(地球なあ…)
そういや此処は地球だっけな、とハーレイがふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今の自分は地球にいるのだと、ブルーと地球までやって来たと。
十四歳にしかならない恋人、前の自分が愛したブルー。
今の自分の教え子になって、また巡り会えた愛おしい人。
ブルーがいるのが当たり前になって、すっかり忘れていたけれど。
此処での暮らしも長いものだから、ついつい忘れがちなのだけれど。
(…俺たちは地球に来たんだなあ…)
身体は別物になっちまったが、と視線を落とした自分の手。
愛用のマグカップを持っている手は、前の自分の記憶と寸分違わないもの。
大きさも、それに褐色の肌も。
(しかしだな…)
俺がいる場所からして、まるで違うんだ、と今度は部屋を見回した。
気に入りの本を並べた本棚、部屋をぐるりと取り囲むそれ。
机も椅子も自分の好みで、落ち着くからと夜は大抵、此処でコーヒー。
(この部屋は俺の部屋なんだが…)
前の俺のとは全く違う、と思い浮かべたキャプテンの部屋。前の自分が暮らした場所。
白いシャングリラの中にあった部屋は、これよりもずっと広かったけれど。
(今のようにはいかなかったな…)
色々と制約があったからな、とキャプテンの役目を思い出す。
ブリッジでの勤務を終えた後にも、しなくてはいけないことが色々。
航宙日誌をつけることとか、前のブルーに一日の報告をしに行くだとか。
(報告が済んだら、あいつと二人きりだったが…)
それまでは何かと忙しかった、と思うキャプテンの部屋での時間。
今のように寛ぐわけにはいかずに、仕事が山積みの日だってあった。
早く終わらせてブルーの所へ、と自分を急かしていた夜も。
とにかく忙しかったんだ、と前の自分と今の自分を重ねてみる。
「あの頃に比べりゃ天国だよな」と、「流石は地球だ」と。
前のブルーが焦がれた星。行きたいと夢を描いた地球。
ブルーの夢の星だったから、前の自分も憧れた。「いつか行こう」と。
いつかシャングリラで地球に行こうと、そしてブルーと二人で地球で暮らすのだと。
(あいつの夢は、俺の夢でもあったから…)
地球に幾つもの夢を抱いて、それが叶う日をブルーと夢見た。
白いシャングリラが地球に着く日を、展望室の窓の向こうに青い水の星が輝く時を。
あれもこれもと、ブルーが地球でやりたがったこと。
ミュウが殺されない時代が来たなら、シャングリラを降りて二人きりで…。
(地球で暮らそう、と約束したっけなあ…)
もうソルジャーでもキャプテンでもない、ただの二人のミュウとして。
秘密にしていた恋を明かして、シャングリラの仲間に別れを告げて。
(そういう風に生きる筈だったのに…)
ブルーの寿命が尽きると分かって、潰えてしまった地球への夢。
辿り着けない星に夢など見られない。
どんなに素晴らしい星であろうと、憧れた星であろうとも。
(あいつも、俺も、地球への夢を口にする時は…)
もう前のように語れはしないで、「行きたかった」と言葉は過去形。
二人で地球に行けはしないし、見ていた夢も叶いはしない。
だから二人で寄り添い合っては、辿り着けない地球を想った。
銀河の海に浮かぶ一粒の真珠、地表の七割が水に覆われた星。
それはどれほど美しいかと、いつかこの目で見てみたかったと。
未だ座標も掴めない地球、シャングリラが其処へ辿り着く前にブルーの命は燃え尽きる。
ブルーが逝ってしまった時には、後を追うのだと決めていた自分。
キャプテンとして船の今後を指示して、それが済んだらブルーの許へ、と。
二人揃って、見ることは叶わない青い星。
いつかシャングリラが辿り着いても、もう二人ともいないのだから。
(そうするつもりでいたんだが…)
狂った予定。思い描いたのとは違った未来。
前のブルーは一人きりでメギドに飛んでしまって、一人残された前の自分。
ブルーの望みを果たすためにと、白いシャングリラを地球へ運んで…。
(…とんでもない地球を見ちまった…)
何処も青くはなかったんだ、と今でも忘れられない衝撃。
やっとの思いで辿り着いた地球は、赤茶けた死の星だった。砂漠と、毒素を含んだ海と。
(あいつへの土産話にも…)
出来やしない、と思った地球。
ブルーが焦がれた青い星など、欠片もありはしなかったから。
地球に降りたら、一層それを見せ付けられて、ただ悲しみに囚われた。
人類はなんと愚かしいのかと、何のためにミュウは殺されたのかと。
SD体制は地球を蘇らせるためのシステム、そのシステムに排除されたミュウ。
(…地球が少しでも青かったなら…)
少しばかりは救われたろうに、何一つ蘇ってはいなかった地球。
六百年近く経っているのに、朽ち果てた高層ビル群さえもが放置されたまま。
地球再生機構の「リボーン」が入ったユグドラシルの周りですらも。
(ゼルが毒キノコと呼んだっけな…)
ユグドラシルを、と今も覚えている毒舌。言い得て妙だと思ったそれ。
死に絶えた地球に一つだけ生えた毒キノコ。
地球を再生させる代わりに、毒を吸って成長してゆくだけ。
(そんな毒キノコがあったわけだが…)
今の地球だと、毒キノコだって本物なんだ、と愉快な気分になってくる。
キノコの季節に山に入れば、あちこちに生えているキノコたち。
(食ったら美味いキノコもあるが、だ…)
毒キノコだってあるからな、と知っているのが今の自分。
父に教えられた、「食べられるキノコ」と「食べられないキノコ」。
青い地球に生まれた自分ならではの知識で、今の地球だから出来るキノコ狩り。
毒キノコさえも無かったっけな、と溜息しか出ない、前の自分が目にした地球。
憧れた星は無残な姿で宇宙に転がり、前のブルーの夢も砕けた。
もっとも、ブルーはいなかったけれど。…とうに死の国に行ってしまって。
(でもって、俺も地球の地の底で…)
死んだけれども、気付けば今や地球の住人。
前の自分が憧れた星は、今の自分が生まれて来た場所。新しい命と身体を貰って。
(上手い具合に、前の俺の身体とそっくりなんだ)
何処も変わっちゃいないよな、と改めて手を眺めてみる。
キャプテン・ハーレイだった自分と、まるで変わらない手なのだけれど。
(俺の周りが変わっちまった…)
憧れの地球に来ただけあって、と書斎の本たちを目で追ってゆく。
どれも好みで揃えた本で、キャプテンだった頃とは違う。航宙日誌も並んではいない。
ついでに、愛用のマグカップだって…。
(中身は本物のコーヒーだぞ?)
代用品のキャロブじゃなくて、と指先で軽く弾いたカップ。「幸せ者め」と。
前の自分が白いシャングリラで飲んだコーヒー、それはいつでも代用品。
キャロブと呼ばれたイナゴ豆の粉、カフェインは後から加えたもの。
けれど今では本物のコーヒー、青い地球で採れたコーヒー豆から淹れて飲む。
(これ一つ取っても、流石は俺たちが憧れた星で…)
思った以上に素晴らしいんだ、と気付かされる地球の「本当の姿」。
前の自分たちが辿り着けていても、青い地球が其処にあったとしても…。
(所詮はSD体制が生み出した地球で…)
不自然なんだ、と今だから分かる。
青い地球の上に暮らしているのは、人工子宮から生まれた者ばかり。
血の繋がった本物の家族は何処にもいないし、きっと子供の姿さえ無い。
子供は育英都市で育って、成人検査を受けて地球へと旅立つもの。
あの時代に青い地球があっても、地球の上で生まれ育った子たちは…。
(きっと一人もいやしないってな)
カナリヤの子たちだっていないぞ、と思い返す、地の底にいた人類の子供。
地球が青いなら、カナリヤの子たちは不要な存在。
優秀な大人たちだけが地球で暮らして、ミュウが殺されない時代が来ても…。
(子供たちの姿を地球で見られる時代ってヤツは…)
ずっと先のことになっただろうな、と噛みしめる今の自分の幸せ。
正真正銘、地球で生まれて地球育ち。
自分もブルーも、本物の両親の許で育って、地球の上には本物の家族たちしかいない。
こんな地球など、前の自分たちは夢にも思いはしなかった。
SD体制の時代に生まれて、時代に振り回されたから。
(前の俺たちが思った以上に…)
素晴らしい星に来られたよな、と零れた笑み。
前の自分たちが憧れた星は、今は自分たちの生まれ故郷。
此処でブルーと生きてゆけるから、この星に来られて良かったと思う。
生まれ変わって別の身体でも、新しい別の命でも。
憧れた星よりも素晴らしい地球、それを自分は手に入れたから。
ブルーと二人で其処に生まれて、その上で生きてゆけるのだから…。
憧れた星・了
※前のハーレイが憧れた地球。ブルーと一緒に「いつか行こう」と。けれど叶わなかった星。
そして本物の地球に着いてみたら…。死の星だった地球が、今は青い星。幸せですよねv