(今日は、ちょっぴり…)
疲れちゃった、と小さなブルーが漏らした溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ。
それも「疲れちゃった」と、思ってしまう理由の一つ。
もしもハーレイが来てくれていたら、疲れなんかは吹っ飛ぶから。
具合が悪くて寝ていた時でも、ハーレイに会えばホッとするもの。
学校を休んでしまったような日に、「大丈夫か?」と見舞いに来てくれるだけで。
けれども、会えなかったハーレイ。家では、だけど。
(…ハーレイ先生の方だったら…)
会えたんだけどな、と思い出すハーレイの姿。
学校の廊下で出会って、挨拶をして、たったそれだけ。
立ち話は出来ずに、お互い、別の方へと歩いて行っただけ。
(会えないよりかはマシなんだけど…)
ずっとマシだと分かってはいても、残念な気持ちは拭えない。
ハーレイが「家に来てくれない」なら、「学校で少し話したかった」と。
「恋人ではない」ハーレイ先生、教師と生徒の間柄にしか過ぎなくても。
他の生徒に聞かれてもいい、無難なことしか話せなくても。
(…ツイてないよね…)
そんな日に限って、帰りがアレ、と学校からの帰りのバスを思い出す。
いつも乗っている路線バス。
学校の側のバス停から乗って、家の近くまでの「ほんのちょっぴりの」旅。
短い間の旅だけれども、お気に入りの席があったりもする。
「此処が大好き」と決めている席。
空いていたなら真っ直ぐに行って、ストンと座って乗ってゆく席が。
たまに「誰かが先に座って」、塞がっていたりするけれど。
少しガッカリするのだけれども、バスには他にも席が沢山。
自分が「乗って帰る」時間は、混み合う頃ではないだけに。
ところが、そうではなかった今日。
学校の側のバス停で待って、其処へと滑り込んで来たバス。
(…ドアが開いたら、凄く賑やかで…)
入口の側にまで、ギッシリ「詰まっていた」子供たち。
下の学校の一番下の学年くらいか、その上くらいの年頃の子たち。
遠足だったら「学校からバスで行く」だろうから、クラスで何処かへ出掛けた帰り。
そういう子たちで寿司詰めのバスで、一瞬、乗るのを躊躇った。
「次のバスが来るのを、待とうかな?」と。
バスの本数は少なくないから、暫く待ったら次のが走ってやって来る。
それに乗ったら、いつもと同じに「お気に入りの席」に座って帰ってゆける筈。
「その方がいい」と思っていたのに、ついつい「乗ってしまった」バス。
運転手の人が親切に呼び掛けてくれたから。
「お乗りにならないんですか?」と、運転席から、マイクを使って。
(あんな風に呼び掛けられちゃったら…)
乗ろうかな、と考えてしまうもの。
「とても親切な運転手さん」が運転するバス、それを「乗らずに」見送るなんて、と。
だから乗り込んだ、子供たちがギュウギュウ詰まったバス。
「乗ってる時間は、ちょっぴりだしね?」と、子供たちを掻き分けるようにして。
けれども、いささか甘かった読み。
バスに詰まっていた子供たちは、元気が「余っていた」ものだから。
(走り回ったりはしないんだけど…)
あっちでこっちで、大きな声で話して、笑い合って。
バスの前の方と後ろの方とで「声を飛ばし合って」、ジャンケンなども。
もちろん「お気に入り」の席は無かった。
子供たちがちゃっかり座ってしまって、他の席にも子供たち。
座れる席は一つも無いまま、吊り革を掴んで揺られていくしかなかったバス。
エネルギーの塊みたいな、子供たちに圧倒されながら。
「…ぼくは、こんなに元気じゃなかった…」と、小さかった頃を思い出しながら。
それは賑やかな声が響く中、座ることさえ出来ないままで。
お蔭でバスを降りた時には、すっかりクタクタ。
家の近くのバス停で「バスから降りる」だけでも苦労した。
小さな子たちで溢れたバスでは、降車ボタンを押すのも大変。
うんと頑張って腕を伸ばして、ようやっと押せた「次で降ります」の合図のボタン。
押した後には、子供たちの群れの中を「泳ぐようにして」、懸命にバスの前へと進んだ。
「次で降ります!」と叫んだりもして、前へ、前へと。
バスがバス停で停まった時にも、まだ「出口まで」着けていない有様。
親切だったバスの運転手は、アナウンスをしてくれたけれども。
「降りる人に道を空けてあげて下さい!」と、バスを埋める子供たちに向かって。
やっとのことで辿り着けたから、運転手にペコリと頭を下げた。
「ありがとうございました!」と、いつも「そうやって」降りているように。
運転手も「ありがとうございました!」と返してくれて、バスは走って行ったけれども…。
(…もう本当に、疲れてクタクタ…)
なんという酷いバスだったろう、と足を引き摺るようにして歩いた道。
家までの道は、長くないのに。
普段だったら、道沿いの家の庭などを、覗き込んだりしながら帰るのに。
(…疲れちゃってたから、それどころじゃなくて…)
家に着いて門扉を開けた時には、もう「鞄さえも」重かった。
通学鞄は、それほど重くはないものなのに。
庭を横切って家に入って、「ただいま」と呼び掛ける声にも、まるで無かった元気。
リビングにいた母に「疲れちゃった…」と言うなり、その場に座り込んだほど。
母が「どうしたの!?」と、病気ではないかと驚いたのも、きっと当然。
(だけど、病気じゃなかったから…)
暫く休んで、それから出掛けた洗面所。
手を洗って、ウガイもしておかないと、と。
それが済んだら、普段は着替えにゆくのだけれど…。
(今日は、そうする元気も無くって…)
制服のままで、リビングでおやつを頬張った。
母が焼いておいてくれたケーキや、とびきり甘いココアなんかを。
おやつを食べたら、戻った元気。
あれほど「疲れ果てていた」のに、美味しいおやつの効果は絶大。
「ちょっぴり疲れた」程度になるまで、奪われた体力を戻してくれた。
もちろん、気力の方だって。
(…だから、ちょっぴりなんだけど…)
今日はちょっぴり疲れたんだけど、とベッドに座って考える。
「これでハーレイが来てくれていたら、もっと元気になってたよね?」と。
疲れなんかは消えてしまって、元気だったに違いない、と。
「今日は、とってもいい日だったよ」と思ったりもして、御機嫌で。
(……おやつくらいじゃ……)
全部は戻ってくれないのかな、と「疲れちゃった」気分が気になりもする。
「ハーレイ」も必要なのだろうかと、「おやつだけでは、やっぱり駄目?」と。
けれども、其処で気が付いた。
その「ハーレイ」は、今日は来なかったけれど…。
(…前のぼくがいたから、今のぼくがいて、ハーレイがいて…)
今もやっぱり恋人同士で、家を訪ねてくれる日もある。
病気で学校を休んでいたって、「具合はどうだ?」と仕事帰りに。
そのハーレイと「初めて出会った」、前の自分は、どうだったろう。
遠く遥かな時の彼方で、「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた人は。
白いシャングリラで、ミュウたちの長だった頃の自分は。
(……ちょっぴりどころか、うんと疲れていた時だって……)
仲間たちのためにと、どれほど努力していたことか。
「ただいま」と言うなり、その場にへたり込んだりはせずに。
皆の前では凛と立ち続けて、疲れた顔など見せもしないで。
(…もちろん、おやつなんかは無くって…)
白いシャングリラに「菓子」はあったけれど、それだけのこと。
青の間に届けられはしたって、「おやつちょうだい!」と言えはしなかった。
ソルジャーは、「そういったこと」はしないから。
どんな時でも、甘えたことなど言えはしなかったから。
(…今のぼくだと、疲れた時には…)
母が焼いてくれた美味しいケーキや、甘くて疲れが癒えてゆくココア。
「ママ、おやつ!」と頼まなくても、「はい、お待たせ」と出てくる、おやつ。
それを食べたら、元気が戻って来てくれるもの。
今日のようにバスで疲れ果てても、通学鞄さえ「とても重い」と思った日でも。
(…ハーレイは来てくれなかったけど…)
だけど元気は戻ったよね、と見詰める自分の小さな両手。
なんて幸せなんだろうかと、「前のぼくより、ずっと幸せ」と。
疲れた時には、それを少しも隠すことなく、「疲れちゃった」と言えるから。
その場にペタリと座り込んでも、母が慌てる程度だから。
(疲れた時には、おやつを食べて…)
元気になれるのが今のぼくだ、と零れた笑み。
「前のぼくとは、全然違う」と。
平和になった地球に来たから、ハーレイがいてくれて、おやつまである。
疲れた時にも、ただ食べるだけで、元気が戻ってくるおやつ。
ハーレイに会えなかった時でも、「ちょっぴり疲れた」とだけ思うくらいに…。
疲れた時には・了
※「疲れちゃった」と思った時にも、おやつを食べたら元気になれるブルー君。
けれど、ソルジャー・ブルーだった頃は、そうではなかったのです。幸せなのが今v
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