(…車だと、近い方なんだがな…)
あいつの家は、とハーレイが思い浮かべたブルーの家。
夜の書斎でコーヒー片手に、今日の帰り道を考えてみて。
平日だったから、朝から学校。
柔道部の朝練が終われば授業で、放課後は柔道部の指導。朝よりもずっと本格的に。
その後は、何も無かった日。
残ってするべき仕事の類も、集まって会議することも。
だからブルーの家に出掛けた。
部活の後でシャワーを浴びたら、柔道着から元のスーツに着替えて。
学校の駐車場にいつも停めておく愛車、濃い緑色のそれを走らせて。
前の自分のマントの色をしている車で走れば、ブルーの家は遠くない。
歩いても充分行ける距離だし、現にブルーと同じくらいの距離を通う生徒は…。
(普通は歩きか、自転車なんだ)
学校までの通学手段は。
体力自慢の生徒だったら、朝、ギリギリに起きて走って来るほど。
「この時間だったら、まだ間に合う」と、朝食を食べたら一気に走り抜くような猛者。
けれどブルーは、そうはいかない。
前と同じに弱く生まれた身体が悲鳴を上げるから。
(走り抜くなんぞは、とんでもなくて…)
家から歩いて来たとしたって、きっとその日はフラフラだろう。
登校だけで体力を使い果たしてしまって、体育の授業があったとしたなら、見学組。
体育でなくても、授業の途中で手を挙げていそう。
「気分が悪いので、保健室に行ってもいいですか」と。少し青ざめた顔をして。
そんなブルーだから、通学手段は路線バス。
行きも帰りもバスで通って、歩きも自転車も夢のまた夢。
それでも実は、それほど遠くはない所にあるブルーの家。
普通の生徒なら歩いて来られて、体力自慢なら走って来たって平気な距離。
もちろん自分も軽く走ってゆけるだろう。その気になったら、その道を選びさえすれば。
そうは思っても、スーツの教師が走れはしない。
おまけに学校には車で通勤、どうしても必要になる車。
(学校までが遠いってわけじゃないんだが…)
同じ学校にずっと勤めはしない仕事で、前の学校は家から遠かった。
フラリと歩いて行ける場所ではなかったのだし、その前にいた学校だって。
(そうやって、車の癖がついちまって…)
一度使えば、便利で手放せなくなってしまうもの。
沢山の資料を運んでゆけるし、クラブの生徒に差し入れをしようという時だって…。
(紙袋とかをドッサリ積み込めるしな?)
車に限る、と考えるわけで、学校の同僚たちの方でも大歓迎。
誰か車で行ける人は、と探している時に「私が行きます」と名乗り出るから。
仕事帰りに食事に行こう、という話が出たって、何人か乗せてゆけるから。
(酒は好きだが、そういう時には我慢だ、我慢)
学生時代に叩き込まれた、「我慢」ということ。
先輩たちが最優先だし、食事も、それに酒だって…。
(思う存分、ってわけにはいかない世界で…)
遠慮しなくてはいけない席なら、先輩たちに譲って我慢。とびきりの美酒があった時でも。
そういう風に育ったお蔭で、「飲みに行きませんか?」という誘いの時も…。
(俺は便利に運転手なんだ)
同僚たちを店まで乗せて運んで、帰りは家まで送り届ける。近い人から順番に。
少しも苦にはならない送迎、そのためにも欠かせない車。
(本格的に飲もうって時なら、家に残して出勤だがな)
生憎とその機会が減っちまったが、と思うのが今の学校に移ってからのこと。
其処で出会ってしまった恋人、チビのブルーがいるものだから。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人が。
(飲みに行ってる暇があったら…)
あいつの家に行ってやりたいからな、と断ってしまうことが多いのが酒席。
食事の誘いも、あまり受けてはいないのが自分。
そうやって通う、ブルーの家。
仕事が早く終わった時には、車に乗って。
ブルーの方でも首を長くして待っているけれど、その家までは…。
(近いようでも、遠いんだよなあ…)
車で走れば直ぐなんだが、と思いはしても、歩いてゆけば距離はそこそこある。
何ブロックも離れているから、二階の窓から覗いてみても、屋根の欠片も見えない場所。
(もうちょっと、近い所だったら…)
近所だったら良かったんだが、と時々、思ったりもする。
今のブルーには、「家には来るな」と言い渡してはあるのだけれど。
(それでも、家が近かったら…)
家の表で、立ち話くらいはしてやれる。
ブルーが前を通り掛かれば、「散歩中か?」などと呼び止めて。
間に生垣を挟んでいたなら、何の心配も要らないから。
(あいつが、前のあいつとそっくりな表情をしたとしてもだ…)
生垣越しでは、そのまま抱き寄せたりは出来ない。
一年中葉を落とさない木たちが、間にズラリと並ぶのだから。
(邪魔と言えば邪魔で、安全だと言えば安全で…)
間違ってもピタリと抱き合えないから、きっと冷静になる自分。
それに人目もあるのが庭で、誰が見ているか分からない。隣近所の家の窓から。
(生垣を挟まなくても、だな…)
ブルーを呼び止めて門扉を出たなら、其処は公道。
信号があるような道ではなくても、近所の人たちの生活道路。
(人は通るし、たまに車も走って行くし…)
やはり気になるのが人目。
ブルーがどんな表情をしても、「俺のブルーだ」と抱き締めたい衝動に駆られても。
(俺の仕事は、近所の人なら知っているしな?)
教え子と抱き合っていたとなったら、間違いなく立つだろう噂。
あまり芳しくないものが。…自分の評価が下がりそうなものが。
それは充分承知なのだし、ブルーと家が近かったならば、自重する。
自制心なら、ちゃんと培ってあるのだから。
(俺の家の中に入れさえしなけりゃ…)
ブルーと何度顔を合わせても、きっと不埒な真似などはしない。
前を通ったのを呼び止めようとも、ブルーの方から声を掛けられようとも。
(時間はいいのか、と確かめてだな…)
いくらでも出来る立ち話。
ブルーがコロコロ嬉しそうに笑って、自分の方でも笑ったりして。
そうやって話して、お互い、満足したならば…。
(気を付けて帰れよ、って手を振ってやって…)
ブルーも「さよなら!」と手を振るのだろう。
「楽しかった」と無邪気な笑顔で、「また来るね」とも。
家に入れては貰えなくても。
いつも生垣越しの会話や、門扉の前での立ち話でも。
(そういうのも楽しそうだよな…)
帰ってゆくブルーを、自分が「またな」と見送る立場。
今はブルーの家に行く度、その逆になっているのだけれど。
「またな」と席を立つのが自分で、今日のように車に乗り込む時やら、歩く時やら。
どちらにしたって「見送られる」方で、ブルーは懸命に手を振っている。
車だったら、きっと見えなくなる時まで。
歩いて帰ってゆく時だって、振り返ってみればブルーの姿。
とっくに夜になっているのに、街灯が灯っている時刻なのに。
(早く入れよ、って手を振るんだが…)
ブルーはいつも、家の中には入らない。
「入れ」と大きく手を振ってみても、「入るように」と身振りで促しても。
家の表で手を振りながら、名残惜しげに立っているブルー。
そうして見送られるのが自分で、ブルーはいつも「見送る」だけ。
家が近かったら、逆になることもありそうなのに。…ブルーを見送れそうなのに。
(うーむ…)
もう少し家が近かったらな、と思わないでもない自分。
こんな風に考えてしまった夜には、「近所だったら良かったんだが」と。
ブルーが欲しがる手料理だって、近ければきっと振舞ってやれた。
家には入れてやれないけれども、「味見するか?」と、生垣越しに差し出して。
「焼いたばかりの菓子なんだが」とか、試食用のを楊枝に刺して。
きっと大喜びだろうブルー。
ほんの小さな欠片にしたって、「美味しいね」と頬張って。
食べた後には笑顔で話して、「またね」と帰ってゆくのだろう。
「今度はこういうのが食べたいな」と、リクエストなども残していって。
(そういうのも悪くないんだが…)
残念なことに、あいつの家は遠いんだ、と浮かべてしまった苦笑い。
これも神様の悪戯だろうかと、「そうそう上手くはいかんのかもな」と。
ブルーの家が近所だったら、色々と楽しそうなのに。
たまにこうして考えてみては、「近かったらな」と夢を広げる夜もあるのに…。
近所だったら・了
※ブルー君の家が近かったらな、と考えてみるハーレイ先生。家の前で出来そうな立ち話。
それにブルー君を見送れるわけで、なんとも素敵ですけれど…。近所じゃないのが残念かもv