(…キャプテン・ハーレイ…)
前の俺か、とハーレイの頭に浮かんだ名前。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で寛いでいたら。
どうしてそれを思い付いたか、その名を思い出したのか。
切っ掛けはまるで分からないけれど、それは確かに「自分の名前」。
遠く遥かな時の彼方で、この世界に生きていた時のもの。
(今じゃすっかり、雲の上の人になっちまったなあ…)
前の俺は、と苦笑する。
SD体制を崩壊させた英雄、ジョミーとキース。
彼らと同じに「英雄」とされて、記念墓地に立派な墓碑までがあるキャプテン・ハーレイ。
特に何をしたわけでもないと思うのに。
白いシャングリラを地球まで運んで、地球の地の底で死んだだけなのに。
(前のあいつが、ジョミーを頼むと言ったから…)
俺は頑張っただけなんだがな、と前のブルーの「遺言」を思う。
一人きりでメギドへ飛んでゆく前、思念波で伝えられたこと。
前の自分はそれを果たそうと、それだけを思って生き続けた。
ブルーを失くした深い孤独と絶望の中で、生ける屍のようになっても。
(あいつが、あれを言わなかったら…)
きっとブルーを追っていたろう。
地球に着く前に、孤独に負けて。「独りぼっち」に耐えかねて。
そうでなくとも、前のブルーに何度も誓っていたのだから。
ブルーの寿命が尽きた時には、「私も一緒に参りますから」と。
けしてブルーを一人にはさせず、死の国にまで一緒にゆくと、幾度も誓いを立てたのに…。
(その逆のことを頼まれちまった…)
とても辛くて、長かった生。
前のブルーがいなくなった船は、もはや「楽園」とは呼べない世界。
それでも生きて、ただ生き続けて、前の自分は「英雄」になった。
「地球まで行った」だけなのに。…しかも自分の意志ではなくて。
なんとも皮肉な話だけれども、キャプテン・ハーレイは今や「英雄」。
知らない人など誰もいなくて、幼い子供でも耳にする名前。
(写真を見たなら、怖そうな「おじちゃん」なんだがな…)
なんたって、この顔だから、とコーヒーのカップを傾ける。
今の自分の職業は教師、前とそっくり同じ顔でも全く違う「基本の表情」。
威厳に満ちた顔をしていては、生徒たちは寄って来てくれない。
「なんだか怖そうな先生だよな」と、質問さえもためらって。
(いつもニコニコ、どんな時でも笑顔とまでは言わないが…)
にこやかな顔をするように、と日頃から心掛けてはいる。
子供時代から柔道と水泳で鍛えたお蔭で、見掛けは前と同じに「いかつい」。
体格も顔も、何もかもが。
そういう自覚は持っているから、「怖がられないよう」愛想よく。
もっとも、自分でそうしなくても…。
(滲み出ている雰囲気からして、愛想が良さそうらしいがな?)
ジョギングで走っていたりする時、小さな子供がよく手を振ってくれるから。
「頑張ってね!」と、「見知らぬおじちゃん」に。
公園などを歩いていたなら、散歩中の犬が来たりもする。
「遊んでくれる?」と尻尾をパタパタ、立ち上がってズボンに足を掛けたりも。
(…動物には好かれるんだよなあ…)
犬でも猫でも、怖がらないで近付いて来る。
「遊ぼう」と、「一緒に遊んでよ」と。
(前の俺だと、どうなったのやら…)
サッパリ謎だ、と自分でも出せない「その答え」。
白いシャングリラに、犬や猫などはいなかったから。
辛うじて「ペット」がいたとしたなら、青い毛皮のナキネズミ。
思念波を上手く使えない子のサポート役で、船の中を自由に歩いていたけれど…。
(ヤツらと遊んだことは無いなあ…)
今みたいにはな、と考える。怖がられることはなかったけれど。
同じ自分でもずいぶん違う、と思わないではいられない。
英雄になったキャプテン・ハーレイ、時の彼方で「生きていた」自分。
(あの頃の俺には、今の暮らしは…)
想像も出来ないものだった。
前のブルーと何度も夢見た、「いつか地球へと辿り着く」こと。
青く輝く母なる地球。
全ての命の故郷でもある、青い水の星。
其処に着いたら、あれをしようと、これもしたいと、幾つもの夢を描いたけれど。
白いシャングリラに別れを告げて、ブルーと二人で暮らす夢まで見たけれど。
(…所詮は夢物語でだ…)
リアリティってヤツに欠けていたな、と今だからこそ言えること。
「前のブルーと一緒に、地球に着けなかった」ことは抜きでも。
ようやくのことで辿り着いた地球が、何も棲めない死の星だったことも「抜き」でも。
(こうやって、青い地球に着いてみるとだ…)
着いたんじゃなくて「生まれた」んだが、と今の自分が「此処にいる」理由に苦笑い。
宇宙船でやって来たのではなくて、生まれた時から「地球の住人」。
地球が故郷で、正真正銘、地球育ち。
この星で育って大きくなって、今では教師で「一人暮らし」をしている自分。
仕事のある日は仕事に出掛けて、その帰りには…。
(時間があったらブルーの家で、無かった時には買い出しだとか…)
今日だって行って来たんだが、と思い出す近所の食料品店。
「今夜は何を食うとするかな」と、あちこちの棚を覗いて回った。
メニューが決まれば、「これと、これに…」と、レジに運ぶための籠に詰め込んで。
その店を出たら、お次はパン屋。
パンは自分で焼けるけれども、やはり買うのが手っ取り早い。
其処でも暫し考えていた。
食パンを買うか、田舎パンにするか、バゲットなんかもいいだろうか、と。
そうやって買って、乗り込んだ車。「さて、帰るか」と。
たったそれだけ、「仕事の帰りに」食料品を買うということ。
今の自分には馴染みのことでも、前の自分は「思い付きさえしなかった」。
白いシャングリラに「店」などは無くて、外の世界ではミュウは異分子。
買い物に行くなど夢のまた夢、「そういう世界もある」と知識を持っていただけ。
ジョミーがアルテメシアを落として、地球への道が開けるまでは。
船の仲間たちが自由時間に「星の上」に降り、店で買い物を始めるまでは。
(…前の俺は、行っちゃいないがな…)
皆に「小遣い」を用立てただけで、買い物に出掛けてはいない。
魂はとうに死んでいたから、ブルーを失くして「独りぼっち」の日々だったから。
(前のあいつと、地球に行こうと夢を見た頃は…)
地球での日々に思いを馳せても、「生活のための買い物」などは考えもしない。
生きてゆくには「食事」なのだと分かっていても。
「地球に着いたら、あれを食べよう」などと、ブルーと夢を描いていても。
(あいつの夢だった、ホットケーキの朝飯ってヤツ…)
本物のメープルシロップをたっぷりとかけて、地球の草で育った牛のミルクのバター。
それを添えて、とブルーは夢見て、前の自分も共に夢見た。
「いつか二人で食べましょう」と。
地球に着いたら、きっと食べられるだろうから。
(ホットケーキは、前の俺が焼くとしてもだな…)
元は厨房出身なのだし、ホットケーキを焼くくらいならば「お安い御用」。
けれど材料を調達するには、「買い物から」。
前のブルーと二人で「地球で暮らす」のだったら、食事係はもういない。
毎朝、青の間で朝食を作った厨房の係は、お役御免の筈だから。
(食事係は何処にもいないし、船の仲間もいないってわけで…)
食材が届くわけがないから、買いにゆかねばならないだろう。
「ブルーと食べたい」ホットケーキの材料を。
小麦粉に卵に、砂糖や牛乳。
ホットケーキの上に乗っける、バターやメープルシロップなども。
(…うーむ…)
前の俺は今じゃ英雄なんだが、と思ってはみても、まるで欠けていた想像力。
「地球での暮らし」は夢物語で、買い物にさえも行けない始末。
(それじゃ駄目だぞ、お前さん)
夢がデカイのはいいことだがな、と前の自分に呼び掛けてみる。
時の彼方にいた人に。
今は「英雄」と呼ばれる人に。
(余計なお世話だ、と言われそうだが…)
英雄の俺より、凡人の俺の方が「地球で生きるには、有利だよな」と浮かべた笑み。
買い物ならば慣れたものだし、地に足がついている生活。
それを続けて長いのだから、「キャプテン・ハーレイ」には負けない。
「地球の上で」生きてゆくのなら。
前のブルーと夢見た暮らしを、「現実のもの」にするのなら。
(チビのあいつが大きくなったら…)
俺はお前の夢を実現させてみせるぞ、と時の彼方に向かって笑む。
「其処で見てろよ」と、「俺は凡人だが、負けやしない」と。
前の自分は英雄だけれど、「ただのハーレイ」でも負けたりしない。
夢物語の世界ではなく、現実に生きているのだから。
青い地球は、今や自分の故郷。
ブルーと二人で其処に生まれて、その上で生きてゆくのだから…。
時の彼方に・了
※今は英雄になったキャプテン・ハーレイ。それに比べて、凡人なのがハーレイ先生。
けれど「地球での暮らし」だったら、負けない自信があるようです。頼もしいですよねv