のハーレイ、前のハーレイとは、まるで違って。
前のハーレイは優しかったのに。
けして苛めはしなかった上に、睨み付けたりもしなかったのに。
(…今だと、ぼくがキスを強請ったら…)
たちまち険しくなる眼光。
「キスは駄目だと言ってるよな?」と、ギロリと睨み付けられる。
チビのくせに、と腕組みまでして叱る日だって。
(…だけど、ハーレイが睨んでたって…)
ちっとも怖くないんだから、と勇ましい気分。
これが学校だと、ハーレイにジロリと睨まれた生徒は大慌てだけれど。
授業中にしていた居眠りだとか、宿題を忘れて来ただとか。
睨まれる原因は実に色々、誰もが「すみません!」と頭を下げる。
より酷いことにならないように。
「居眠りしていた」罰で、とんでもない難問を解かされたりしたら大変だから。
宿題を忘れてしまった罰で、宿題のオマケを貰うのも。
(…みんな真っ青なんだけど…)
ぼくは少しも怖くないよ、と皆の前で威張りたいくらい。
どんなにハーレイが睨んでいたって、負けて逃げ出したりしない。
尻尾を巻いて逃げる代わりに、いつも正面から受け止める。
「ハーレイのケチ!」と、唇を尖らせて。
頬っぺたに不満を一杯に詰めて、はち切れそうなほどに膨らませて。
(…頬っぺた、潰されちゃったって…)
負けないもんね、と自負している。
ハーレイなんかに負けはしないと、けして白旗を揚げはしないと。
なんとも酷い恋人だけれど、睨み付けられたら、膨れてやるだけ。
「ごめんなさい」と言いはしないし、謝りもしない。
悪いのは、ハーレイの方だから。
恋人がキスを強請っているのに、知らんぷりをするケチだから。
(…それに、怖い目で睨んでたって…)
ハーレイなんか怖くないから、と自信を持って言い切れる。
鳶色の瞳が鋭い時でも、せいぜい「ハコフグにされる」だけ。
頬っぺたを両手でペシャンコにされて、ハーレイに散々笑われるだけ。
それ以上のことは起こりはしなくて、こうして怒っているだけで済む。
「ハーレイのケチ!」と、もうハーレイは帰った部屋で。
(睨み付けたら、ぼくが怖がると思ってるわけ…?)
甘いよね、とフンと鼻を鳴らした。
睨み付けられたら怖い人なら、他にいるから。
もう大慌てで「ごめんなさい!」と謝らなければ、大変なことになる人が。
(…パパに叱られちゃった時…)
父は滅多に叱らないけれど、叱る時は理由があるけれど…。
(……睨み付けられたら、謝らないと……)
それなりの罰が待っている。
優しい父が寄越す罰だし、それほど酷いものではなくても。
「明日のおやつは半分だな」とか、「おやつは抜きで、食事を多めに食べろ」とか。
そんな具合の罰だけれども、チビの自分には、充分、怖い。
いつも楽しみにしているおやつが、半分だけになるなんて。
半分どころか、おやつが抜きになるなんて。
(…パパの罰は、ホントに怖いから…)
叱られたら、きちんと謝らないと、と心得ている。
父に向って膨れはしない。
「パパのケチ!」などと言おうものなら、おやつは当分、抜きだろう。
来る日も来る日も食事ばかりで、母のケーキは食べられないで。
ケーキはもちろん、プリンもクッキーも、ほんの小さなキャンディーだって。
だから父には膨れたりしない。
母に叱られた時も同じで、「ごめんなさい!」と直ぐに謝る。
そうそう叱られはしないけれども、叱られるからには、悪いのは自分。
ちゃんと反省、そして謝る。
間違っても、頬っぺたは膨らませないで。
唇を尖らせることもしないで、その場で素直に。
(でも、ハーレイは怖くないしね?)
それに悪いのはハーレイだから、と頭の中で繰り返す。
キスをくれない方が悪いと、「恋人を放っておくなんて」と。
どんなにキスを強請ってみたって、ハーレイは睨み付けるだけ。
「俺は子供にキスはしない」の一点張りで。
それでこちらが膨れてみたって、「おっ、フグか?」などと、からかうだけで。
(…あんなに酷い恋人なんて…)
きっと何処にもいないよね、と思うものだから、余計に頬を膨らませたくなる。
もうハーレイは、此処にいなくても。
家に帰ってしまった後でも、腹が立つから。
睨み付けられて怖がる代わりに、プンプン怒りたくなるから。
(…ぼくは絶対、負けないんだから…)
睨まれたくらいで負けやしない、とプウッと頬っぺたを膨らませる。
「潰せるものなら潰してみたら?」と、此処にはいないハーレイに向けて。
今頃は書斎でコーヒーだろうか、そういう恋人に向けて。
(睨んだって、怖くないからね?)
ぼくには効果は無いんだから、と大声で言ってやりたいくらい。
「ハーレイの目なんか怖くないよ」と、「睨み殺せもしないでしょ?」と。
今の自分はチビだけれども、大きなハーレイに負けたりはしない。
勇気はたっぷり、自信もたっぷり。
ハーレイに睨まれたクラスメイトは、誰でも震え上がるのに。
柔道部員も同じだろうに、チビの自分は怖くない。
もっと怖い人を知っているから、父にジロリと睨まれた時は、謝らないと駄目だから。
(…ハーレイ、まるで分かってないよね…)
ぼくは怖がらないってことを、とクスクスと笑う。
いくら睨まれても怖くなどないし、懲りることだって有り得ないのに。
「ハーレイ」が怖くない以上。
ハーレイなどより、父の方が余程怖いのだから。
(…ぼくって、勇敢…)
元がソルジャー・ブルーだもんね、と時の彼方の自分を思う。
今の時代も大英雄として、称え続けられる偉大な初代のソルジャー。
たった一人でメギドを沈めて、ミュウの未来を守った自分。
その魂を継いでいる分、チビでも勇敢なんだから、と。
(ハーレイの中身は、前のハーレイなんだしね?)
ソルジャーに敵うわけないよ、と思った所で気が付いた。
前の自分も同じだったと。
(無茶をして、前のハーレイに睨み付けられたら…)
首を竦めて「分かったよ」とだけ言っていた。
たまに謝ることがあっても、口先ばかり。
また同じことを繰り返してみては、前のハーレイを嘆かせていた。
「何度申し上げたら、あなたはお分かりになるのです?」と。
ソルジャーのために言っているのだと、いつも睨んで来た恋人を。
(…前のぼくの無茶でも、ハーレイは止められなかったものね?)
今のぼくだって、おんなじだよ、と誇らしく思う自分の勇気。
睨み付けられても屈しはしないと、けして怖がったりもしないと。
(……ソルジャー・ブルーだった頃には、パパがいなかった分……)
今の方がちょっぴり弱いかもね、と浮かべた笑み。
睨み付けられたら怖い人なら、今では「父」がいるのだから。
ハーレイは怖いと思わなくても、父に睨まれたら「ごめんなさい!」と謝るから…。
睨み付けられたら・了
※ハーレイ先生に睨み付けられても、怖くないのがブルー君。学校の生徒は慌てるのに。
睨み付けられたら怖い相手は、パパらしいです。おやつ抜きの刑は怖いですよねv