(…あれっ…?)
今の…、と小さなブルーが眺め回した部屋の中。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろしていたのだけれど。
耳に届いた微かな羽音。
もちろん、鳥の羽音ではなくて…。
(…今の音って…)
カメムシだよね、とキョロキョロと見回す天井や壁。
「プーン…」と聞こえた独特の羽音、アレは「そうだ」と思うから。
触ったらとても「臭い」カメムシ、それが「この部屋にいる」ようだから。
(……どうしよう……)
放っておいたら大変だよね、と分かる「ソレ」。
飛んでいるだけなら害は無くても、ウッカリ触れば悲劇になる。
カメムシが放つ最後っ屁。
部屋も、最後っ屁がついた所も、とんでもない臭いに覆われて。
通学鞄に臭いがついたら、学校に行くのも恥ずかしい気分になることだろう。
友達は直ぐに気付くだろうし、学校に行く路線バスの中でも…。
(…何処かからカメムシの臭いがする、って…)
他の乗客が視線と鼻で捜して、「あの子の鞄だ」と見詰めてくるのに違いない。
なんて臭いをさせているのだと、呆れ顔で。
(…鞄からだ、って分かってくれれば、まだいいけれど…)
勘違いする人もいるかもしれない。
臭いは通学鞄からではなくて、制服からだとか。
もっと酷ければ、「あの子の髪の毛にカメムシがいる」といった具合に。
(…髪の毛にくっついてるんなら…)
不幸な事故だと思ってくれもするだろうけれど、家を出る前に「ついた」と思う人だって。
こちらの方をチラチラ見ながら、「洗って来ればいいのに」と。
カメムシの臭いがちゃんと取れるまで、シャンプーで髪を洗って来れば、と。
そういうのは御免蒙りたい。
通学鞄に臭いがつくのも、明日、着て行こうと置いてある制服なんかにくっつくのも。
(…制服は替えがあるけれど…)
朝、「着てしまってから」カメムシが来たら、手遅れになるということもある。
そういう朝に限って寝坊で、着替える時間は「もう、無い」とかで。
(…制服の中に隠れちゃうことも…)
ありそうだよね、と分かっているから恐ろしい。
カメムシの身体は、とても薄いもの。
制服の中に「よいしょ」と潜って入っていたって、「着てしまうまで」気付かない。
袖を通して、それから臭いがしてくるまで。
「制服の中に入ってたんだ…!」と、カメムシの臭いで悟るまで。
(…そんなの、嫌だよ…!)
行きのバスでも、学校に着いて教室に行っても、注目を浴びるだろう自分。
「カメムシ臭い」と、誰もが気付いて。
友達だったら、きっと容赦なく肩を叩いてくれるだろう。
「今日のお前は、凄く臭うぜ?」などと、カメムシの臭いを指摘して。
(…廊下でハーレイに会っちゃっても…)
「ハーレイ先生」は、笑顔で挨拶してゆくのだろう。
「おっ、新作の香水か?」と可笑しそうに。
カメムシは香水などではないのに、「香水」は校則で禁止されていると思うのに。
「その香水は何処のなんだ?」とでも訊くかもしれない。
「俺は使いたいとは思わないんだが、お前の趣味はソレなんだな?」と。
(……ハーレイに、そう言われちゃったら……)
「ハーレイ先生」ではなくなった時に、「香水」の話が出てきそう。
仕事の帰りに寄ってくれた日や、休日に訪ねて来てくれた時に。
「今のお前が好きな匂いは、変わってるよな」と、「例の香水」の臭いを挙げて。
カメムシなんだと知っているくせに、それを香水扱いで。
(…そんなに好きなら、いつかプレゼントしてやろう、って…)
からかいだってするのだろう。
「チビのブルー」が前と同じに育った時には、カメムシの香水を贈ってやる、と。
欲しいと思わないプレゼント。
ハーレイが「くれる」ものなら何でも欲しいけれども、「ソレ」は要らない。
カメムシの臭いの香水なんかは、貰っても困る。
(…まさか無いとは思うけど…)
ハーレイだったら、「冗談だ」と言いながらも、「持って来そう」ではある。
「育ったブルー」ではない、「チビのブルー」に。
カメムシを香水の空き瓶に詰めて、恩着せがましく「お前の好きな香水だ」と。
(それって、断ったら駄目なんだよね…?)
どんなに迷惑な臭いがしたって、ハーレイからのプレゼント。
それも「香水」、「チビのブルー」には、まだ「早すぎる」だろう洒落た品物。
たとえ冗談の贈り物でも、香水瓶の中身は「カメムシの臭い」でも。
(ありがとう、って受け取って…)
早速、つけるべきなのだろうか。
香水瓶の蓋を外して、中身のカメムシが放つ臭いを。
なんと言っても「香水」なのだし、それっぽく「香る」だろう場所に。
(…ママの香水……)
耳の後ろや、手首につけているのを知っている。
それと同じに、「ハーレイに貰った」カメムシ入りの香水瓶の「臭い」を纏うのだろうか。
「プレゼントして貰った」からには、その場で、笑顔で。
心の中では泣いていたって、「とても嬉しい!」と感激して。
(……カメムシの臭い……)
嫌だよ、と思う「酷い香水」。
けれどハーレイからのプレゼントならば、冗談が詰まった香水瓶でも…。
(うんと喜んでおかないと…)
いつか大きく育った未来に、プレゼントを貰えないかもしれない。
「お前、喜ばなかったからな?」と、「カメムシ入りの香水瓶」の話をされて。
誕生日などの記念日だったら「何か貰えても」、普段は「何も貰えない」とか。
いわゆる、サプライズというヤツは。
思いがけないプレゼントの類は、「お前は、喜ばなかったから」と。
(それは困るよ…!)
サプライズのプレゼントが「貰えない」未来も、カメムシ入りの香水瓶も。
どちらも嫌だし、避けたいもの。
カメムシの臭いを「させていた」せいで、そんな運命を辿るのは。
(……退治しなくちゃ……)
そうなる前に、と引き出しから出した粘着テープ。
カメムシ退治にはコレが一番、と母が教えてくれたのだったか。
幼かった頃に「掴んでしまって」、大泣きした日に。
「こうして捕まえればいいの」と、最後っ屁を「放ってしまった」虫の背中に貼って。
(…先に粘着テープを貼ったら…)
もう最後っ屁は放てない。
次に羽音が聞こえて来たなら、コレを使って捕まえないと。
通学鞄や制服に「臭い」がついてしまって、悲しい思いをしたくなければ。
ハーレイが「カメムシ入りの香水瓶」を持って来るとか、サプライズは無しの未来とか。
(…絶対、嫌だよ…!)
徹夜してでも捕まえてやる、と粘着テープを手にして待った。
独特の羽音が聞こえて来るのを、カメムシが動き始める時を。
漏れそうになる欠伸を噛み殺しては、「カメムシ退治…」と心で繰り返して。
(来た…!)
あそこ、と見付けた羽音の持ち主。
天井の近くを飛んでいるから、まだ届かない。
(見失ったら、おしまいだから…)
しっかり見据えて、チャンスを待った。
粘着テープで捕まえられる場所に止まるのを。
チビの自分の手でも充分、届く所にやって来るのを。
(…今だ…!)
クローゼットの扉に止まった所を、そっと近づいて、ペタリと貼った粘着テープ。
カメムシが最後っ屁を放たないよう、背中にペタンと。
嫌な臭いが、部屋中に満ちてしまわないように。
(やった…!)
もう大丈夫、と粘着テープに「くっついた」虫を包んで捨てた。
ゴミ箱にポイと、テープごと。
これで「カメムシ入りの香水瓶」を、ハーレイからプレゼントされないで済む。
「お前、喜ばなかったからなあ…」と、「サプライズが貰えない」未来が来るのも回避した。
(…良かったよね……)
そんな悲劇にならなくて…、と笑みを浮かべた所で気が付いた。
今のハーレイなら「香水か?」と、酷い冗談を言いそうだけれど。
カメムシ入りの香水瓶まで「好きな香水だろ?」と「持って来そう」なほどなのだけど…。
(…前のハーレイだと、カメムシなんか…)
きっと臭いさえ知らなかったろう。
シャングリラにいた虫はミツバチだけで、蝶さえもいない船だったから。
「役に立たない」生き物なんかは、白い箱舟にはいなかったから。
(……ぼくに冗談で贈りたくても……)
前のハーレイは、香水の空き瓶に「カメムシを詰める」ことは無理だった。
そういう香水瓶が無いなら、前の自分も「貰えなかった」。
迷惑そうな顔をしつつも、「カメムシ入りの香水」を纏うべきかどうかも「悩めない」。
前のハーレイが「くれない」のならば、悩むことさえ出来ないから。
(……うーん……)
今だから貰えるんだよね、と気付かされた「カメムシ入りの香水」。
ハーレイが「酷い冗談」を思い付きそうなのも、「今だからこそ」。
カメムシは嫌われ者の虫でも、白いシャングリラには「いなかった」虫。
青い地球の上に二人で来たから、「カメムシ入りの香水瓶」の出番なんかもあるのだろう。
(…そんなプレゼントは欲しくないけど…)
嫌われ者でも、可哀相なことをしちゃったかな…、という気がする。
前の自分は、カメムシ入りの香水瓶などは「貰うことさえ」出来なかった、と分かったら。
平和な青い地球の上でしか、貰えないのだと気付いたら。
とはいえ、欲しくはないけれど。
同じプレゼントを貰うのだったら、「もっと素敵な何か」が欲しいと思うけれども…。
嫌われ者でも・了
※ブルー君が避けたい、カメムシ入りの香水瓶を「ハーレイ先生から、貰う」こと。
けれど、前のブルーだと「貰えなかった」香水瓶。地球ならではの迷惑なプレゼントですv