(…英雄なあ…)
そういう人間もいるんだっけな、とハーレイの頭に浮かんだ言葉。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
遠い昔から、大勢の英雄がいるけれど。
自分が教える古典の中にも、それこそ何人も出て来るけれど。
(…源義経ってヤツもそうだよなあ…)
小さな島国、日本の英雄。
平安時代の終わりに生まれて、駆け抜けるように生きて散った義経。
あまりにも最期が悲しすぎたから、荒唐無稽な伝説までが生まれたほど。
「義経は、実は死んではいない」と、多くの人に語り継がれて。
(衣川では死んじゃいなくて、もっと北へと落ち延びて…)
海を渡って、その頃は蝦夷地と呼ばれた北海道に逃げて、無事だったとか。
北海道どころか、日本海を越えて中国大陸にまで渡った末に…。
(モンゴルに行って、チンギスハンになるんだっけな)
とんでもないぞ、と可笑しくなる。
チンギスハンと言えば、モンゴル帝国の創始者だから。
義経よりも遥かに名高い英雄、その伝説が生まれた頃でも、知名度は桁が違ったろう。
中国大陸の人に「源義経を知っていますか?」と訊いたら、「さあ…?」と返ったと思う。
小さな島国で戦いに負けて、死んでいっただけの源義経。
それに比べてチンギスハンは、一大帝国を築いた男。
遥か西へも遠征したから、多分、ヨーロッパにも名が轟いていただろう。
英雄として知られていたのか、征服者として恐れられたかは、ともかくとして。
(義経とは桁が違うんだがなあ…)
その二人を結び付けられてもな、と考えるのは、自分が後世の人間だから。
伝説と史実は違うことなど、百も承知で生きているせい。
けれども、当時の人は違った。
義経を英雄と称え続けて、非業の最期を嘆き続けた人々は。
そうして生まれた、「義経は死んでいない」という伝説。
最初は北へと逃げる話が出来たのだろう。
南に逃げれば、敵が増えてゆく一方だけれど、北に逃れればそうではない。
敵の支配は及んでいなくて、「義経を知らない」人間も多くいただろうから。
甲冑を捨てて、ただの旅人に身をやつしたなら、きっと誰もが手を貸してくれる。
飢えているなら、食料をくれて。
宿などが無くて困っているなら、「どうぞ」と家に泊めたりもして。
(実際、そういうことが無かったとも言えんよなあ…?)
義経の首は、後に鎌倉まで届いたけれど。
「間違いなく死んだ」と皆が納得したのだけれども、なんと言っても昔のこと。
(保存技術も、確立してはいなかったんだ…)
せいぜい酒に浸す程度で、凍らせるなどの技術は無い。
酒に浸せば、そのアルコールで保存できるのは確かだけれど…。
(ふやけちまうし、人相だって変わっちまうぞ?)
どう頑張っても、生前のままとはいかないだろう。
第一、館に火を放ったという説もある。
それが本当なら、人相など確かめようもない。
替え玉の首を持って行こうが、放り込んであった死人の首であろうが。
(首の方が本物と言い切れないなら…)
誰だって夢を見たくなる。
義経の側に味方していた武士でなくても、戦とは無縁の庶民でも。
なんと言っても「英雄」だから。
驕る平家を滅ぼした英雄、その英雄の最期が悲劇でいい筈がない。
きっと何処かへ逃れた筈だ、と「ありそうな話」を皆が考え始めて、北へ逃がした。
敵のいない北へ逃げて行ったと、そちらだったら安全だから、と。
(本当に逃げていたかもしれんし…)
ただの伝説なのかもしれない。
けれど「義経の伝説」は北に幾つもあったという。「此処に来たのだ」と。
北に逃れた、悲劇の英雄。
其処までは「真実」かもしれない。
確かめる術は何処にも無いから、「逃げていない」とは誰にも言えない。
後の時代に書き記された、「義経は北へ逃れた」という伝説たち。
それの一つは、本当なのかもしれないから。
義経は妻子と共に逃れて、敵などはやって来ることも無い、鄙びた村で…。
(生きていたかもしれないしな?)
其処までだったら、充分、有り得る。
鎌倉に届いた「義経の首」が本物なのかは、当時の技術では分からない。
DNAを調べることなど不可能だから。
外から眺めて「これがそうだ」と、誰かが言えば「確定」だから。
(偽物の首でも、届いちまったら…)
それが本物だと断定されたら、もはや追手はかからない。
義経は死んで、何処を探しても、もう「いない」者。
いつまでも探し続けているより、政権を固める方が大切。
(そうなっちまえば、安全だしな?)
義経は生きて、子供も無事に育ったろうか。
衣川で義経が手にかけたという、女の子。
その子も義経や母と一緒に北へ落ち延び、其処で大きくなっただろうか。
弟や妹なども生まれて、「ただの平凡な女の子」として。
その血は後の時代に継がれて、今も何処かに子孫が生きているかもしれない。
SD体制の時代さえをも、遺伝子の形で生き延びて。
自分でもそうとは気付かないまま、義経の血を引き続けて。
(そういうヤツなら、現実味だってあるんだが…)
チンギスハンはどうかと思う、と浮かべた苦笑。
いくら義経を逃がしたくても、色々な説を唱えたくても…。
(モンゴル帝国の初代皇帝になるというのは…)
無茶すぎだよな、とクックッと笑う。「そいつはスケールがデカすぎだ」と。
けれども、一種の英雄譚。
そうした話が生まれるくらいに、「源義経」は英雄だった。
「死んだことなど、認めないぞ」と大勢の人が思ったくらいに。
まずは北へと逃がしてしまえ、と伝説が生まれて、更に北へと逃がし続けた。
海を渡って北海道へ、其処から中国大陸へと。
(英雄ってのは、大したもんだな…)
みんなが話を作るんだから、と感心せずにはいられない。
古今東西、その手の英雄には事欠かないと言っていいほど。
悲劇の色が濃ければ濃いほど、「生き延びた」話が出来て広まる。
子孫を名乗る者が現れたり、子孫の証を持っていたりと。
(…何処までが本当だったんだか…)
今となっては知りようがない。
チンギスハンになった義経は明らかに嘘だけれども、北には逃れたかもしれない。
敵に知られないよう命を繋いで、その血を引く者が「今もいる」とか。
義経が滅ぼした平家の方でも、似たような伝説が同じにある。
彼らが奉じた安徳天皇、壇ノ浦の海に沈んだ幼帝。
その天皇を連れて逃げた武者たち、彼らの伝説もあちこちにあった。
(安徳天皇は英雄じゃないが…)
そっちの方も、生き延びたかもしれないよな、と思ったりもする。
真実を確かめようがないなら、可能性は否定できないから。
(しかし、やっぱり義経だよなあ…)
あの時代の英雄と言ったら義経なんだ、と断言できる。
「義経記」という古典があるほど、愛された英雄だったから。
「生きていて欲しい」と願った人々、彼らがせっせと北に逃がして、中国大陸にまでも。
英雄というのは大したもんだ、と感動したくもなるというもの。
「みんなが生かしてくれるんだよな」と、「悲劇に終わった時は、そうして」と。
生き延びたのだ、と生まれる伝説。
時を経るほどに伝説は増えて、途方もないスケールになるくらいに。
(英雄ってヤツは、そうしたもんで…)
伝説も其処から生まれるんだ、と思ったけれど。
非業の最期を遂げた英雄だったら、皆が話を作ってゆくのだ、と考えたけれど。
(……待てよ?)
前の俺だって英雄じゃないか、と気が付いた。
SD体制を倒した英雄、その中の一人がキャプテン・ハーレイ。
今の時代も名前が残って、記念墓地にも墓碑があるほど。
(でもって、非業の最期なんだが…)
地球の地の底で死んじまったぞ、と思い返す「前の自分の最期」。
前の自分は「これでブルーの所へ行ける」と、夢見るように死んでいったのだけれど…。
(そんなことは誰も知らんよな?)
誰も知らないなら、道半ばでの「非業の最期」。
世が世だったら伝説が出来て、前の自分もジョミーやキースと逃れたろうか。
「実は地球では死んでいない」と、「シャングリラに乗って宇宙に旅立ったのだ」と。
生憎と時代が時代だっただけに、そうはなってはいないどころか…。
(英雄とは無縁の俺に生まれてしまったぞ?)
ただの教師だ、と思ってはみても、これが自分には似合いだと思う。
一緒に生まれ変わったブルーと、幸せに生きてゆけたなら。
前のブルーが焦がれ続けた、青い地球の上で暮らせるのなら。
英雄よりは、その方がいい。
身の丈に合ったように暮らして、ブルーと二人で平凡に生きてゆく方が…。
英雄よりは・了
※英雄について考え始めたハーレイ先生。古典を教える教師なだけに、源義経の伝説を。
けれど、同じに英雄だったのがキャプテン・ハーレイ。でも英雄より、平凡なのが一番ですv