(ふふっ、ホットケーキ…)
これが大好き、とブルーはパクンと頬張った。
焼き上がったばかりのホットケーキが二枚、お皿の上に乗っかっている。
(ぼくは沢山食べられないから…)
少し小さめ、そういうのが二枚。
ホットケーキは「重ねてある」のが、より美味しそうに見えるから。
大きなものを一枚焼くより、断然、二枚の方がいい。
(メープルシロップたっぷりで…)
熱で溶けてゆく金色のバター、それも大切。
ホットケーキそのものも美味しいけれども、バターとメープルシロップもいい。
(両方揃うと、うんと美味しくなるんだよ)
果物やホイップクリームなどをトッピングするより、基本の食べ方が一番好き。
メープルシロップと金色のバター、これが最高だと思う。
(だって、本物のメープルシロップ…)
合成品ではなくて、砂糖カエデの樹液で出来たメープルシロップ。
混じり気なしの、樹液を煮詰めた甘いシロップは、たっぷりかけても「くどくない」。
バターの方も、地球の草を食んで育った牛のミルクのバター。
牧場で搾ったばかりのミルクを、直ぐに運んで加工してバターの出来上がり。
(食べてる草が美味しいから…)
ミルクもバターも、とても美味しくなって当然。
白いシャングリラの中で育てた、牛たちのミルクのバターより。
(ホットケーキは、こうでないとね?)
朝御飯でなくても、うんと美味しい、とナイフとフォークで食べてゆく。
こういう素敵な「ホットケーキの朝食」、それが自分の夢だったから。
「いつか地球で」と夢を抱いて、食べたいと願い続けたから。
本物のメープルシロップも、地球の草で育った牛のミルクのバターも、船には無いもの。
青い地球まで辿り着かないと、けして食べられはしないもの。
夢だった筈のホットケーキを、美味しく食べている自分。
溶けたバターを塗り付けながら、メープルシロップを絡めてやりながら。
(バターとメープルシロップの味が混ざって…)
ホントに美味しい、と頬っぺたが落ちそうに感じるほど。
前の自分の夢が叶った、地球でしか食べられないホットケーキ。
(今だと、これが当たり前で…)
その気になったら、毎朝だって食べられる。
今日のように「おやつ」になる日だってあるし、ホットケーキは食べ放題。
胃袋さえ悲鳴を上げないのならば、三枚も、それに四枚だって。
(本の挿絵とかにあるみたいに…)
ドッサリ重ねて、メープルシロップをかけたっていい。
山のような量のホットケーキに行き渡る量を、惜しみなく。
バターもたっぷり、好きなだけの大きさに切り取って。
(そういうのだって、今なら出来ちゃう…)
母に頼んで、沢山焼いて貰ったら。
「本当に全部食べられるの?」と呆れられても、「大丈夫!」と言いさえすれば。
それで残してしまったとしても、母は「やっぱりね」と苦笑するだけ。
「そんなことだと思っていたわ」と、「このホットケーキは、どうしようかしら?」と。
きっと母なら、いい使い道を考えてくれる。
メープルシロップと溶けたバターまみれの、ホットケーキの山だって。
チビの自分が食べ切れないで、「もう入らないよ」と途中で降参した後だって。
(晩御飯には使えなくても、デザートに変身しちゃうとか…)
次の日の朝に、思わぬ形に化けてテーブルに現れるとか。
「昨日のブルーのホットケーキよ」と、母がテーブルに運んで来て。
(ママなら、きっとそうだよね?)
料理上手で、お菓子作りも得意な母。
ホットケーキが山ほど残れば、それを使って別の何かを作るのだろう。
そのまま残して、次の日の朝に温め直したりはしないで。
ママだもんね、と顔が綻ぶ。
とても優しくて、叱る時でも声を荒げはしない。
山のようなホットケーキを作って貰って、残したとしても、怒鳴られはしない。
(…パパには話すんだろうけど…)
それを話して、「叱ってやって」とは言わない母。
聞いた父の方も、「此処に来なさい」と怖い顔になって怒りはしない。
どちらかと言えば、父の場合は…。
(ママにきちんと謝ったのか、って…)
確認するだけで、「謝ったよ」と答えた時には、「よし」と頭を撫でるのだろう。
「ちゃんと謝ったんならいい」と、「次から我儘、言うんじゃないぞ?」と。
(ホットケーキの残りで作った、デザートとかも…)
父は「美味いぞ」とパクパクと食べて、「怪我の功名だな」と笑顔になりそう。
「お前が沢山残さなかったら、こいつは食べられないからな?」と。
(パパもママも、うんと優しいんだから…)
ぼくのホントのパパとママだし、と嬉しくなる。
前の自分は、両親を忘れてしまったから。
十四歳になるまで育ててくれた、優しかったのだろう養父母。
その人たちを忘れてしまって、とうとう思い出せないまま。
どんな顔だったか、どんな声をした人たちだったか。
(…顔だけだったら、写真が残っていたのにね…)
テラズ・ナンバー・ファイブを倒した後に、引き出された膨大な「ミュウに関する情報」。
その中に前の自分のもあって、養父母の写真も残されていた。
今のハーレイが覚えていたから、今の自分にも伝わったけれど…。
(声はデータが無かったから…)
養父母の声は分からない。
今の両親なら、直ぐに頭に浮かぶのに。
どういう言葉を口にしそうか、それだって直ぐに分かるのに。
ホントに残念、と思うけれども、今は幸せなのだし、いい。
血が繋がった本物の両親、それが自分の父と母。
(ホットケーキも、ちゃんと本物…)
前のぼくの夢のホットケーキ、と食べる間に、不安になった。
これは本当のことだろうか、と。
本物の母が焼き上げてくれた、二枚重ねのホットケーキ。
地球の草で育った牛のミルクのバターに、砂糖カエデから採れたメープルシロップ。
(夢みたいだけど…)
こっちが夢の出来事かも、と自分の頬っぺたを抓ってみた。
夢の中なら痛くない、と前に何処かで聞いたから。
(えーっと…?)
キュッと抓っても、ギュウと抓っても、痛くない。
まさか、と頬っぺたを引っ張ってみても、少しも感じない痛み。
(…これって、夢なの…?)
どおりで「夢のホットケーキ」が此処にある筈。
山ほどの量のホットケーキを焼いてくれそうな、「本物の母」が家にいる筈。
(…ぼくはママなんか忘れてしまって…)
父の顔だって覚えていなくて、子供時代の記憶も無い。
それが自分で、「ソルジャー・ブルー」。
白いシャングリラで暮らすミュウたちの長で、向かおうとしているのが青い地球。
その地球でしか、こんなホットケーキは食べられない。
地球に着いても、「本物の両親」なんかはいない。
SD体制が敷かれた時代に、血縁のある親子は存在しないから。
子供は全て、人工子宮から「外の世界」に出されるから。
(…そうだよね…)
こんな素敵な世界なんかは何処にも無いよ、と気付かされた。
ホットケーキも、優しい両親も、全部、自分が見ている夢。
目が覚めたならば、そんな世界は無いのだから。
これは夢だ、と分かってしまうと、夢の世界にしがみ付きたくなる。
夢の世界から出たくなくなる。
(目が覚めちゃったら、ホットケーキも、ぼくのパパとママも…)
消えてしまって、それっきり。
ホットケーキなら、いつか地球まで辿り着いたら、きっと食べられるだろうけれど…。
(パパとママには…)
会えはしないし、一緒に暮らすことも出来ない。
夢の中なら、両親の家に住んでいるのに。
この夢の中で「ママ!」と呼んだら、「どうしたの?」と母が来てくれるのに。
夕食が出来る頃になったら、父も帰って来てくれる。
「ただいま」と玄関の扉を開けて、「今日も学校、楽しかったか?」と。
けれど、何もかも夢の産物。
もうじき夢は覚めてしまって、自分は「ソルジャー・ブルー」に戻る。
今は小さな子供なのに。
十四歳にしかなっていなくて、甘えん坊のチビなのに。
(起きたくないよ…)
ずっとこの夢の中にいたいよ、と我儘な気分。
ソルジャーに、それは許されないのに。
目覚ましが鳴ったら直ぐに起き出し、ソルジャーの衣装に着替えなければ。
そして船での一日が始まる。
ホットケーキが朝食に出ても、メープルシロップは合成品の船。
バターはあっても、船の中で育てた牛のミルクで作られたバター。
(ホットケーキを、ぼくが残しちゃっても…)
美味しく変身させてくれる母はいなくて、「ママに謝ったか?」と訊く父だっていない。
SD体制が敷かれた世界に、「本物の両親」はいないから。
どんな子供にもいる筈の養父母、その人たちも自分は忘れたから。
いられるものなら、この夢の中にいたいのに…。
それは出来ない、と分かっているから零れる涙。とても悲しくて。
(パパ、ママ…)
消えてしまわないで、と泣く自分の声で目が覚めた。
頬を濡らした冷たい涙で、意識が少しずつ冴えてゆく。
(……消えちゃった……)
パパもママも、それにホットケーキも…、と指で涙を拭おうとしたら。
(あれ…?)
青の間じゃないよ、と見上げた天井。
あそこの天蓋はこうじゃなかった、と暗い部屋の中を見回してみて…。
(こっちが本物…!)
ぼくの家だ、と弾んだ胸。
今の自分は十四歳にしかならない子供で、青い地球の上に生まれて来た。
さっきの夢に出て来た両親、それが本物の「パパとママ」。
夢が覚めても、消えはしなかった「夢の中の世界」。…それが「本物」だったから。
(ぼくって、幸せ…)
ホントに幸せ、と今度は嬉しくて泣きたい気分。
ハーレイにこれを話してみようか、「幸せな夢を見たんだよ」と。
「前のぼくが、今のぼくの夢を見てたよ」と、「夢が覚めても、夢は本物だったんだよ」と…。
夢が覚めても・了
※今の自分の夢を見ていたブルー君。「ソルジャー・ブルーになった」夢の中で。
何もかも夢だと思っていたのに、夢が覚めても消えなかった世界。幸せすぎる現実ですv