(……はて……?)
どうだったかな、とハーレイが首を捻ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを傾けたのだけれども…。
(今日は、けっこう暑かったから…)
今の季節には珍しい暑さ、小春日和と呼ぶには高すぎた気温。
ただし、昼だけ。
朝の気温は普通だったし、帰宅した時も、とうに涼しくなっていた。
ところが、昼間は留守なのが「家」。
出掛ける時には鍵をかけてゆくし、もちろん窓も閉めてゆく。
今の時代は「泥棒」などはいなくても。
「空き巣」もとうの昔に死語でも、そうしてゆくのが社会の習慣。
留守にするなら、玄関も窓も、きちんと閉めて出掛けるのが。
仕事に行く前に閉めた窓。
朝一番に開けて、外の空気と入れ替えていた「それ」。
寝室で、ベッドから下りるなり。
カーテンを開けて、「予報通りに、いい天気だな」と外を眺めながら。
その窓を「部屋を出る前に」閉めて、それから朝食を食べて出勤。
留守の間に、「今日は暑いから」と、窓を開ける人は「いなかった」。
これが隣町の両親の家なら、父か母かが開けただろうに。
「熱気がこもってしまうから」と、涼しくなって来た頃合いに。
けれど、此処にはいない両親。
一人暮らしをしているのだから、窓を開けてくれるような人などいない。
(お蔭で、暑さが残ったままで…)
扉を開けたら「少し暑いな」と感じる寝室、それが自分を待っていた。
いくら涼しくなったとはいえ、放っておいたら、当分は冷えてくれそうもない。
そう思ったから、開け放った窓。
たちまち涼しい風が入って、カーテンもフワリと揺れていた。
「これでいいな」と大きく頷き、スーツを脱いで着替えたけれど…。
その後のことを覚えていない。
開け放った窓を閉めて来たのか、それとも開けたままなのか。
(いつもだったら、空気がきちんと入れ替わったら…)
元の通りに閉める窓。
昼間と違って、夜は冷え込む季節なだけに。
(これが夏なら、放っておいてもいいんだが…)
今の季節は、それだとマズイ。
部屋の空気を冷やすだけでなく、「何もかも冷えてしまう」から。
ベッドを覆うシーツや上掛け、そうしたものまで冷気を纏う。
(そうなっちまうと、冷やし過ぎで…)
不快な思いをするのは自分。
柔道と水泳で鍛えた身体は、「ベッドが冷たい」程度では風邪を引かないけれど。
部屋が冷え過ぎでも、頑丈な身体は平気だけれども、「冷たい」のは分かる。
本当だったら、ベッドに入った途端に「ホッとする」筈の寝具などが。
シーツも、枕も、上掛けも、すっかり冷えているのが。
(…俺の体温で温まるまでは、冷たい中にいるしかなくて…)
あまり愉快なものではないし、「閉め忘れ」は御免蒙りたい。
もしも「忘れている」のだったら、直ぐに閉めれば、これ以上冷えるのは防げる窓。
既に冷え過ぎになっているなら、閉めたついでに、軽く暖房を入れたりもして。
(確かめに行って来るべきだろうな)
無精せずに、と椅子から立った。
サイオンを使えば、書斎からでも「見える」のだけれど。
天井や壁を透かした向こうが、手に取るように分かりはする。
(しかしだな…)
身体は動かすものなんだ、と思ってもいるし、此処は「行くべき」。
人間が全てミュウになった今は、「サイオンを日常に使わない」のがマナーでもある。
もっとも、「自分の家の中」では、その限りではないけれど。
ここぞとばかりに便利に使って、こうして「閉め忘れか?」と気付いた時も…。
(一歩も動きもせずに探って、開いていたなら、サイオンでヒョイと…)
閉める人間も少なくないのが、「誰もがミュウ」の時代だけれど。
そうではあっても、「自分」はそういうタイプではない。
「どうなっている?」とサイオンで探るよりかは、自分の足で確かめにゆく。
見に行った窓が開いていたなら、窓辺まで行って、手で閉めもする。
「開いてたか…」とドアだけ開けて覗いて、サイオンでピシャリと閉めたりはせずに。
それが出来るだけのサイオンだったら、充分に持っているのだけれど。
(人間、無精をしちゃ駄目だってな)
少なくとも、スポーツをやってるような人間は…、と書斎から出て、向かった二階。
階段を上って、寝室のドアを開けたら、ひやりとした空気。
頬にも風が触れて来たから、揺れるカーテンを見る前に分かった。
「やっちまったな」と、「窓を閉め忘れた」ことが。
(……やっぱりなあ……)
閉めた覚えが無いと思った、と部屋に入って、きちんと閉めた、開いていた窓。
カーテンも引いて、「失敗したな」と見回す部屋。
(少しばかり、冷え過ぎちまったか?)
どんな具合だ、とベッドに触れたけれども、よく分からない。
部屋中に冷気が満ちているから、ベッドが「とても冷たい」か、どうか。
(…温度計ってヤツも、アテにはならんし…)
あくまで体感気温が大事だ、と戻った窓辺。
カーテンの向こうのガラスに触れて、その冷たさを確かめる。
指で触って、どのくらいの冷気を帯びているのか。
これが冬なら、「温かい指」でガラスが曇りもするものだから。
(今の季節は、そこまで行かんが…)
どんなもんかな、と触れたガラスは、さほど冷たく感じなかった。
この程度ならば、こうして窓さえ閉めておいたら…。
(俺がベッドに入る頃には、部屋の空気も…)
暖かくなっていることだろう。
閉めた窓から、冷気は入って来ないから。
冷たい空気が遮断されたら、もうそれ以上は冷えないもの。
窓は「そのために」ついているもので、開けたり閉めたりするためのもの。
「今日は暑いな」と開け放ったり、「冷え過ぎちまった」と、逆に閉めたりと。
(…思い出しただけでも、マシだったよな)
忘れたままだと、部屋に帰ってビックリだぞ、と戻った書斎。
さっきの椅子にまた腰掛けて、コーヒーのカップを傾ける。
「こいつは、少しも冷めちゃいないな」と、「少しの間だったしな?」などと。
ほんの少しだけ、離れた書斎。
廊下を歩いて、階段を上って、寝室の窓を閉めて来るために。
きっと五分もかかっていないし、コーヒーが冷めるわけもない。
「たった、それだけ」の手間を惜しんで、サイオンを使う人間も少なくないけれど。
どうせ自分の家なのだからと、「サイオンの目で見て」、開いていたならサイオンで閉めて。
(…それよりは、自分で出掛けた方が…)
運動にもなるし、ちょっとした気分転換にもなる。
こうして書斎で寛ぐ時間も、充分に気分転換だけれど、それとは別に。
(開いちまってるぞ、と呆れ返るのも、部屋がすっかり冷えちまってるのも…)
此処にいたんじゃ味わえない気分というヤツで…、と傾けるカップ。
サイオンで探って「全て終えたら」、まるで分からない「その感覚」。
寝室のドアを開けて入るなり、感じ取る「窓が開いている」気配。
(…自分の目で見て、身体ってヤツで味わって…)
そういうのがいいと思うんだが…、と考えたはずみに気が付いた。
さっき自分が閉めて来た窓、それはどういう「窓」だったか。
「忘れていたか」と閉めたけれども、何も思いはしなかったけれど…。
(……あの窓は、空気を入れるための窓で……)
逆に空気を出したりもするし、要するに空気を入れ替える窓。
窓は「そのためにある」のだけれども、そうではなかった時代があった。
遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラで暮らした頃に。
(あの船に窓は、基本的には無かったんだが…)
個人の個室にあった窓などは、「外」と向き合ってはいなかった。
居住区に鏤められた公園、そちらに向いていただけで。
窓の向こうに緑が見えても、「本物の外」とは、まるで違って。
開けて空気を入れ替えようにも、同じ船の中の空気が入って来るだけで。
そしてシャングリラの、数少ない窓。
本当に「外」に向いていた窓は、一つ残らず…。
(…強化ガラスで出来ていたヤツで、開けることは出来なかったんだ…)
宇宙を航行している時には、窓の向こうは真空の宇宙。
アルテメシアの雲海の中でも、強化ガラスの向こう側には、強い気流と雲の海だけ。
(…前の俺が生きた時代を思えば…)
さっきの窓は「夢の窓」だな、と閉めて来た窓を思い出す。
「ただの窓だが、強化ガラスで出来ちゃいない」と、「外の空気を入れられるんだ」と。
開ければ空気が入れ替わる窓は、今では当たり前だけれども、最高の窓。
前の自分は、「そういう窓」がある所では生きていなかったから。
ただの窓さえ無かった世界で、前のブルーと生きたのだから…。
ただの窓だが・了
※ハーレイ先生が閉め忘れていた窓。「忘れていたな」と閉めに行ったんですけれど…。
外の空気を入れられる窓が無かった船がシャングリラ。今の時代は、ただの窓ですけどねv