(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
今日は来るかと思ってたのに、と小さなブルーが漏らした溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(…昨日も来てくれなかったし…)
会いたかったのに、と思うけれども、ハーレイにも事情があるのだろう。
放課後に長引く会議があったとか、柔道部の方で指導が長引いたとか。
(…ハーレイだって、忙しいんだし…)
学校がある日は仕事だもんね、と分かってはいる。
毎日のように、この家を訪ねて来ることは出来ないのだ、と。
時にはとても遅い時間に、疲れ果てて「ハーレイの家」に帰る日もあるかもしれない。
でも…、と思い浮かべる「他の原因」。
この家を訪ねて来られない日は、仕事だけが「理由」とは限らない。
(学校の先生たちと食事に行っちゃう日だって、あって…)
そうした時には、もちろん来てはくれない。
ハーレイは「他の先生たち」と楽しく食事で、酒は飲まないらしいけれども…。
(車で行ってるからだよね?)
前のハーレイのマントの色をした愛車。
濃い緑色の車で通勤するから、学校の帰りに食事に行くなら「運転手」。
他の先生たちを乗せて走って、食事が済んだら順に家まで送ってゆく。
車に乗せられる定員一杯、それだけの数の先生たちを。
飲酒運転は禁止なのだし、ハーレイは「酒を飲まない」だけ。
それを承知で「車に乗って出掛ける」のだから、「酒を飲めない」のは自分で決めたこと。
「飲みたい」のならば、「車を置いて」出掛けてゆくという道もある。
学校の駐車場に置いておくなら、まるで要らない駐車料金。
次の日の帰りまで置いておこうと、追加料金なんかを取られはしない。
それを知らないわけもないのに、車で行くなら「飲めない」ことは百も千も承知。
(ちっとも可哀相じゃないから!)
ハーレイだけが、酒を飲めなくても。
他の先生たちは飲んで騒いで、とても賑やかな食事でも。
今日は「そっち」の日だったろうか、と考えが「食事」の方に向く。
会議や部活で忙しかったせいで「来られなかった」日とは、違ったろうか、と。
(ぼくがパパやママと食事をしてた時間に…)
ハーレイは何処かの店で食事をしていたろうか。
他の先生たちと出掛けて、美味しいと評判の店などで。
(…それで来られなかったなら…)
ちょっと酷い、と思わないでもない。
付き合いは大切なのだけれども、「恋人」だって大切なもの。
どんなに「チビ」の恋人でも。
「キスは駄目だ」と言われるくらいに子供扱いされていたって、恋人には違いない自分。
しかも「普通の恋人」とは違う。
前の生から恋人同士で、生まれ変わって再び巡り会えたほどの「特別な」人。
それを放って、食事に行くのは「酷くない?」と。
(…今日は出掛ける所があるから、って…)
言えば誘いは断れるだろう。
食事は「楽しく」出掛けるものだし、一種の娯楽。
それよりも優先すべきことなら、誰にだって幾つもあるというもの。
(うんと昔の友達と約束してるとか…)
隣町に住むハーレイの両親、そちらの家に用があるだとか。
「今日は、ちょっと…」と断ったならば、理由まで詳しく訊かれはしない。
仕事を休むわけではなくて、欠席するのは「食事」なのだから。
それも大事な「会食」とは違う、ただの「お楽しみ」。
いくらでも断りようがあるから、なんだか腹が立ってくる。
「ぼくを放って行っちゃった?」と。
(…今日は違うかもしれないけれど…)
だけど、と拭えない「疑惑」。
ハーレイは食事に行ったのでは、と思い始めたら、そんな気がして。
「今日は違っていた」としたって、今日までに何度もあったのが「食事」。
放っておかれたことがあるから、「もしかして、今日も?」と。
(ぼくを放って行っちゃうなんて…!)
酷いんだから、とプウッと膨らませた頬。
「チビだと思って、馬鹿にしちゃって!」と。
これが「育ったブルー」だったら、こんなことには、きっと「ならない」。
前の自分と同じ背丈に育った「ブルー」だったのなら。
(…他の先生たちと、食事に行くような暇があったら…)
ぼくを誘ってくれる筈だよ、と溢れる絶大な自信。
夕食を食べに二人で出掛ける、そういうデート。
「今日は飯でも食いに行こう」と、ハーレイが何処かへ誘ってくれて。
濃い緑色をしている愛車の、助手席に乗せて貰ってドライブもして。
(食事の後にはドライブだよね?)
他の先生たちを「順に送ってゆく」のだったら、恋人の場合は軽くドライブ。
それから家まで送って貰って、「またな」とキスを貰って別れる。
今日は「そういう日」になった筈で、ハーレイと夕食を食べられた。
二人きりで出掛けて、ゆっくりと。
(美味しいね、って食べて、それからドライブ…)
ぼくが子供でなかったら…、と分かっているから、悔しくなる。
どんどんと腹が立ってくる。
「どうせチビだよ!」と、「ハーレイのケチ!」と。
此処にハーレイがいるのだったら、怒鳴るのに。
思った通りに、心の中身をぶつけてやるのに、「いない」ハーレイ。
「ケチ!」と叫べたら、スッとするのに。
「どうせチビだよ!」とプンスカ怒ってやれたら、このイライラは無くなるのに。
けれども、ハーレイは「此処にはいない」。
どんなに腹が立っていたって、いない相手に怒鳴れはしない。
(…ハーレイのバカ…!)
それに酷い、と怒りは増してゆくばかり。
ぶつける相手が「此処に」いなくて、行き場所がないものだから。
胸の中でぐんぐん膨らむばかりで、膨らんだ「それ」を放り出してやれはしないから。
(…ハーレイのケチ!)
ホントに酷い、と足で床を「ドン!」と蹴りたいけれども、それは出来ない。
この時間ならば、まだ両親がリビング辺りにいるだろうから。
上から「ドンッ!」と音がしたなら、きっと慌てて見にやって来る。
「どうしたの?」と母が駆けて来るとか、「どうした!?」と父がドアを開けるとか。
(うー……)
腹が立つのに床も蹴れない、と思ったはずみに、目に付いたモノ。
ベッドの上にある枕。
フカフカで大きな、寝心地のいい枕だけれど…。
(…枕は悪くないんだけれど…!)
これなら殴れる、と拳を握って、ボスッ! と思い切り殴ってやった。
ハーレイを殴ったことは一度も無いのだけれども、「そのつもり」で。
前の自分でさえも「殴らなかった」ハーレイを、「殴ってやる」気になって。
(ハーレイのバカッ!)
えいっ、と殴り付けた枕は、床と違って、音なんか、まるでしなかった。
柔らかいだけに、パフッと「柔らかな音」が沈んでいっただけ。
ちゃんと「手ごたえ」は、あったのに。
「殴ってやった」と、拳は枕に沈み込んだのに。
(……よーし……)
サンドバッグと言うのだったか、ボクシングの選手が「殴る」アレ。
それのつもりで「枕」を殴ってやればいい。
本物のハーレイは殴れないから、「殴ったつもり」で、この枕を。
「ハーレイのケチ!」と、「酷いんだから!」と、怒りをこめて。
力一杯に殴り付けても、枕は「痛い!」と叫びはしない。
その分、罪の意識も無いから、もう何発でも殴ってやれる。
「ハーレイのバカ!」と、右手で力の限りに。
まだ足りないと、左手までもブチ込んで。
ベッドの上でボカスカ殴って、「ハーレイのバカッ!」。
バンバン拳で殴り続けて、「ハーレイのケチ!」。
せっせと殴って、殴りまくって、お次は枕を引っ掴んだ。
ハーレイを「投げ飛ばす」ことは出来ないけれども、枕だったら「投げられる」。
ベッドにバスッ! と叩き付けてやって、気分爽快。
「やってやった」と、「ハーレイにお見舞いしたんだから」と。
ケチなハーレイにはお似合いの刑で、殴って殴って、投げ飛ばしたい。
「チビの自分」を放って行ったハーレイなんかは。
「育ったブルー」ならデートに連れて行っても、「チビ」は放っておく恋人は。
(ハーレイのケチ!)
でもって、バカッ! と殴り続けて、投げ続けて。
枕はパンパンに空気を吸い込み、ふと気が付いたら、驚くほどにフカフカだった。
いつも以上に、ふんわりとして。
「どうぞ、ゆっくり寝て下さい」と言わんばかりに、膨らんで。
(…えーっと…?)
思いっ切り当たり散らしたのに、と目を丸くして眺めた枕。
あんなに酷い目に遭わせていたのに、「いい眠り」を約束してくれそうな「それ」。
(……ハーレイみたいだ……)
ふと、囚われた、そういう気持ち。
本物のハーレイに、当たり散らして殴りまくっても、こうだろうか、と。
(…気が済むまで、殴らせてくれて…)
それから「もういいか?」と優しく微笑むだろうか。
「それなら、いいな」と、「今夜は、いい夢を見るんだぞ」と。
腹が立っていたことなど忘れて、「うんとゆっくり眠るといい」と。
(……そうなのかも……)
ごめんね、と枕を拾い上げて、キュッと抱き締める。
腹が立っても、あれほどバンバン殴り付けても、枕は「怒らなかった」から。
怒るどころか、逆に優しくしてくれたから。
まるで「ハーレイが」そうするように。
ハーレイだったら、「きっとそうだ」と、怒りなんかは何処かへ消えてしまったから…。
腹が立っても・了
※ハーレイ先生への怒りをこめて、枕に向かって当たり散らしたブルー君。殴って、投げて。
けれど枕はフカフカになって、まるでハーレイ先生のよう。怒る気持ちも消えますよねv