(またしてもケチと言われちまったが…)
ブルーのヤツに、とハーレイが浮かべた苦笑い。
恋人の家に出掛けた日の夜、いつもの書斎でコーヒー片手に。
今日も小さなブルーに言われた、「ハーレイのケチ!」という文句。
頬っぺたをプウッと膨らませて。桜色をした唇だって、ツンと尖らせていたブルー。
「キスは駄目だと言った筈だが?」と断った時の、お決まりのコース。
プンプン怒って膨れっ面で、そう簡単には直らない機嫌。
(しかし、ケチだと言われてもだ…)
俺はケチではないんだが、と心外な気分。とうに慣れてはいるけれど。
キスをしないのはブルーのためだし、けして「ケチっている」わけではない。
ブルーを大切に思っているから、キスをしないのが今の自分。
(俺の心が広いからこそ、キスをしないでいられるんだぞ?)
あいつ、全く分かっちゃいない、と思うのがチビの恋人のこと。
キスを断ったら膨れっ面で、文句たらたらの小さなブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
けれどもブルーは、小さくなって帰って来た。
十四歳にしかならない子供に、今の自分が通う学校の教え子として。
(それでもあいつは、俺のブルーで…)
愛おしい気持ちに変わりはないから、最初の頃には途惑いもした。
前のブルーと、今のブルーが重なって。…思わず重ねてしまいそうになって。
(…ウッカリ重なっちまったら…)
何をしでかすか分からないぞ、と生まれた不安。
小さなブルーはまだ子供なのに、前のブルーと同じに扱い、自分のものにするだとか。
(あいつの家なら、その心配は無いんだが…)
監視の目が無い自分の家だと、なんとも心許ない話。
何かが起こってからでは遅いし、ブルーを家から遠ざけた。
「前のお前と同じ背丈になるまでは来るな」と、家に遊びに来ることを禁じて。
それが一番安全な策で、ブルーのためでもあるのだから、と。
今ではチビのブルーの姿に、前のブルーは重ならない。
ブルーは今の身体に馴染んで、すっかり子供になったから。
見た目そのままの十四歳の子供、こちらの方でも余裕たっぷり。
「キスは駄目だと言ったがな?」とピンと額を弾いてみたり、膨れた頬を手で潰したりと。
「ぼくにキスして」と強請ったブルーに、「ハーレイのケチ!」と睨まれる度に。
けれどケチではない自分。キスを断るのはブルーのため。
(何もかも、あいつを思えばこそで…)
心の広い俺は「ケチ」呼ばわりに甘んじてるんだ、と誇りたい自分の心の広さ。
小さなブルーを見守り続けて、キスもしないでいる自分。
(俺の器が大きいからだな)
最初はブルーを家から遠ざけたりもしたのだけれども、きっと今なら大丈夫。
ブルーが遊びにやって来たって、快く迎えてやれるだろう。
「間違いが起こるかもしれない」などと不安がらずに、「ゆっくりして行け」と。
家に泊まりにやって来たって、ゲストルームに案内して…。
(お前のベッドは此処だからな、と教えてやって…)
ブルーが荷物を置いた後には、ダイニングやリビングで楽しく会話。
食事も作って食べさせてやるし、夜になったら「先に入れ」とバスルームも譲る。
お風呂にゆっくり浸かったブルーが、ホカホカと温まった身体で戻って来ても…。
(いい湯だったか、と訊いてだな…)
「俺も入るか」と立ち上がるだけで、けしからぬ気持ちは起こさない。
ブルーの方から仕掛けて来たって、「ぼくにキスして」と言ったって。
(うん、実に心が広いってな)
俺の器は大きいんだ、と今の自分に満足な気分。
ブルーは「ケチ!」と怒るけれども、けしてケチではない自分。
広い心でブルーを見守り、キスさえしないで、「ケチ」呼ばわりにも動じない。
もしも器が小さかったら、今頃はきっと誘惑に負けて…。
(あいつにキスして、家に誘って…)
道を踏み外しているだろうな、と容易に想像できること。
小さなブルーに夢中で溺れて、前のブルーのように扱ったに違いない、と。
幸いなことに、大きかった器。
ブルーに何度誘惑されても、けして誘いに乗らない自分。
(でもって、今じゃチビの子供にしか見えなくて…)
ちゃんとそのように扱っている、と思っているのに、ブルーにはケチに見えるらしい。
今日も言われた、「ハーレイのケチ!」。
(俺の器が小さかったら、あいつ、大変なことになってるぞ?)
前のブルーと同じに扱われて、恋人同士の行為に付き合わされて。
チビのブルーは心も身体も子供なのだし、前のブルーのようにはいかない。
ブルーが欲しがる唇へのキス、ただ唇を重ねるだけならまだいいとしても…。
(あいつが言ってる、本物のキスは…)
今のブルーには早すぎる。
それを贈れば、きっとブルーは逃げ出すだろう。生理的にとても耐えられなくて。
「何をするの!」と悲鳴を上げて、抱き締める自分の腕をほどいて。
(キスだけでも、その有様だしな?)
ブルーが夢見る「本物の恋人同士の時間」となったら、泣き叫ぶだろう小さなブルー。
「やめて!」と叫んで、「誰か助けて」とバタバタ暴れて。
そうなることが分かっているのに、小さなブルーは「分かっていない」。
前のブルーの記憶があるから、そっくり同じブルーのつもり。
一人前の恋人気取りで「ぼくにキスして」で、その先のことまで狙うのがブルー。
(まったく、あいつは…)
分かっちゃいない、と零れる溜息。
「俺の器が小さかったら、お前は酷い目に遭ってるんだが?」と。
そうとも知らずにケチ呼ばわりとは、本当に幸せなチビで子供だ、と。
(チビのあいつに分かれと言っても無理なんだろうが…)
今のブルーがどれほど恵まれているか、「器の大きな恋人」のお蔭で助かっているか。
無理やりキスをされはしないし、組み伏せられて襲われもしない。
おまけに「ぼくにキスして」と強請っていたって、叱られるだけで済むブルー。
これ幸いとキスをされたら、ブルーは酷い目に遭うというのに。
チビの子供には早すぎるキスに、それこそ縮み上がって震えて。
そうはならずに平和に暮らしているブルー。
チビだけあって我儘放題、「ハーレイのケチ!」とプンスカ膨れて。
(俺の器に感謝しろよ?)
心が広くてデカイんだから、と考えた所で掠めた思い。心に引っ掛かったもの。
「器だって?」と、その言葉が。
今の自分は器が大きい、と誇らしい気持ちでいたのだけれども、その自分。
確かに器は大きい方だし、それが自慢でもあるけれど。
(ガキの頃から、柔道と水泳で鍛えてたしな?)
上下関係が厳しい世界で育って来たから、自然と大きくなる器。
心技体を鍛える柔道の道では、器が小さくては大成できない。
「目標は高く、心は広く」と何度も言われて、そう心がけて、今の自分がいるけれど。
大きな器が自慢だけれども、その器。
(…前の俺に比べて、どうなんだ?)
あっちはキャプテン・ハーレイだぞ、と前の自分を思ってみる。
今に比べてどうだったのかと、「前の俺の器は、どうだったんだ?」と。
白いシャングリラを預かるキャプテン、器が小さいわけがない。
小さいようでは、誰もキャプテンに推しはしないし、務まりもしない。
(船の仲間が好き勝手なことを言ってても…)
いちいち怒って相手にしたなら、船はたちまちバラバラになる。
とにかくじっくり話を聞くこと、些細な喧嘩が起きた時にも、その情報を掴んだら。
船の雰囲気が悪くなる前に、「何があったんだ?」と当事者に会って。
(呼び出したんでは、素直に話しちゃくれないから…)
食堂で「隣、いいか?」と座ったりして、世間話のついでに愚痴や怒りを聞いた。
それも両方の言い分を。…片方だけに話を聞いても、中身が偏ってしまうから。
(きちんと聞いたら、どうするべきかを考えて…)
与えた的確なアドバイス。
行き違いがあるならそれを正して、悪い所があったというなら助言して。
謝りにくいと思っているなら、謝れる場を作ったりもして。
(うーむ…)
前の俺の方が偉くないか、と感じた今。
自分一人のことだけではなく、船の仲間の全てに気配り。
(俺が悪いってわけじゃなくても…)
時には「すまん」と詫びていた。
船の仲間たちに苦労をかけるような時には、不便を強いるような時には。
(あっちの方が遥かに上だな…)
今の俺の器じゃ務まらないぞ、と思わないでもない「キャプテン」。
けれど平和な時代なのだし、白いシャングリラも無い時代だから、今の器でいいのだろう。
チビのブルーに広い心で接する自分で、「器が大きい」と思う自分で。
今の自分に似合いの器がこれだから。
もう充分に大きな器で、チビのブルーの我儘も受け止められるから…。
今の俺の器・了
※今の自分の器の大きさ、それを誇りたかったハーレイ先生。「心が広い」と。
けれども器の大きさだったら、前の自分の方が上。そうは言っても平和な時代はこれで充分v