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昔話なら

(昔々、っていうのが定番だよなあ…)
 名のある古典でなかったらな、とハーレイが思い浮かべたこと。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 今の自分は古典の教師で、遠い昔にあった島国、日本の文学を教える立場。
 名作と呼ばれる古典は幾つもあるのだけれど…。
(昔々だと、昔話になっちまって…)
 いわゆる名作には数えられない。
 誰もが知っている話でも、親しまれている作品でも。
(昔、男ありけり、っていうのは有名なんだが…)
 大抵の話がそれで始まる「伊勢物語」。
 幾つもの話が編まれた中でも、圧倒的多数を占めるもの。
 それでも「昔々」ではなくて、あくまで「昔、男ありけり」。
(源氏物語だと、「いづれの御時にか」で…)
 遠回しには「昔々」の意味だけれども、「昔々」と書いてはいない。
 日本で最初の物語だという、「かぐや姫」でお馴染みの「竹取物語」にしても…。
(今は昔、竹取の翁といふ者ありけり…)
 こいつも「昔々」じゃないな、と可笑しくなる。
 子供向けに書かれた「かぐや姫」なら、「昔々」となるものなのに。
 「昔々、ある所に…」と、他の様々な昔話と、何処も変わりはしないのに。
(要するに、親しみやすいってこった)
 これが日本でなくてもな、と思う「昔々」という言い回し。
 人間が地球しか知らなかった頃から、昔話はそうやって語り出されるもの。
 話の中身には関係なく。
 恋物語でも、怖い話でも、世にも不思議な出来事を語り聞かせる時にも。
(そいつが本になった時にも…)
 冒頭は「昔々」になる。
 「昔」がいつの時代でも。千年前でも、もっと遥かな昔でも。


 そう考えると、前の自分も「昔々」と語られても、可笑しくないのだろう。
 死の星だった地球が青く蘇るほどの時が、流れ去った今の時代なら。
(…キャプテン・ハーレイ物語ってのは…)
 聞いたこともないし、「シャングリラ物語」だって存在しない。
 今も人気のソルジャー・ブルーや、ジョミーやキースの物語だって。
(なんと言っても、脚色しようがないからなあ…)
 地球の地の底で何が起きたか、皆、どうやって死んでいったか。
 それは謎だし、ソルジャー・ブルーの最期についても定説は無い。
 「キース・アニアンに撃たれた」ことさえ、仮説の域を出ないほど。
 だから「書こうと思えば」書くことは出来る、「昔々」の物語。
 想像の翼を大きく広げて、「ソルジャー・ブルー物語」やら、ジョミーの物語やらを。
 けれども、彼らは「偉大すぎた」。
 SD体制を倒した英雄、今でも花が絶えることがない記念墓地の墓碑。
 そして豊富に残るデータは、彼らが「生きていた」ことの証拠。
(伝記としてなら、書けはしたって…)
 昔話は無理だろう。
 荒唐無稽なことを書いたら、呆れられるか、苦情が来るか。
(子孫は一人もいないわけだが…)
 代わりにいるのが熱烈なファンで、研究者顔負けの者だっている。
 そういう者から文句が幾つも、「昔話」を書いた作者は袋叩きに遭うだろうから…。
(書こうって勇者は出て来ないよなあ…)
 こう書いたならば面白いのに、と考えたって。
 「ソルジャー・ブルーは、実はメギドから脱出した」と書くだとか。
(昔話だと、「めでたし、めでたし」も多いもんだから…)
 ソルジャー・ブルーがメギドで死なずに生き残っても、昔話ならそれでいい。
 シャングリラに戻らなかった理由も、何とでも書けるわけだから。
 「小さな星で、一人、ひっそり暮らしましたとさ」と結ぶことだって。
 ブルーだけしか住んでいない星、その上で畑を耕していても。


(あいつが畑なあ…)
 それよりは薔薇が似合いだろうか、とも考える。
 とても小さな星の上で一人、一本の薔薇を育てて暮らしていたならば…。
(星の王子様ってヤツだな)
 バオバブの木が星を壊さないように頑張るんだ、と遠い昔の「名作」を思う。
 自分が授業で教える範囲の、「日本の古典」ではないけれど。
(俺でさえも、直ぐに思い付くんだから…)
 物語を綴るプロにかかれば、きっと出来るだろう「物語」。
 「昔々」という言葉で始まる、ソルジャー・ブルーやジョミーなんかの「昔話」。
 色々なものが書けそうなのに、「誰も書かない」物語。
 遠く遥かな昔の英雄、SD体制を倒した者たちを主人公に据えた昔話。
(めでたし、めでたし、と結ぶんだったら、ジョミーも、キースの野郎もだな…)
 ハッピーエンドを貰うのだろう。
 地球の地の底で死にはしないで、生きて脱出するだとか。
 あるいは魂が天に昇って、星や星座になるだとか。
(ジョミー座も無ければ、キースの野郎の星も無いなあ…)
 昔話を作り上げるには、ちと情報が多すぎたか、と理由は分かっているけれど。
 「昔々」と人間が語り伝えた時代は、もっと遥かな昔なのだと承知だけれど。
(…一つくらいはあってもなあ?)
 あったら面白かったのに、と思うのは「自分」だからだろう。
 前の自分はキャプテン・ハーレイ、あの時代に生きて死んだ人間。
(この目で全てを見て来たってわけで…)
 今も鮮やかに思い出せるから、昔話が出来ていたなら、楽しく読める。
 ソルジャー・ブルーが「生きて」畑を耕していても、ジョミーが空の星座でも。
 「ほほう…」と、「上手く作ったもんだ」と、感心しながら。
 そうやって読んで、「めでたし、めでたし」の言葉にホッとするのだろう。
 「本当はこうじゃなかったんだが」と思っても。
 「こうなっていたら、良かったよな」と、「ハッピーエンドは、いいモンだ」と。


 けれど一つも「無い」物語。生まれなかった昔話。
 キャプテン・ハーレイが主役の話は無理そうだけれど、前のブルーならあってもいいのに。
 ジョミーも、それに「今でも憎い」キースでも。
(一つも無いっていうのがなあ…)
 残念だよな、と思うけれども、理由が分かるから仕方ない。
 それに、書かれていたとしたって…。
(…俺とブルーのハッピーエンドは…)
 誰一人、書きやしないんだ、と零れる溜息。
 前のブルーと白いシャングリラで恋をしたのに、生涯、隠し通したから。
 自分もブルーも何も語らず、書き残しさえもしなかったから。
(俺たちの恋が、何かの形で残っていたら…)
 そして後世、誰かが見付けてくれていたなら、「昔話」が生まれたろうか。
 「生きている間は実らなかった恋」、それが実るのも昔話の定番の一つ。
 悲恋に終わった恋人同士が、つがいの鳥になって飛び去るだとか。
 蝶になって共に舞い続けるとか、そういった昔話も多い。
(めでたし、めでたし、と言っていいかは難しいんだが…)
 悲しい恋のままで終わった生涯、それがセットになっているから。
 とても悲しい恋をした後に、ようやく結ばれる恋人同士。それも命が終わった後に。
(あの手のヤツは、結びの文句も…)
 ちょっと違っていたかもしれん、と「昔話」の知識を手繰る。
 「めでたし、めでたし」と結ぶ代わりに、「どっとはらい」とかの類だろうか、と。
 あまり「めでたくはない」ものだから。
 恋は最後に実るけれども、ハッピーエンドと呼ぶには切なすぎるから。
(…そういう話も、書いて貰えなかったのが…)
 前の俺たちなんだよな、と時の彼方に思いを馳せる。
 恋をして幸せに生きていたのに、最後は悲恋に終わった二人。
 「昔話なら、ちゃんと幸せになれるのに」と、「人の姿じゃなくなってもな」と。
 鳥であろうと蝶であろうと、ブルーと飛んでゆけたのに、と。


 それさえ無いな、と思ったけれど。
 「誰も知らない恋だったんでは、無理もないが」と考えたけれど。
(…待てよ?)
 「今がそれだ」と気が付いた。
 ブルーと二人で生まれ変わって、青い地球の上にいる自分。
 いつかブルーが大きくなったら、今度は結婚できる恋。
 そして二人で同じ家に住んで、それは幸せに暮らしてゆける。
 小さな星で薔薇を育てはしないけど。…畑もせいぜい、家庭菜園程度だけれど。
(…そうか、これからハッピーエンドなあ…)
 昔話なら、まさに「めでたし、めでたし」と結ぶのが相応しい恋。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの、恋を綴った「昔話」は…。
(俺たちが作って行くんだな?)
 誰も書いてはくれないがな、と浮かべた笑み。
 今度の恋は、ハッピーエンドの恋だから。
 前の自分たちの悲しかった恋が、「めでたし、めでたし」に変わってくれるのだから…。

 

          昔話なら・了


※「前の俺たちの昔話は無いな」と思ったハーレイ先生。前のブルーとの恋の物語も。
 けれどこれから「作る」のです。誰も書いてはくれないとはいえ、ハッピーエンドの物語をv







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