(……うーむ……)
今は何時だ、とハーレイが枕元へと伸ばした腕。
ブルーの家には寄れなかった日、とうにベッドに入った後で。
その手に触れた目覚まし時計。
コチコチと時を刻む秒針、アナログな所が気に入っている置時計。
(…やっぱりなあ…)
半時間も経っていやがるぞ、と時計を眺める。
ベッドに入って明かりを消す前、同じ時計を見た時よりも流れた時間。
寝付きは、いい方だと思う。
毎晩のように淹れるコーヒー、それさえも妨げにはならないほどに。
どんなに濃いめに淹れた夜でも、ベッドに入ればグッスリ眠れるのが自慢。
(そのコーヒーは、だ…)
今夜は普通に淹れていた上、量も普段と変わらなかった。
愛用のマグカップにたっぷり一杯、おかわりなどはしていない。
コーヒーのせいではないのは明らか、特に今夜は。
これが濃く淹れた夜であったら、「アレか?」と疑いもするのだけれど。
(…他に原因になりそうなものも…)
特に無いな、と言い切れる。
極めて平凡だった一日、ブルーの家には寄れなかったというだけで。
学校の仕事は至って順調、柔道部の方も問題は無し。
行き帰りの道も普通だったし、苛立つようなことは無かった一日。
(腹が立ったりしていても…)
俺の場合は、そいつを解消するのは得意で…、と自分の性格も掴んでいる。
「腹が立ったせいで眠れない」などは、まず有り得ない。
その日の間に気分転換、夜はグッスリ眠れるもの。
(だがなあ…)
こういう夜もあるってもんだ、とフウと溜息をつく。
寝付けない夜というものが。
心地よい眠りが訪れないまま、ベッドに入っているだけの夜が。
半時間も無駄に経っていたらしい、今夜の時間。
何もしないままでベッドの中で、「眠くならんな」と思う間に。
(…そういう時でも、寝てるらしいって話もあるが…)
寝付けないというのは「一種の夢」で、本当は眠っているとの話。
「寝ていない」夢を見ているだけで、身体の方はきちんと寝ているのだ、と。
(そうは言われても、半時間もだ…)
無駄にするのは性に合わないし、此処は気持ちを切り替えるべき。
起きるなら「起きる」、寝るなら「寝る」。
どちらにするのか暫し考え、「起きてみよう」と出した結論。
時刻の方は、まだ早いから。
起きて何かをやってからでも、睡眠は充分に摂れるから。
(よし…!)
自分に掛け声、ベッドの上に起き上がる。
部屋の明かりもパチンと点けて、「俺は起きるぞ」と自分に宣言。
そうしてベッドから出てみたけれども、この後、何をするべきか。
此処で過ごすか、書斎に行くか。
それともリビングに行くのがいいか、ダイニングにでも移ってみるか。
(…本格的に起きるなら…)
寝室を出るべきだけれども、そうした場合は増える誘惑。
書斎に行ったら、本が山ほど。
(せっかく時間が出来たんだから、と一冊、出して…)
読み始めたら、今度は「やめる」のが難しい。
もう少しだけ、あと一章、といった具合に「続き」を読みたくなるものだけに。
(此処で終わろう、と思っていても…)
先の展開を知っているなら、ついつい繰ってゆくページ。
何十ページもすっ飛ばしてでも、クライマックスを読もうとして。
リビングの場合も、ダイニングの場合も、やはり同じにある誘惑。
其処にある本を読みたくなったり、新聞を熟読してみたり。
そうでなければ「何か食おう」と、キッチンに足を向けたりも。
寝室を出れば、待っているのが誘惑の山。
読みたくなる本や、急に作りたくなる夜食など。
(…夜食の方に行っちまったら…)
きっと凝りたくなるのだろう。
簡単なものを、とキッチンに行っても、やりたくなるのが一工夫。
せっかく時間が出来たのだからと、夜の夜中に。
そして美味しく完成したなら、悦に入ってゆっくり、のんびり食べる。
またコーヒーを淹れたりもして。
ひょっとしたら、秘蔵の酒なども出して。
(…いかん、いかん…)
それじゃしっかり起きてしまうぞ、とコツンと叩いた自分の頭。
夜食を作って、それを書斎に運んだりしたら最悪のパターン。
(次に時計を眺めた時には…)
唖然とするほど、時間が経ってしまっているのに違いない。
一時間だったら、まだマシな方で、下手をしたなら何時間だって。
外は暗くても、新聞配達のバイクの音が聞こえるくらいに…。
(夜明けが近いというヤツで…)
そいつは駄目だ、と分かっている。
身体は頑丈に出来ているから、徹夜でも平気なのだけれども、しない主義。
「眠れる時間は、きちんと眠る」ことが習慣。
頭脳をクリアに保っておくには、そうすることが必要だから。
(人間の身体は、不思議なモンで…)
何処かで「頭」を眠らせないと、落ちてゆくのが作業効率。
睡眠不足で放っておいたら、とんでもないミスを引き起こすもの。
仕事だろうが、咄嗟の判断だろうが。
(俺の場合は、教師だしな?)
そういったミスが許されない仕事。
採点ミスならご愛嬌でも、柔道部の方はそうはいかない。
生徒に怪我をさせた後では、もう取り返しがつかないだけに。
職業柄、頭は常にクリアに保っておくもの。
寝付けなくても「眠れる」ように、きちんと気持ちを切り替えて。
(…なにしろ失敗は出来んわけだし…)
大勢の生徒を俺が預かっているんだからな、と大きく頷く。
今は担任のクラスは無いのだけれども、責任の方は他の教師と変わらない。
(採点ミスなら、そいつをやられた生徒と笑っておしまいで…)
申し訳ないことをした、と丸を付け直してやればいいだけのこと。
それから「ミスして引かれた」点数、そっちも足して書き換えてやって。
「すまんな」と詫びて、それでおしまい。
それとは逆の採点ミスなら、生徒に「笑われて」終わりになる。
本来、引かれる筈の点数、間違った答えに付けられた丸と得点。
(生徒にしてみりゃ、丸儲けで…)
申告しに来る筈もないな、と可笑しくなるのが逆のミス。
どんなに正直な生徒だろうと、こればっかりは言いには来ない。
自分の点数が下がるだけだし、「そんな目に遭うのは、絶対に嫌だ」と。
(…ブルーにしたって、そうなるだろうな…)
今は教え子になっているブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
ブルーは優等生だけれども、自分のテストに「点数が下がる」採点ミスを見付けたら…。
(…俺には言いに来たりしないで…)
無かったことにしておくのだろう、と容易に想像がつく。
「ハーレイ先生!」と手を挙げはしないで、「黙っておこう」と。
休み時間に、「間違ってます」と持って来ることも無いだろう。
(…憧れのハーレイ先生だしな?)
ついでに恋人、その人の前では「いい顔」をしたくなるのに決まっている。
わざわざ自分で「評価を下げる」ような真似はしないで、優等生で。
正直に申告しに来る代わりに、「儲けちゃった」と採点ミスを有難がって。
もっとも優等生のブルーは、滅多に間違わないけれど。
ケアレスミスなどゼロに等しくて、難問でもスラスラ解くのだけれど。
(…あいつに点数をくれてやったことは…)
あるんだろうか、と顎に手を当て、考えてみる。
いくら頭をクリアに保って頑張っていても、自分も人間なのだから…。
(ついついウッカリ…)
ミスをすることだってある。
それを防ごうと、今夜も「眠る」努力をしている。
(あいつに点数をプレゼントしたら…)
どうなるんだろう、とブルーの顔を思い浮かべて、「直ぐに分かるな」と吹き出した。
今のブルーは、サイオンがとても不器用だから。
隠し事など何も出来ずに、心の中身が欠片になって零れ出す。
嬉しいことがあった時には、もうキラキラと光の滴が弾けるように。
(…学校では隠していたとしてもだ…)
ブルーの家で会った途端に、心が溢れ出すのだろう。
「ハーレイに点数を貰っちゃった」と、「テストの点数、間違ってたよ」と。
(……ということは、今までに……)
くれてやってはいないんだろうな、と思う点数。
ブルーのテストの間違った箇所に、うっかりミスで丸を付けたことは無いのだろう。
(…しかし、眠っておかないとな?)
明日は大丈夫でも、その内にやってしまいかねん、と考えてベッドにもぐり込む。
今の気分なら、どうやら寝付けそうだから。
ブルーの笑顔が心に浮かんでいる今は。
寝付けない夜は「ある」のだけれども、今夜はこれで眠れるだろう。
思考は「楽しい方」へと転がり、夢でブルーに会えそうだから。
「ハーレイ、点数、間違えてたよ」と、心の欠片がキラキラ零れる愛おしい人に…。
寝付けない夜に・了
※寝付けなかったハーレイ先生、ベッドから起きたわけですけれど。何をしようかと考え事。
その最中に浮かんで来たのがブルー君。それだけで「眠れる」みたいですねv