(……うーん……)
今、何時、と小さなブルーが打った寝返り。
ハーレイが来てくれなかった日の夜、自分のベッドで。
手を枕元に伸ばして取った、目覚まし時計。
コチコチと時を刻む秒針、レトロではないけれどアナログ式の置時計。
常夜灯だけが灯った部屋で眺めた文字盤。
(…半時間以上も経っちゃってる…)
ベッドにもぐり込むよりも前に、チラと目を遣って見た時刻。
いつもベッドに入る時間に、いつも通りに明かりを消したのに…。
(寝付けないよ…)
一向に訪れない眠気。
ベッドの中でコロンと右へと寝返りを打って、「これじゃ駄目だ」と次は左へ。
それでも眠くはなってくれないから、仰向けになったり、枕に顔を埋めてみたり。
(…色々、試してみたんだけどな…)
でも無理みたい、と零れる溜息。
寝付きは悪くない方なのに、今夜は眠くならないらしい。
夢の世界に入る代わりに、ベッドの上に留まったままで。
あっちへコロンと転がってみては、逆の方へコロンと転がったりもしているだけで。
(…今日は普通の日だったのに…)
寝られなくなるようなことは、無かったと思う。
腹が立つことなど一つも無くて、ごくごく平凡だった「今日」。
行き帰りの路線バスの中でもちゃんと座れて、お気に入りの席が空いていた。
「此処がいいな」と勝手に決めた指定席。
(ぼくが勝手に決めているだけで…)
通学に使う路線バスには、指定席なんか存在しない。
そういう切符を売りもしないし、座席番号だって無い。
けれども「好きな席」はあるから、その席を「ぼくの席」だと決めた。
空いていたなら、大喜びでストンと座る席。
それとは逆に塞がっていたら、ツイていない気分になったりもして。
その席は、今日は空いていたから、腰を下ろして短い旅。
行きは学校の近くのバス停までで、帰りは家の近所のバス停に路線バスが着くまで。
窓の外の景色を見ながら走って、楽しく往復できた学校。
旅先だった学校の方も、特に問題は無かった筈。
(…ハーレイの授業は無かったけれど…)
毎日あるというわけでもないから、古典の授業が無かったくらいは些細なこと。
「ハーレイ先生」には廊下で会ったし、挨拶だって出来たのだから。
(…家には来てくれなかったけどね)
来てくれるかと待っていたのに、今日は空振り。
けれど、それだって「よくあること」。
ハーレイが来ない日を数えていたなら、キリが無い。
(週末に予定が入って駄目な時だと…)
とてもガッカリするのだけれども、そうでないなら「来ない日」もある。
ハーレイが仕事をしている以上は、毎日が暇とは限らないから。
放課後は時間があると言っても、柔道部の指導もあるだけに。
(…柔道部の方で何かあったら、もう駄目だし…)
長引く会議があった日だって、ハーレイは訪ねて来てはくれない。
つまり「来てくれた」日の方がラッキー、「ツイている」のだと思える日。
それが逆でも、怒ってなんかはいられない。
ハーレイは「来ない」方が普通で、来てくれる方が幸運なのだから。
(…今日みたいな日は、幾つもあるから…)
仕方ないよね、と諦めるだけで、それ以上のことを望みはしない。
もちろん腹を立てもしないし、「ツイていない」と考えることも滅多に無い。
(…学校でも会えずにいた日だと…)
ツイていないと思うけれども、今日は廊下で会えたハーレイ。
「ハーレイ先生!」と呼び掛けてピョコンと頭を下げた。
それに応えて「おう!」と返った声。
大好きな声がちゃんと聞けたし、ハーレイの笑顔だって見られた。
どの教え子にも向ける顔でも、恋人向けの表情とはまるで違っていても。
ツイていないわけではなかった日。
腹が立つことも一つも無くて、苛立つ理由も見付からない。
こんな日だったら、ベッドに入れば直ぐに眠れるものだけれども…。
(…こういう時だって、たまにあるよね…)
どうしたわけだか、眠れないままでコロンコロンと転がる夜が。
右を向いたり、左を向いたり、仰向けになったり、うつ伏せたりとベッドの上で試す日が。
(……本当は寝てるらしいけど……)
寝られないよ、と思い続けた半時間以上もの間。
自分では「寝ていない」つもりだけれども、本当は「眠っている」のだと聞いた。
起きている夢を見ているだけで、実は眠っている身体。
なんとも疲れる夢だとはいえ、摂れているらしい睡眠時間。
(だから、寝付けなくても、ベッドに転がっているだけで…)
身体にとっては「充分」らしい。
ちゃんと「眠っている」だけに。
明日に備えて、睡眠は摂っているだけに。
(…でも、こういうの…)
疲れちゃうよね、と思うものだから、何とかしたい。
眠るのだったら、ちゃんとグッスリ眠りたい。
「起きている」ような夢は見ないで、夢らしい夢を見ながら眠るか、夢も見ないで深く眠るか。
(…そっちの方が、絶対いいよ…)
そうするためには気分転換、と考えてエイッと起き上がった。
「よし!」と自分に掛け声をかけて。
暫くの間、起きていようと。
「寝られない夢」を吹っ飛ばそうと、寝付ける気分に切り替えようと。
起きたからには、明かりもパチンと点ける。
常夜灯だけの暗い部屋だと、夢の続きのようだから。
今度は「起きたつもりでいる夢」、それを見ている気になりそうで。
起きるのだったら、寝られない夢には「さよなら」したい。
もちろん「起きているつもり」になる夢だって。
明るくなった部屋で起き上がったものの、これから何をすべきだろう。
ベッドの上に転がったままでは、さっきまでと何処も変わらない。
部屋が暗いか明るいかだけで、「寝られないよ」とコロンコロンと転がるのと。
(起きたんだったら、何かしなくちゃ…)
手っ取り早いのは本を読むこと。
眠くなった時には「此処でおしまい」と、スッパリとやめてしまえる本。
キリのいい所を見付けられる本、それが一番いいのだけれど…。
(……今の気分だと……)
その手の本より、じっくり読める本の方に惹かれる。
せっかく時間が出来たのだからと、長い物語や、腰を据えて読むのが似合いの一冊。
いつもだったら、この時間には「眠っている」のが普通だから。
(時間、ちょっぴり得した気分で…)
夜更かしが得意な友達の言葉が浮かんで来る。
「お前、弱いから損してるよな」と、何度言われたことだろう。
元気だったら、夜更かしも徹夜も「当たり前だぞ」と、口々に。
「読みかけの本」を放って寝るなど、とんでもない、というのが常識。
やり始めたことも「やり遂げる」もので、夜が白々と明けて来てしまっても…。
(一日くらいなら、寝ていなくても…)
「まるで平気なものなんだぜ」と、友達の誰もが言っている。
クラスの子だって夜更かしをするし、徹夜をしたという声もよく聞く。
(だけど、ぼくは身体が弱いから…)
徹夜どころか、夜更かしだって危険信号。
夜は早めにベッドに入って休むもの。
朝までグッスリしっかり眠って、疲れを癒しておくのが大切。
けれども、今夜は思いがけなく「遅い時間」に起きている。
そう考えたら、「今の時間」を有効に使いたい気分。
「此処でおしまい」と閉じる本より、もっと、もっとと読みたくなる本。
それを棚から取って来ようかと、欠伸が出るまで読み続けようかと。
「徹夜なんかは当たり前だ」と話す友達の真似をしてみて。
(えっと…)
どれがいいかな、と本棚の前に立って考える。
徹夜しないと読めないくらいの本なら、どれが似合いだろうかと。
(…新聞配達のバイクが走って来るくらい…)
遅いと言うか、早いと言うか、そんな時間まで読んでいたって終わらない本。
「まだ終わらないから」と読み進めるのがピッタリの本。
この辺かな、と手を伸ばしかけた所で、ふと蘇ったハーレイの声。
「元気そうだな」と、今日の昼間に聞いた。
廊下で出会って、「ハーレイ先生!」と頭をピョコンと下げた時に。
ハーレイが笑顔で応えてくれて、挨拶に返った言葉が「それ」。
(……元気そうだな、って……)
今日はそう言ってくれたけれども、明日も同じ言葉を貰えるだろうか。
新聞配達のバイクが来そうな頃まで、延々と本を読んでいたなら。
それでも「もっと読みたいから」と、夜が明けそうな頃まで読み続けたら。
(…明日の朝には、もう寝不足で…)
眠い目を擦りながら、学校に行くことになるかもしれない。
あるいは体調を崩してしまって、「なんだかだるい…」と感じながらの登校だとか。
(それだと、元気そうには見えなくて…)
きっとハーレイを心配させる。
下手をしたなら、「ハーレイに会えた」と安心して気が緩んだはずみに…。
(フラッと倒れて、うんと心配かけちゃって…)
そんなの駄目だよ、と本に伸ばした手を引っ込めた。
「徹夜も夜更かしも、ぼくは、しちゃ駄目」と。
そうして再び入ったベッド。
パチンと消してしまった明かり。
寝付けない夜でも、今なら眠れそうだから。
ハーレイに「元気そうだな」と言って貰うためなら、きっとグッスリ眠れるから…。
寝付けない夜は・了
※寝付けないなら「夜更かししちゃえ」と考えたのがブルー君。遅い時間まで本を読んで。
けれど、思い出したハーレイ先生の言葉。「元気そうだな」と言って貰うためなら眠れそうv