(ハーレイのケチ…)
ホントのホントにケチなんだから、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は休日、午前中からハーレイが訪ねて来てくれた。
この部屋で二人、お茶とお菓子をお供に話して、昼食も。
「夕食の支度が出来たわよ」と母が来るまで、たっぷりとあった二人きりの時間。
母が部屋には来ない時間も、今では把握しているから…。
(ぼくにキスして、って…)
ハーレイの膝に座って頼んだ。
「おでこや頬っぺたは駄目だからね」と、恋人同士の唇へのキスを。
けれども、くれなかったハーレイ。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの台詞。
眉間の皺まで少し深くなって、こちらを睨んでくるものだから…。
叫んでやった「ハーレイのケチ!」。
これは自分のお決まりの台詞、ハーレイにキスを断られた時にぶつける言葉。
もうプンプンと怒って膨れて、唇だって尖らせてやる。
あまりにもケチな酷い恋人、いつも断られる「本物のキス」。
遠く遥かな時の彼方で、何度もキスを交わしたのに。
恋人同士で長く暮らした白い船。
キスを交わして、愛を交わして、本当に幸せだったのに。
(それなのに、ケチになっちゃって…!)
酷いんだから、と思い出すだけで腹が立つから、またまたプウッと膨らませた頬。
此処にはいない恋人に向けて、「ハーレイのケチ!」と。
この時間ならば、きっとコーヒーを飲んでいるだろう。
昼間に叱ったチビの恋人、此処で膨れている自分。
その存在などすっかり忘れて、気に入りだと聞く夜のコーヒーブレイク。
休日なのだし、豆から挽いてみたりもして。
ぼくのことなんか忘れているよ、と思うと余計に膨らむ頬っぺた。
唇だって尖ってくるし、ハーレイが此処にいたならば…。
(昼間みたいに、ぼくの頬っぺた…)
両側からペシャンと潰すのだろう、褐色をした大きな手で。
前の自分にキスをくれる時は、同じ手が優しく頬を包んでくれたのに。
(頬っぺたの扱い方まで違うよ)
愛おしむように触れてくれたのが、前のハーレイの武骨な手。
その手は今も変わらないのに、潰されてしまう自分の頬っぺた。
挙句にプッと吹き出すハーレイ、「フグがハコフグになっちまったぞ」と。
頬っぺたを膨らませた時は「フグ」だし、その頬っぺたを潰された後は「ハコフグ」になる。
なんとも酷い渾名をつけて、クックッと笑い続ける恋人。
フグはともかく、ハコフグの方は、ハーレイがやったことなのに。
大きな両手で頬っぺたを潰してしまわなかったら、そんな顔にはならないのに。
(もう、本当に酷すぎるってば…)
それにケチだ、と嘆くしかないハーレイのこと。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
出会えた時には、どれほど嬉しかっただろう。
「ハーレイなんだ」と、「また会えたんだ」と、薄れゆく意識の中で思った。
聖痕からの酷い痛みと出血、それでも胸に溢れた喜び。
二度と会えないと思った人に、また会えたから。
絆は切れてしまったのだと、前の自分は泣きながら死んでいったのに。
(…ただいま、ハーレイ、って…)
見舞いに来てくれたハーレイに此処で告げた時には、また始まると信じた恋。
「帰って来たよ」と微笑んで、二人、抱き合った時は。
母がこの部屋を出ている間に、束の間の逢瀬を果たした時は。
(前のぼくたちの、恋の続きを…)
生きてゆける、と頭から信じて疑わなかった。
何もかもが元に戻ったのだと、またハーレイに会えたのだから、と。
そう思ったのに、こうして一人で膨れっ面。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒っている自分。
前の自分の恋の続きは、まるで意のままにならないもの。
(ハーレイとキスも出来ないなんて…)
いったい誰が思うだろうか、気が遠くなるほどの時を飛び越えて出会った恋人同士なのに。
今だって好きでたまらないのに、キスの一つも交わせはしない。
ハーレイはケチになったから。
どんなにキスを強請ってみたって、「俺は子供にキスはしない」の一点張り。
「キスしてもいいよ?」と誘惑したって、いつもハーレイは笑うだけ。
そうでなければ叱られる。「子供は子供らしくしていろ」と。
今の自分はチビだから。
十四歳にしかならない子供で、前の自分と同じ姿を持たないから。
(だけど、そんなの、見た目だけだよ…)
ぼくの中身は前とおんなじ、と思うけれども、それに自信が無いのも事実。
前の自分は、膨れっ面などしなかったから。
今と同じにチビの頃にも、きちんと自分を律していた。
船の仲間たちに、要らぬ心配をさせぬよう。…皆の負担にならないよう。
(チビでも、頑張らなくちゃ、って…)
脱出したばかりの船の片付けに励みもしたし、食料だって奪いに出掛けた。
元から船にあった食料、それが尽きると分かった時に。
前のハーレイから聞かされて知って、「そんなの嫌だ」と思った時に。
食料が尽きてしまうのだったら、後は飢え死にするしかない。
しかも、ハーレイたちは優しい。ゼルもブラウも、ヒルマンたちも。
(…最後の食事は、ぼくに譲って…)
きっと自分たちは食べもしないで、「いいから、食べろ」と言いそうな感じ。
そうしたら皆は死んでしまって、チビの自分が最後に飢える。
もはや誰一人生きていない船で、一人きりで飢えて死ぬしかない。
それは嫌だ、と懸命に奪って来た食料。…今と同じにチビだったのに。
前の自分と比べてみたなら、今の自分は「ただのチビ」。
両親に守られて育つ子供で、なんの不自由もしていない。
暖かい家も、自分だけの部屋も、何もかも揃った幸せな子供。
(…前のぼくとは、環境ってヤツが違うから…)
我儘にだってなっちゃうよね、と自分に言い訳したくなる。
膨れっ面をしてしまうのも当然だよねと、「そんな風に育ったんだから」と。
おまけに正真正銘の子供、前の自分のように成長を止めてはいない。
生まれた時から十四年しか経っていないのだし、檻に閉じ込められてもいない。
人体実験をされる代わりに、優しい両親が育ててくれた。
熱を出したら「大変!」と面倒を見てくれる母と、「病院に行こう」と車を出す父。
甘やかされて育った自分は、前の自分と違って当然。
(ハーレイだって、前と違うじゃない…!)
隣町に住む、今のハーレイの父と母。
釣りの名人だと聞いている父と、夏ミカンの実のマーマレード作りが得意な母と。
そういう両親がハーレイを育てて、今もハーレイを見守っている。
ハーレイはこの町で一人暮らしをしているけれども、隣町の家に行ったら「大きな子供」。
(自分だって、子供扱いのくせに…)
どうして、ぼくだけチビって言うの、とプンプンと怒りたくもなる。
見た目は確かにチビだけれども、中身はちゃんと前の自分。
ちょっぴり自信が持てない部分は、今の自分の環境のせい。
(ぼくはぼくだし、ハーレイのことも思い出したし…)
前の自分の恋の続きを、生きられたって良さそうなのに。
抱き締めて貰ってキスを交わして、とても幸せな二人きりの時間。
両親と一緒に住んでいるから、愛を交わすのは難しそうだけれども。
(…ママがいきなり来ちゃったら…)
キスの方なら、サッと離れておしまいだけれど、そうはいかない「愛を交わしていた時」。
ベッドの中に二人でいたなら、もう言い訳は出来ないから。
二人とも服を着ていなかったら、絶望的な状況だから。
(そっちは駄目だ、って分かってるけど…)
キスくらいなら平気なのに、と胸一杯に膨らむ不満。
「ぼくにキスして」と強請る度に「駄目だ」と断られては、叱られる。
今日みたいに頬っぺたを潰されもするし、なんともケチになったハーレイ。
(なんでキスしてくれないの?)
前のぼくたちの恋の続きはどうなってるの、と責めたいけれど。
ハーレイに文句を言いたいけれども、それで喧嘩になったなら…。
(…もう来てやらん、って言われちゃうとか…)
今のハーレイなら言いかねないから、本気で喧嘩はとても出来ない。
「当分、俺は来ないからな」と言い放ったなら、ハーレイはきっと実行する。
学校で会ったら「元気そうだな」と笑顔を見せても、家には訪ねて来てくれないで。
(ホントにやりかねないんだから…)
それは困る、と売らない喧嘩。せいぜい頬っぺたを膨らませるだけ。
ハコフグにされてしまった時にも、プンスカ怒りはするけれど…。
(…ハーレイが怒って、来なくなったら悲しいもの…)
キスが貰えないだけの今より、もっと悲惨になる毎日。
いくら待っても、ハーレイが来てくれなかったら。
門扉の脇のチャイムは鳴らずに、どんどん月日が経っていったら。
それは嫌だし、ハーレイに会えない毎日だなんて、考えただけでも悲しくて辛い。
頬っぺたをペシャンと潰されるよりも、「ハコフグだよな」と笑われるよりも。
(…どっちもホントに許せちゃうよね…)
ハーレイが来てくれるからこそ、潰されてしまう両の頬っぺた。
「ハコフグだな」と笑う姿も、ハーレイが来てくれなかったら見られない。
それを思うと許せちゃうよね、と許すしかないケチな恋人。
前の自分の恋の続きは、ハーレイ無しでは無理だから。
キスも貰えない日々が続いても、恋が壊れてしまうよりかは、ずっと幸せでマシなのだから…。
許せちゃうよね・了
※「ハーレイのケチ!」と頬を膨らませるブルー君。夜になっても、昼間のことを思い出して。
けれど怒っても、許してしまう「ケチなハーレイ」。ハーレイ無しでは辛いですものねv