(どんな時でも、か…)
ふと、ハーレイの頭に浮かんだ言葉。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎に座っていたら。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それを傾けた時のこと。
「どんな時でも」と、本当に、不意に。
何かの歌の歌詞などではなくて、何処からかやって来た言葉。
けれども、直ぐに愛おしい人に結び付く。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
まだ十四歳にしかならないブルーへと、飛んでゆく想い。
「どんな時でも、忘れやしない」と。
どんな時でもブルーを想うし、想っている、と。
そう、今だって「そう」だった。
「どんな時でも」と思い付いたら、ブルーのことを想っていた。
どんな時でも忘れやしない、と青い地球の上で再び出会えた人を。
(……長いこと、忘れていたくせにな?)
三十七年ほど忘れていなかったか、と苦笑する。
「その人」のことを、すっかり忘れていなかったかと、自分に向かって。
今の自分は三十八歳だけれど、その誕生日を迎えるより前。
五月の三日に「ブルーのクラスで」再会するまで、何も覚えてはいなかった。
遠く遥かな時の彼方で、誰よりも愛した人のことを。
その人の名前も、面影でさえも。
(ソルジャー・ブルーの写真だったら…)
嫌というほど見たんだがな、と記憶は山ほど。
かの人の名前も、いったい何回、聞かされたことか。
入学式の挨拶などでは、名が挙がるのが定番だけに。
今の平和なミュウの時代を築く礎になった人。
「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と、何処の学校でも説かれるもの。
こうして勉強できる学校、それがあるのもソルジャー・ブルーのお蔭なのだから、と。
下の学校に通った頃から、今の自分が教えるような学校まで。
もう何年もの長い年月、聞き続けて来た「ソルジャー・ブルー」の名前。
生徒として耳にしたのが最初で、今では教師の立場で聞く。
入学式などに出席する度、「ふむ…」と頷いて。
その挨拶を「生徒たち」は真面目に聞いているかと、見回しもして。
(…真面目に聞いてる生徒もいれば、居眠ってるのも…)
いるんだよな、と教師だからこそ分かること。
入学式では、流石に寝る子はいないけれども、始業式なら何人もいる。
「またか」と、長い挨拶に飽きて。
恐らくは前夜の夜更かしなどで、ウトウトと眠くなってしまって。
(俺は居眠ってはいなかったが…)
聞き飽きてはいたな、と思う、かの人の名前。
「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と、校長が挨拶する度に。
(…この名前が出たら、挨拶はもう後半で…)
運が良ければ、あと一分もしない間に終わるもの。
話を短く切り上げるのが、好きな校長だった場合は。
長い話をするタイプならば、まだ「その先」があるのだけれど。
SD体制の時代がどうのと、ソルジャー・ブルーが生きた時代まで持ち出して。
今の時代は「如何に恵まれているか」を、滔々と話し続けたりして。
(それにしたって、もう後半だし…)
前半で十五分ほども話していたって、あと十五分ほどで終わる筈。
「もう少しだけの辛抱だ」と、生徒だった頃には考えていた。
校長の挨拶の内容なんかは、まるで気にさえ留めないままで。
(…教師になったら、そこの所は変わったんだが…)
たとえ定番の挨拶だろうが、校長の個性などは出る。
「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と口にするまでに、何を語るか。
生徒たちに向けてのメッセージなどが、気にかかるもの。
「大いに遊べ」と語るタイプか、「まずは勉強」と言い出す方か。
教師の耳なら、そちらを聞く。
「この校長は、どっちなんだ?」と。
そんな具合だから、馴染み深かったブルーの名前。
前の生での、恋人の名前。
「ソルジャー」の尊称をつけて呼ばれていた「ブルー」。
けれど、覚えていなかった。
生徒だった頃から何回も聞いて、教師になってからも聞き続けても。
何度となく耳にしていても。
(ソルジャー・ブルーに感謝しましょう、とくればだな…)
挨拶も後半に入ったのだ、と思うだけ。
その名を聞いても、「ソルジャー・ブルー」の顔さえ浮かびはしなかった。
「ああ、コレが出たら後半だ」と感じただけで。
ソルジャー・ブルーが「どういう人か」は、少しも考えさえせずに。
(ミュウの時代の、始まりの英雄というヤツで…)
自分とは無縁の「大英雄」だと、頭の中で「理解していた」だけ。
印象的な筈の、その姿さえも思いはせずに。
「ソルジャー・ブルー」は単なる記号で、挨拶の決まり文句でしかない。
その名が出て来て、「感謝しましょう」と続いたならば、挨拶はもう後半だ、と。
(綺麗サッパリ、忘れちまってた…)
あいつのことを、と情けない気持ち。
前の生で深く愛し続けて、失った後も同じに愛した。
シャングリラで地球を目指す旅路で、魂は死んでしまっていても。
生ける屍のような日々でも、「ブルー」を忘れた日など無かった。
本当に、ただの一度でさえも。
(あいつの夢を見ちまって…)
それが「ブルーが生きている夢」で、そのままパチリと目が覚めた時。
「もういないのだ」と現実を知って、どれほどに涙したことか。
夢の中では、ブルーは生きていただけに。
他愛ない話をして笑い合って、その続きに目が覚めたなら。
そうした夢を見ない時でも、朝、目覚める度、ただ悲しかった。
いつも隣で眠っていた人、その人は二度と戻らないのだと。
(あいつが深く眠っちまってからは…)
一緒に眠りはしなかったけれど、心はいつでも追い掛けていた。
どんな時でも、かの人のことを。
いつか目覚めてくれた時には、何から話せばいいだろう、などと。
(なのに、あいつは逝っちまって…)
一人きりで白い船に残され、それでも想い続けていた。
けして忘れる時などは無くて、本当に「どんな時」であっても。
(前の俺は、そうやって生きて、地球まで行って…)
其処でも「ブルー」を想い続けながら、長すぎた生を終えた筈。
「これでブルーの許へ行ける」と、地球の地の底で、笑みさえ浮かべて。
そうして全ては終わってしまって、「ブルーと二人で」飛び越えた「時」。
遥かな後の時代の地球まで、青く蘇った水の星まで。
(今度こそ、あいつと生きてゆくために…)
地球に来たんだと思うんだがな、と確信してはいても、「忘れていた」名前。
「ソルジャー・ブルー」の名前を何度聞いても、全くピンと来なかった。
胸がドキリと跳ねはしないし、鼓動が速くなることも無し。
ただ淡々と聞いていただけで、顔さえも思い浮かべなかった。
「それ」は「かの人」の名前なのに。
前の自分が愛し続けた、「ソルジャー・ブルー」の名前だったのに。
(……うーむ……)
ものの見事に忘れちまって、それっきりか、と呻きたくなる。
最愛の人の名を忘れ果てたかと、それだと気付きもしなかったかと。
(薄情だと言うか、何と言うべきか…)
たとえ記憶が戻らなくても、何かがあれば良かったのに。
「ソルジャー・ブルー」と耳にしたなら、心臓がドクンと跳ねるとか。
理由もないのに、耳について離れないだとか。
(そういったことが、一つだけでもあったなら…)
今のあいつに語れもするが…、と思いはしても「無かった」兆し。
ブルーへの想いも、時を飛び越えるほどの恋さえも。
考えるほどに、悔しい「それ」。
「なんだって、俺は忘れたんだ」と、嘆きたいほど。
こうして思い出した今では、どんな時でも忘れないのに。
前の自分がそうだったように、「ブルー」を想い続けているのに。
(忘れちまったものは、仕方ないんだが…)
それにお互い様でもあるし、と「今のブルー」を思ってみる。
ブルーの方でも、「ハーレイ」を覚えていなかった。
五月の三日に「出会って」、記憶を取り戻すまで。
聖痕がブルーの身体に現れ、互いの記憶が戻った時まで。
(つまりは、おあいこ…)
お互い「忘れ去っていた」ことを責めはしないし、責められもしない。
これからの日々で忘れなければ、それで済むこと。
だから「忘れまい」と、自分に誓う。
誓わなくても、ブルーを忘れはしないけれども。
それこそ頭に浮かんだ通りに、「どんな時でも」。
ブルーに会えずに終わった時でも、会えない日ばかり続いたとしても…。
どんな時でも・了
※どんな時でも、ブルー君を「忘れはしない」のがハーレイ先生。会えない日でも。
けれど、記憶が戻る前には、「忘れていた人」。それはちょっぴり悔しいですよねv