(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
残念だよね、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日、お風呂上がりにパジャマ姿で。
ベッドにチョコンと腰を下ろして、会えずに終わった恋人を想う。
学校では挨拶できたけれども、あくまで「ハーレイ先生」の方。
「先生」と呼んで、敬語で話さなければいけない相手。
今は教師と教え子だから。
遠く遥かな時の彼方とは、事情が違うものだから。
(ハーレイが家に来てくれた時しか…)
呼び捨てにすることは出来はしないし、恋人同士の会話も無理。
だから毎日、待っているのに、こうして会えない日だって多い。
(…前のぼくが行きたくて夢に見ていた、地球よりは、ずっとマシだけど…)
ハーレイは夢や幻ではないし、今日は駄目でも明日がある。
明日が駄目でも、そのまた明日が。
前の自分が夢に見た地球は、座標さえも掴めていなかったのに。
(…それに、本物の地球の姿は…)
焦がれ続けた青い星とは違っていた。
前の自分は、そうだと信じて夢を見たのに。
フィシスが抱いていた青い地球の映像、それを本物だと信じたのに。
(…前のハーレイが見た、地球は赤くて…)
砂漠化した大地と、毒素を含んだ海に覆われた死の星だった。
そうとも知らずに「地球に行きたい」と見ていた夢より、今のハーレイの方がいい。
会い損なっても、その内に、ちゃんと会えるから。
「ハーレイ先生」の方で良ければ、今日だって、学校で会えたのだから。
(…文句を言ってちゃ駄目なんだけどね…)
でも寂しいな、と思う気持ちは止められない。
もしもハーレイが来てくれていたら、楽しい時間を過ごせた筈。
夕食の席には、両親も一緒だったって。
ダイニングのテーブルに着いた時には、恋人同士の話題は厳禁だって。
それでもいいから、と思うけれども、駄目だった今日。
明日に期待をかけるしかなくて、明日も学校で授業がある日。
週末だったら、ほぼ間違いなく、ハーレイが訪ねて来てくれるのに。
何か用事が出来ない限りは、午前中から。
(……週末は、まだ先……)
明日、会えるかは運次第。
放課後のハーレイの予定次第で、どうなるかは、まるで分からない。
幸いなことに、古典の授業があるけれど…。
(…当てて貰えるかどうかは、分かんないよね…)
それも運だよ、と恨めしい気分。
どんなに勇んで手を挙げたって、当てて貰えない日も多い。
「ブルー君」と呼ばれる代わりに、他の生徒が当てられて。
その子の答えが間違っていても、「答えられる人は?」と訊かれないままで。
(…授業の進め方は、ハーレイ次第…)
どういう心づもりでいるのか、生徒の自分には教えてくれない。
後から話してくれる日はあっても、肝心の授業の最中には。
(それで当然なんだけど…)
ぼくは生徒で、ハーレイは「先生」なんだものね、と諦めの境地。
「前みたいには、いかないよね」と、白いシャングリラで暮らした時代と比べてみて。
(…あの頃は、ぼくはソルジャーで…)
こんなチビでもなかったから、と「今との違い」は承知している。
比べるだけ無駄で、そうは言っても、今の方が遥かに「いい」ことは。
平和な青い地球で暮らせる、今が恵まれていることは。
(……分かってるけど……)
でも…、と愚痴を言っても始まらない。
仕方ないから、明日の準備を確認してみることにした。
ハーレイの授業がある日なのだし、忘れ物をして行かないように。
宿題も、予習も復習も、とうに済ませてあるから…。
(忘れ物だけ…)
調べなくちゃ、と勉強机の方に向かった。
通学鞄は其処にあるから。
勉強机の横が定位置、下げてあるのを取って、机に置いて…。
(教科書と、ノート…)
時間割表と照らし合わせて、「全部あるね」と頷いた。
明日、学校で必要なものは、これできちんと揃っている。
(…後は、ペンケースとか…)
それもあるよ、と鞄を覗いて、ふとペンケースを開ける気になった。
消しゴムもペンも、中に入っている筈だけれど。
家では使っていないのだから、何も欠けたりしていない中身。
何の気なしに開けた途端に、コロンと転がり落ちたペン。
(あっ…!)
落っことした、と思う間もなく、ペンはコロコロ転がって行って…。
(……嘘……!)
消えちゃったよ、と丸くなった瞳。
落っこちたペンは、ベッドの下に入って行った。
コロンコロンと転がった末に、まるで「かくれんぼ」をするかのように。
「此処までおいで」と言わんばかりに、持ち主の自分を置き去りにして。
(……ベッドの下……)
ぼくの手が届くといいんだけれど、と机を離れて、覗いた自分のベッドの下。
ついさっきまで腰掛けていたベッドの下が、ペンの隠れ家。
(…何処に行ったわけ?)
この辺から入って行ったよね、と床に腹ばいになって、愕然とした。
ペンの姿は見付かったけれど、ベッドの反対側の端っこ。
壁際と言っていいほどの場所で、手を突っ込んでも届かない。
もちろん、壁とベッドの間に、頑張って手を差し込んでも…。
(…ぼくの手じゃ、拾えないんだから…!)
せめて壁際まで転がっていたら、届くのに。
そうではない場所に落ちているペン、コロンコロンと転がって行って。
自分の手では無理だから、と物差しに縋ることにした。
これなら長いし、マジックハンドのように引き寄せられるかも、と。
(……んーと……)
もうちょっとかな、と精一杯に手を伸ばすのに、届かない。
壁とベッドの間の方から攻めてみたって、届いてくれない。
反対側へと転がせたならば、ベッドの下から出て来ることもありそうなのに。
物差しでコツンと上手くつつけば、コロンと転がりそうなのに。
(……うー……)
全然ダメ、と格闘し続け、疲れ果てて座り込んだ床。
「前のぼくなら、サイオンで直ぐに拾えたのに」と溜息をついて。
きっと苦も無くヒョイと拾って、ペンケースに戻したのだろう。
拾うどころか、一瞬の間に、ペンケースの中へ瞬間移動をさせたりもして。
(…ぼくのサイオン、不器用だから…)
ペンの一つも拾えやしない、と眺める物差し。
こういうマジックハンドもどきを使ってみたって、今の自分は何も出来ない。
ベッドの下へと逃げ込んだペンを、拾いたくても。
どう頑張っても、腕の長さが足りないから。
それに不器用すぎるサイオン、それも役には立たないから。
(……仕方ないよね……)
明日は違うペンを持って行かなきゃ、と思った時に聞こえた足音。
階段を上って来る足音で、この感じだと明らかに父。
(そうだ、パパなら…!)
拾えるよね、と急いで立ち上がって、駆け寄ったドア。
バタンと開けて、「パパ!」と叫んだ。
「ぼくのペン、拾って欲しいんだけど」と、大きな声で。
「ベッドの下に落っこちちゃった」と、「ぼくには、拾えないんだよ」と。
「パパ、お願い!」
こっちだよ、と父の手を掴んで引っ張った。
廊下に出て行って、グイグイと。
「ほほう…? お前じゃ拾えないのか…」
部屋に来た父は、ベッドの下を覗き込むなり、「あれか」と腕を突っ込んだ。
「パパ、届きそう?」
「どうだかな…。もう少しだが…」
「じゃあ、これで取れる?」
床に転がっていた物差しを渡したら、父は「よし」と掴んで突っ込んで…。
「ほら、ブルー。拾えたぞ、お前の大事なペン。しかし、なんだな…」
「なあに?」
「お前、ソルジャー・ブルーなのにな、と思ってな。…早く寝るんだぞ」
パジャマのままだと風邪を引くぞ、と額を指で弾かれた。
「いつまでも夜更かししているというのは、感心せんな」と。
「ごめんなさい、パパ…。ありがとう、困っていたんだよ」
「このくらいのことは、何でもないさ。次からは早く呼びに来なさい」
ペンでも何でも拾ってやるから、と父は「おやすみ」と出て行った。
「困った時には、パパを呼べよ」と、「もちろん、ママでもいいんだからな」と。
「…おやすみなさい…」
ありがとう、と部屋のドアを閉めて、ペンをペンケースに入れて。
鞄に仕舞って、父の言葉を思い出した。
「困った時には、呼べよ」と言ってくれた父。
それに母だって、困った時には、きっと助けてくれるのだろう。
(…前のぼくだったら、困ったとしても…)
助けなど来はしなかった。
ソルジャー・ブルーの手に負えないなら、他の仲間の手に負える筈がないのだから。
前の自分は「困っている仲間」を助けるばかりで、逆は無かった。
ただ一人きりのタイプ・ブルーで、ただ一人きりのソルジャーだった自分。
次のソルジャーのジョミーを船に迎えた後にも、やはり一人でメギドを沈めた。
他の仲間には出来ないことだと、誰よりもよく分かっていたから。
(…だけど、今だと…)
ペンを落としてしまっただけでも、父が助けに来てくれた。
母だって拾ってくれるだろうし、他のことでも助けてくれる。
「困った時には、呼べよ」と父が言った通りに。
ペンを落とした程度のことでも、困った時には助けが来る。
(…ぼくって、幸せ…)
困った時には、助けてくれる人がいるんだよ、と浮かんだ笑み。
両親も、それにハーレイもいるし、他にも数え切れないほど。
サイオンは不器用になったけれども、今の自分は「ただのブルー」になったから。
ペンを落としてしまったくらいで、「助けて!」と誰かを呼びに行くことが出来るから…。
困った時には・了
※ブルー君が落としてしまったペン。自分では拾えなくて、諦めかけていたんですけど…。
それを拾ってくれたパパ。その程度のことでも助けが来るのが、今の平和な時代ですv