(……今日はツイてなかったよね……)
ホントに駄目な一日だっけ、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
(…来てくれるかと思ってたのに…)
駄目だったよね、と悲しくなる。
家に帰ってからの時間は、おやつを食べていた間を除いて、「待ち時間」。
ハーレイが鳴らすチャイムの音が聞こえないかと、聞き耳を立てて。
(あんまり早い時間は、ハーレイ、来ないから…)
早すぎるチャイムは他の来客、窓の所へ行くだけ無駄。
ハーレイの「放課後」は、まずは柔道部の指導。
それが終わった後の時間しか、「ブルー」のために割いてはくれない。
今のハーレイは教師なのだし、そちらの仕事が最優先。
(…チャイムの音は聞いたんだけど…)
残念なことに、「早い時間」のものばかり。
今日に限って何回も鳴った。来客が多い日だったらしくて。
それがパタリと途絶えた後には、「鳴らす人」はハーレイくらいの時間が来るのに…。
(一度も鳴ってくれなくて…)
それっきりだよ、と残念な気分。
あれだけチャイムが鳴っていたのに、「ハーレイ」の分は無かったなんて。
一番、鳴って欲しいチャイムが「鳴らないまま」で終わったなんて。
(これじゃ、学校とおんなじだってば…)
学校だってツイてなかった、と今日の昼間を思い出す。
ハーレイを何度も見掛けていたのに、悉くハズレだったから。
「あっ!」と気付いても、それだけのこと。
いつも以上に、「ハーレイを見た」と思うのに。
普段だったら、もっと「少なめ」な「会える」回数。
同じ学校の中で過ごしていたって、登校してから放課後までの時間を共有してたって。
学校でハーレイに会った時には、「ハーレイ」と呼ぶことは出来ない。
呼ぶなら、あくまで「ハーレイ先生」。
いくら「守り役」をしてくれていても、「先生」には違いないだけに。
けれど、会えたら話は出来る。
「ハーレイ先生!」と呼び止めて、ペコリと頭を下げて挨拶したら。
ハーレイが急いでいなかったならば、廊下などで出来る立ち話。
敬語で話さなくては駄目でも、「ハーレイ先生」としか呼べなくても。
(だけど、会えたら喋れるしね?)
教師と生徒の間柄でしか「話が出来ない」時間でも。
恋人同士の会話などは無理で、甘えることさえ出来なくても。
それでも「会えれば」幸せな時間、「ハーレイ先生」と暫く過ごせるのに…。
(…今日はホントに、見掛けただけ…)
声も届かないほど遠くだったり、廊下を曲がって去ってしまったり。
そうでなければ、階段を上って行ってしまったりといった感じで…。
(ハーレイは何度も見たんだけどな…)
立ち話どころか、挨拶さえも出来てはいない。
きっとハーレイは「ブルーがいた」という事実にさえも…。
(気付いてないよね?)
もしも気付いてくれていたなら、振り返ったと思うから。
どれほど遠く離れていたって、ヒョイと振り向いて片手を上げてくれたろう。
こちらがペコリと頭を下げたら、「分かっているさ」という風に。
それをしないで「行ってしまった」今日のハーレイ。
何度見掛けても、何処で目にしても。
(…家のチャイムが何回鳴っても、全部、ハーレイじゃなかったし…)
今日はそういう日なんだよね、と零れる溜息。
なんとも「ツイていない日」なのだ、と思うから。
(…学校であれだけ見掛けていたから、来てくれるかな、って…)
縁があるかと考えたのに、縁は無かった方らしい。
ハーレイは「来ずに」終わってしまって、鳴らなかったチャイム。
学校でもハーレイを「目にした」だけだし、立ち話さえも出来なかったから。
本当に「ツイていなかった」日。
ハーレイを何回見掛けても無駄で、家のチャイムが何度鳴っても、ハーレイではなくて。
(…此処まで酷い日、そんなに無いよね?)
あんまりだってば、と溜息が口から零れるばかり。
どうしてこんなにツイていないのか、今日はよっぽど運が無いのか。
「ハーレイを見掛けた」回数だけは多くても。
家のチャイムを「鳴らす人」の数は、いつもよりずっと多くても。
(それって、ぼくには意味が無いから…!)
学校でハーレイに「会う」のだったら、立ち話は無理でも、せめて挨拶くらいはしたい。
遠すぎて声が届かなくても、ハーレイが片手を上げてくれる程度に。
今日みたいに「ハーレイの背中」ばかりを見るよりは。
階段を上がって行ってしまって、横顔は一瞬だけよりかは。
(家のチャイムだって…)
同じ鳴るなら、ハーレイが鳴らすチャイムがいい。
近所の誰かが鳴らした目的、それがどういうものであっても。
(…珍しいお菓子のお裾分けでも…)
普段だったら、とても嬉しくても、今日に限っては「嬉しくない」。
ハーレイは来てくれなかったのだし、珍しいお菓子を貰うよりかは、待ち人の方。
同じにチャイムが鳴るのなら。
チャイムを鳴らして、誰かがやって来るのなら。
(なんで、こういう日だったわけ…?)
ぼくの今日の運は、よっぽど悪いの…、と尽きない溜息。
もう幾つ目かも分からないほど、唇から「それ」を零したと思う。
溜息の数が多くなっても、いいことは何も起こらないのに。
(…これじゃ駄目だと思うけど…)
ガッカリした気分で零す溜息、それをつく度、落ち込む感じ。
「ツイていない」と実感して。
今日は溜息をついてばかり、と自覚する度に。
(……溜息の数だけ、幸せは逃げて行っちゃうんだ、って……)
その言い回しを何処で聞いたろう。
前の生でも知っていたのか、今の生で覚えた言葉なのか。
きっと今だ、という気がする。
遠く遥かな時の彼方では、幸せは「今ほど」無かったから。
白いシャングリラでも、そうなる前の「人類のものだった船のまま」だった時代でも。
(…船の一日が無事に終わって、次の日の朝がやって来て…)
新しい一日が「何事もなく」過ぎていったら、それが一番の幸せだった。
「ソルジャー・ブルー」だった前の自分にとっては、船と仲間たちの「無事」が何より。
皆が無事なら幸せな日々で、「ソルジャー」ではない「ブルー」には…。
(…ハーレイだよね?)
幸せを感じられた時には、いつもハーレイがいたように思う。
恋人同士になる前から。
ハーレイが厨房で働いていて、其処を覗きに行った頃から。
(あの頃よりかは、今の方がずっと幸せなのに…)
それでも溜息を零すだなんて、自分は我儘になっただろうか。
「ハーレイが来てくれなかった」だとか、「ツイてない」だとか。
前の自分がついた溜息、そちらは遥かに「重かった」のに。
(……ぼくの寿命は、地球に着くまで持たない、って……)
そう悟ってから、何度溜息を零しただろう。
あの白い船の行く末を思って、ミュウの未来を憂い続けて。
今とは比べ物にならない「重さ」の、つくだけで辛い溜息を。
(…溜息の数だけ、幸せが逃げて行っちゃうんなら…)
前の自分は、その言い回しを「知らずに」生きていたのだろうか。
皆の幸せを願うのだったら、ソルジャーは溜息を零すより…。
(…幸せが逃げてしまわないように…)
溜息を飲み込むべきだったろう。
「ソルジャーがついた溜息」のせいで、皆の幸せが逃げないように。
白いシャングリラとミュウの未来に、幸せが幾つもやって来るように。
そういうことなら、溜息をグッと飲み込んだだろう「ソルジャー・ブルー」。
けれども、チビの自分には無理で、ツイていないというだけで溜息。
溜息の数だけ、幸せを逃しそうなのに。
幸せは逃げて行ってしまうと、たった今、自分で考えたのに。
(…だけど、ついちゃう…)
溜息だもの、と思ったはずみに気が付いた。
その「溜息」にも、色々なものが無かったろうか、と。
(えーっと…?)
ホッと安心した時に零れる、安堵の息。
あれも「溜息」の一つだったと思う。同じように息をつくのだから。
(…とても綺麗な景色とかを見て…)
凄い、と漏らす感嘆の息も、「溜息」の内ではなかったろうか。
思わず知らず息が零れて、仕組みは「溜息」と同じだから。
(どっちも同じ溜息だったら…)
ツイていない、と零す溜息よりかは、ずっと素敵なものだと思う。
ホッとしたなら、心がじんわり温かくなるし、感動したなら、弾みもする。
そういう溜息をつくのだったら、幸せも逃げて行かないだろう。
(逆に幸せが来てくれそうだよね?)
溜息の数だけ、幸せなこと。
安堵の息とか、感嘆の息をついたなら。
(そっちも溜息なんだけど…)
さっきから繰り返す溜息よりかは、そういった息をつく方がいい。
ついた数だけ、幸せがやって来そうな息を。
今よりも、もっと幸せになれる気がするから。
今でも充分、幸せだけれど、もっと幸せになりたいから。
(…溜息よりかは、そっちの息…)
つけるといいな、と明日に期待する。
平和な今の時代の地球では、明日は必ずやって来るから。
溜息ばかりをついていなくても、もっと素敵な息を幾つもつけるのだから…。
溜息よりかは・了
※今日は溜息をついてばかりのブルー君。「ツイてないよ」と、何回となく。
けれど、溜息の種類も色々。幸せが逃げて行かない息をつく方が、ずっといいですよねv