(…今日も一日、終わったってな)
いい日だった、とハーレイが腰掛けた書斎の椅子。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後でコーヒーを淹れて。
愛用のマグカップにたっぷりと熱いコーヒー、これが毎晩の楽しみでもある。
のんびり、ゆっくりカップを傾けるのが。
書斎やリビング、ダイニングなどで。
今夜は書斎で寛ぐひと時、この後は本を読むのもいい。
(もっとも、本を読まなくたって…)
此処にいることが多いんだがな、と思う気に入りの部屋。
書斎だけに、窓は無いけれど。
四方の壁を埋めているのは、様々な本がギッシリ詰まった本棚だけれど。
(本の背表紙を見ているだけでも、落ち着くもんだ)
どの本がどういう内容だったか、目で追いながら考えてゆく。
「あれをもう一度読むのもいいな」と、何度も読んだ本を眺めたり。
時には「あの本の前に、こっちを読んでいたならなあ…」と考えたりも。
小説などの類でなければ、そういったことも少なくない。
後から読んだ本のお蔭で、「なるほどな…」と納得させられることが生まれる瞬間。
先の本では、ただ読み流していたことが。
「特に調べるまでもないな」と通り過ぎた箇所に、ひっそりと潜んでいた宝物。
読む人間に知識があったら、「おお!」と立ち止まるべき所。
「こいつは大発見じゃないか」と、頭に叩き込みたい話。
けれど、読むまで分からないのが本の中身と、読むべき順番。
これが教科書なら、順番が決まっているものなのに。
勉強の進み具合に合わせて、「次はこれです」と渡されるのに。
(…趣味の本には、そんな仕組みは無いからなあ…)
自分で選んで決めるしかなくて、後から「そうか」と思いもする。
「こっちの本と先に出会いたかった」と、読み進めるべき順に気付いて。
そんな時には、引き返すことも珍しくない。
「もう一度、あっちを読み直さないと」と、読んでいた本に教えられて。
自分の知識は「まだ足りないな」と、本に相応しい「勉強」をしに戻るために。
本を読まなくても、こんな具合に考え事。
書斎だからこそ出来る楽しみ、リビングなどでは、こうはいかない。
「其処ならでは」のことに向かってゆく思考。
リビングだったら、カーテンを開けて夜の庭へと視線を向けて…。
(庭の手入れをどうするかな、って方に行ったりするもんだ)
ダイニングならば、明日の朝食を考えてみたり、夕食のメニューを振り返ったり。
あるいは「何か食べたいもんだ」と、キッチンを覗きに出掛けたり。
(何処でも、コーヒーは飲めるんだがな)
だから何処でもかまわないが…、と座っていたら、急に背中に感じた痒み。
蚊の羽音などは聞いていないから、自分の身体の都合だと思う。
(…はて…?)
服の下のシャツが、背中を刺激したのだろうか。
それとも他に原因があるのか、とにかく「痒い」と訴える背中。
(…いきなり来たな…)
季節外れの蚊じゃあるまいし、とマグカップを机にコトリと置いた。
コーヒーが入ったカップを片手に持ったままでは、背中は掻けない。
(…掻けないわけでもないんだが…)
はずみってヤツが怖いからな、と今日までの人生で承知している。
ダテに三十八歳ではないし、「前の自分」の記憶もある。
(…急がば回れ、という言葉もあるしな?)
カップは机に置かんと駄目だ、と思って自由にした両手。
でないと、何処かでバランスを崩しかねないから。
背中を掻こうと突っ込んだ手と、カップを持っている手との間で。
(そうなっちまったら、おしまいだぞ)
アッと言う間に傾くカップ。
中身が机の上に零れて、下手をしたならズボンなどまで台無しになる。
それは駄目だと分かっているから、コーヒーのカップとは暫しお別れ。
痒い背中をバリバリと掻いて、「スッキリした」と思うまで。
「これでいいな」と満足するまで。
さて…、と右手を突っ込んでみたシャツの下。
痒い背中を掻こうとしたのに、どうやら右手は届いてくれない。
ちょうど背中の真ん中辺りが痒いのに。
真ん中だから、と利き手の右手を突っ込んだのに。
(…左手の方が近かったのか?)
痒い場所に…、と入れ替えた。
右手よりかは適任らしい、左手と「選手交代」とばかりに。
これでいける、と判断したのに、その左手も…。
(……もう少しなんだが……)
届かないぞ、と気付かされた。
痒い所は、すぐそこなのに。
もう少しばかり「右に」寄ったら、存分に掻いてやれそうなのに。
(右ってことは、やはり右手か…?)
俺の判断ミスだったのか、と呼び戻して来た自分の「右手」。
「しっかり頼むぞ」と左手に代わって、もう一度、向かわせた「現場」。
痒いと主張している背中。
今度こそ掻ける筈なんだ、と考えたけれど、甘かった。
あと少しの所が、届かない腕。
今も背中は痒いと訴え続けるのに。
(…こういう時は、下からだな…)
襟元から手を入れるんじゃなくて…、とシャツをまくって、下から攻めた。
これなら届く、と右手を入れて。
けれど…。
(…こっちからでも届かんのか…!)
掻けないせいか、余計に痒く感じてしまう。
たかが「背中の痒み」程度で、タチの悪い蚊が刺したわけでもないというのに。
(気の持ちようで、痒くないと思いさえすれば…)
収まるんだ、と思ってはみても、掻きたい気持ちが止まらない。
「掻き損ねてしまった」ことが災いしたのか、痒さも収まらないままで。
(……弱ったな……)
こういう時にはアレしかないか、と机の引き出しから出した物差し。
此処では資料作りもするから、そういったものも入れてある。
それを掴んで、襟元から背中に突っ込んだ。
物差しの分だけ、長くなった「手」。
(よし…!)
此処だ、と届いた「痒い」ポイント。
物差しを使ってバリバリと掻いて、みるみる痒みが引いてゆく。
掻かれたのでは、痒みは退散するしかない。
虫刺されだったら、それでもしつこく背中に残っていそうだけれど。
(…収まったな…)
蚊に刺されたわけじゃなかったらしい、とホッと一息。
もう痒くないし、「えらい目に遭った」と物差しを置いて、カップを持つ。
「零しちゃいかんな」と休憩させていた、コーヒー入りのを。
コクリと一口、そして物差しに目を遣った。
背中をバリバリ掻き毟ってくれた、実に役立つ優れもの。
もっとも物差しは、「背中を掻くための」道具などではないけれど。
この家には「それ」しか道具が無いから、登場しただけ。
(…親父の家なら、ちゃんと専用のヤツがあるんだ)
頼もしい背中のための道具が…、と思い浮かべた道具は「孫の手」。
デザインは色々あるのだけれども、本当に「手の形」をしたものも多い。
「孫」の代わりに、背中を掻いてくれるのが「孫の手」だから。
(…俺は、そうそう使いはしないし…)
持っちゃいないが…、と隣町の家にある「孫の手」を思う。
子供の頃から、何度もお世話になって来た。
「背中が痒い」のに、周りに誰もいなかった時は。
父も母も手が離せないとか、そういった時も。
(まだ孫がいるような年じゃないのに…)
使ってたっけな、と苦笑する。
今のブルーよりも幼い頃から、「孫の手」で掻いていたもんだ、と。
その「孫の手」は、この家に置かれてはいない。
だからさっきも物差しで掻いて、「物差しで代用できるから」と思ってもいる。
一人暮らしの三十八歳、それが「孫の手」を持つのはどうか、と考えて。
「若くないぞ」という気がするから、買う気にならないのだけれど…。
(…たまに、欲しい気もしてくるんだよな…)
掻いてくれるヤツが誰もいないから…、と物差しを見る。
「こんなモノより、孫の手の方がいいだろうか」と、「買うべきなのか?」と。
明日にでも買いに出掛けたならば、「孫の手」が家に来てくれる。
それほど高いものでもないから、買って連れ帰るのもいいのだけれど…。
(いや、待てよ…?)
あと何年か待てば、ブルーがやって来る。
孫の手どころか、「嫁の手」でバリバリ掻いて貰える。
痒い時は「頼む」と言いさえすれば。
「すまんが、掻いてくれないか」と、ブルーに背中を向けさえすれば。
(…孫の手よりも、ずっと素敵じゃないか)
それまで物差しで辛抱するか、と湛えた笑み。
痒い時は、ブルーがバリバリと掻いてくれるから。
あと何年か待ちさえしたなら、もう「孫の手」は要らないから…。
痒い時は・了
※背中が痒くなったハーレイ先生。掻こうとしても手が届かなくて、物差しの出番。
「孫の手を買うべきだろうか」と考えたものの…。いずれ「嫁の手」が来るんですよねv