天国だよね
(ぼくとハーレイ、何処にいたんだろう…?)
覚えてないよね、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は休日、ハーレイが訪ねて来てくれた。
二人で一緒に過ごした一日、それは幸せだったのだけれど。
やっぱり貰えなかったキス。
「ぼくにキスして」と強請って叱られ、「キスは駄目だと言ったよな?」と睨まれた。
だから怒ってプウッと膨れて、「ハーレイのケチ!」と尖らせた唇。
ハーレイは「知らんな」と笑っていただけ、「キスは駄目だ」の決まりは絶対。
それでもプンスカ膨れていたら、いつもの調子で苛められた。
大きな両手で、頬っぺたをペシャンと潰されて。
「ハコフグだよな?」と、「フグがハコフグになっちまったぞ」と。
そうやって苛められていたって、幸せだった日。ハーレイが其処にいるだけで。
(二人だったら、ホントに幸せ…)
そのハーレイと地球に来る前、自分たちは何処にいたのだろうか?
死の星だった地球が蘇るほどの、長い歳月が経った今。
白いシャングリラがあった頃から、前の自分がメギドで命尽きた時から。
(ハーレイの方が、後から来たけど…)
シャングリラを地球まで運んだ分だけ、ハーレイは長く生きたけれども。
前のハーレイの命が尽きたら、きっと何処かで出会えた筈。
そして二人で暮らしていた筈、白いシャングリラでそうだったように。
(きっと天国にいたんだよね?)
自分にも、それにハーレイにも、まるで記憶は無いけれど。
此処に来る前に何処にいたのか、お互い、覚えていないのだけれど。
(だけど、天国…)
そうなのだと思う。
ハーレイとそういう話になっても、天国の名が挙がるのだから。
けれど、覚えていない天国。
どんなに記憶を手繰ってみても、遠い記憶を探ってみても。
前の自分の記憶はあっても、天国のことは覚えていない。
ハーレイもそれは全く同じで、欠片も覚えていないという。
天国どころか、「何処にいたのか、それさえ覚えていないんだよな」と。
(…天国だったら、雲の上にあって…)
何の苦しみも無い世界。
悲しみも、それに辛いことも無くて、もちろん戦いだって無い。
飢えに苦しむことも無ければ、暑さや寒さに襲われることも。
(もう、それだけで凄いよね…?)
前の自分が生きた時代と比べたら。
ミュウに生まれただけで追われて、命まで奪われていた時代。
前の自分は生き延びたけれど、アルタミラから逃げるよりも前に、死んだ仲間も多かった。
シャングリラと名付けた船を手に入れても、それで終わりではなかった地獄。
楽園という名の船の外では、相変わらずミュウが殺され続けた。
救い損ねたら、零れ落ちるように消えた子供たちの命。
アルテメシアでさえ、そうだったのだし、他の星では言わずもがな。
(…シャングリラが無ければ、誰も助けてくれなくて…)
何処の星でも、ミュウの子たちは「殺された」だけ。
誰も助けに来てくれないまま、撃たれて、あるいは実験動物にされて。
(あんな世界に比べたら…)
天国はどれほど、素晴らしい世界だったのだろう。
人類に追われることなどは無くて、平和な日々が続く場所。
其処に迎えられた子供たちはきっと、大喜びだったことだろう。
とても辛い目に遭って来ただけに、「ホントに此処で暮らしていいの?」と。
養父母たちはいない世界でも、代わりに天使たちがいる。
背中に真っ白な翼を持った神の使いが、子供たちの面倒を見てくれたりして。
前の自分も、その天使たちに会ったのだろう。
メギドで死んだら迎えに来たのか、あるいは「天国に着いたら」迎えてくれたのか。
(今日から此処で暮らして下さい、って…)
案内されて、小さな家でも貰っただろうか。
雲の上にある世界なのだし、どんな家かは謎だけれども。
遥かな昔の名画みたいに、それは立派な石で造られた神殿の一部に住むだとか。
(…それも覚えていないんだよね…)
石造りの家で暮らしていたのか、とても素朴なログハウスのような家だったのか。
一人部屋を貰って住んでいたのか、違うのか。
(いつかハーレイも、天国にやって来るんだし…)
そのためのスペースもあったのだろうか、一人暮らしには広すぎるほどの。
其処で暮らして、雲の下の世界を眺めては…。
(ハーレイが早く来ないかな、って…)
首を長くして待っていたかもしれない。
ハーレイが天国にやって来るなら、それは命が尽きてしまった時だけれども…。
(でも、ハーレイは困らないしね?)
むしろ喜んで、天国まで駆けて来ただろう。
「遅くなってしまって、すみません!」と走って来たか、「遅くなってすまん」だったのか。
急いでいたなら、まだキャプテンの言葉遣いが残っていたかもしれない。
死んだ後まで、敬語なんかを使わなくてもいいというのに。
お互い、ソルジャーでもキャプテンでもなくて、ずっと前からの恋人同士。
それに「一番古い友達」、そういう二人でもあった。
だから敬語は、もう要らない。…天国で再会したのなら。
(…だけど、ハーレイが言った言葉も…)
覚えてないよ、と残念な気分。
その日が来るのを待って待ち焦がれて、ようやくハーレイに会えたのに。
「待っていたよ」と、「会いたかった」と、飛び付くように抱き付いただろうと思うのに。
ホントに何にも覚えていない、と惜しい気持ちが募る天国。
前の自分が辿り着いたら、きっと感動しただろう場所。
「なんて平和な世界だろう」と、「此処なら、何の心配も無い」と。
はしゃぎ回るミュウの子たちを眺めて、「幸せそうだ」と笑みも浮かべただろう。
そういう世界に着いたのだったら、何度も雲の下を眺めて…。
(シャングリラの中で、寂しそうにしてるハーレイに…)
伝えたいと思ったことだろう。
「ぼくは天国で幸せだよ」と、「此処には何でもあるんだから」と。
なんと言っても天国だから、足りないものなど何もない筈。
毎日の食事に困りはしないし、暮らすための家にも不自由はしない。
「これが食べたい」と思った途端に、目の前にポンと出来立ての料理が現れるとか。
「もっと柔らかな枕がいいな」と考えたならば、直ぐに新品のを貰えるだとか。
(うんと幸せに暮らせる世界で…)
其処にハーレイを迎えた後なら、もう本当に幸せ一杯。
毎日、二人で笑い合ったり、白いシャングリラで生きた頃の思い出話をしたり。
天国のあちこちを見て回ったりもしただろう。
前の自分は、ハーレイよりも先に着いて暮らしていたのだから…。
(ハーレイのガイドも出来ちゃうよ)
こっちに行ったら、神様の家があるだとか。
天使たちが地上に降りてゆく場所は、此処からだとか。
(…天使の梯子は、今のハーレイに教わったけれど…)
雲間から地上へ射している光、天国から伸びる光の道。
天使は其処を行き来する。
それが架かる場所に二人で出掛けて、架かる瞬間を見物したり。
梯子が無い日は、白い翼で飛び立つ天使を見守ったり。
(ホントに二人で観光気分…)
なんて素敵な場所なのだろう、と頷き合って。
素晴らしい世界に来られて良かった、と天国の良さを噛みしめて。
きっとそうして、幸せに生きていたのだろう。
天国で「生きる」と言っていいのか、その辺りはよく分からないけれど。
(…うんと素敵な世界で暮らして…)
ハーレイも一緒だったというのに、何もかも全て忘れてしまった。
其処がどんなに素晴らしかったか、どれほど素敵な場所だったのか。
(なんにも覚えてないなんて…)
あんまりだよね、と悲しくなるほど、天国の記憶は抜け落ちている。
前の自分が生きた時代の、辛い記憶は今もあるのに。
独りぼっちだったメギドでの死も、アルタミラの狭い檻で暮らした地獄の日々も。
(そんなことを覚えているよりも…)
欠片でいいから、天国を覚えていたかった。
「帰りたい」とは思わないけれど、ハーレイと長く暮らした世界。
雲を見上げて、「あの雲の上にあるんだよ」と笑むだとか。
天使を描いた絵を見た時には、「こういう天使が沢山いたよ」と懐かしむとか。
その程度の小さな欠片だけでも、天国の記憶があったなら。
其処にハーレイの姿があったら、どんなに嬉しいことだろう。
「ずっとハーレイと一緒だったよ」と、「二人で天国にいたんだから」と。
地球が蘇るほどの歳月、それを二人で過ごした証拠。
それを覚えていたらいいのに、すっかり忘れてしまった自分。
(ホントにもったいないんだから…)
天国を忘れてしまったなんて、と思ったけれど。
ハーレイと一緒にいた長い歳月、それをすっかり忘れるなんて、と寂しいけれど。
(でも、今だって、天国だよね?)
天国みたいな毎日じゃない、と気が付いた。
ハーレイと二人、生まれ変わって青い地球の上。
唇へのキスは貰えなくても、今は一緒に暮らせなくても…。
(いつか、ハーレイと結婚できて…)
今度こそ二人、幸せに暮らす。
恋を明かして、誰もに祝福されて。
ハーレイと同じ家で暮らして、何処へ行くにも二人一緒で。
(今はまだ、結婚できないけれど…)
それでもハーレイは来てくれるのだし、「またな」と帰っても、また来てくれる。
この幸せな日々が、天国でなければ何だろう?
今も充分、天国だよね、と浮かべた笑み。
「本物の天国は忘れちゃったけど、今のぼくだって、天国にいるのと同じだよね」と…。
天国だよね・了
※ブルー君には思い出せない天国。前のハーレイと、其処で暮らしていた筈なのに。
けれど、今はハーレイと二人で青い地球の上。此処も天国なんだよね、と気付いた幸せv
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