(あいつを愛しちゃいるんだが…)
嫌いだなんて言いやしないが、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーと過ごした休日の夜に、いつもの自分の家の書斎で。
夕食を御馳走になって来たから、帰宅してから淹れたコーヒー。
愛用のマグカップに熱いのをたっぷり、それを片手の時間だけれど。
(なんだって、今のあいつはだな…)
ああも我儘になっちまったんだか、と思い浮かべる小さなブルー。
今日は午前中から一緒だった人。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
ブルーも自分も生まれ変わりで、遠く遥かな時の彼方で共に暮らした。
二人きりではなかったけれど。他に仲間が大勢いた船、恋さえ秘密だったのだけれど。
(前のあいつと言えばだな…)
それは立派で、皆の手本で…、と前の自分が愛したブルーを考える。
ソルジャー・ブルーと呼ばれた人。白いシャングリラで生きたミュウたちの長。
ただの一度も、我儘など言いはしなかった。前のブルーは。
(アルタミラから、脱出した直後の船でもだ…)
まだソルジャーではなかった頃でも、ブルーは我儘を言ってはいない。
今と同じにチビだったブルー。
本当の年はともかくとして、ブルーの中身はチビだった。見た目そのままに少年で。
閉じ込められていた檻の中では、心も身体も、長く成長を止めていたから。
(今のあいつとそっくりにチビで…)
子供だったが、我儘などは一回も…、と今も鮮やかに覚えている。
少年の姿をしていた前のブルーが、あの船でどう生きたのか。
(もうすぐ食料が尽きちまうんだ、って話したら…)
皆が飢え死にしないようにと、ブルーは船から飛び出して行った。たった一人で。
そして奪って戻った食料、人類の輸送船を見付けて其処の倉庫から。
奪った物資で皆が暮らし始めて、初期の頃には食材が偏ったこともしばしば。
ジャガイモだらけのジャガイモ地獄に、キャベツだらけのキャベツ地獄だって。
愚痴を零す仲間も多かったけれど、ブルーはいつでも素直に食べた。どんな食事でも。
あの頃のあいつはそうだったんだ、とブルーの笑顔を思い出す。
まだキャプテンなどいなかった船で、前の自分は厨房担当。
偏った食材をせっせと調理し、「文句があるか!?」と皆に食べさせていた。
「これでも昨日のとは変えてあるんだ」と、「食材は全く同じだがな!」などと。
いくら工夫を凝らしてみたって、同じ食材では限界がある。
皆の不満も仕方ないことで、それは分かっていたのだけれど…。
(前のあいつは、文句の一つも言わないで…)
ジャガイモ地獄もキャベツ地獄も、明るい笑顔で付き合ってくれた。
時には「ごめんね」と謝りながら。
「ぼくが色々と奪っていたなら、食材、偏っていなかったのにね」と。
謝られる度に「何を言うんだ」と返した自分。「お前の安全が第一だろうが」と。
危険を冒して奪うことはないと、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄で充分だからと繰り返して。
食料があれば生きてゆけるし、もうそれだけで幸せなこと。
文句を言う者が現れるのも、船が平和な証拠だから。
(アルタミラの檻じゃ、食事どころか餌と水だぞ?)
それしか食えなかったじゃないか、と皆を睨んでも、一度覚えた楽な暮らしは癖になる。
食事は色々な食材があって、調理方法も味付けも豊かで、美味しく食べて当然のもの。
そういうものだと思ってしまえば、それが無くなったら不満な者も出てくるだろう。
けれどブルーは文句どころか、「美味しいね」と笑顔で頬張ってくれた。
ジャガイモだらけの日が続こうが、キャベツまみれの毎日だろうが。
(どれも美味しい、って言ってくれてだな…)
ずいぶんと励みになったもの。
他の仲間が何と言おうが、ブルーが笑顔で食べてくれたら。
「お昼に食べたのと、ちょっと違うね」と、工夫に気付いてくれたなら。
(…前のあいつは、そういうヤツで…)
同じチビでも、まるで違うぞ、と思ったブルーの中身のこと。
なにしろ今のブルーときたら、本当に我儘放題のチビ。
我慢という言葉は知っていたって、少しも我慢しようとしない。
幸せ一杯に育ったお蔭で、今のブルーはとびきり我儘。…前に比べて。
そうなっちまった、と今日のブルーを思う。
ブルーの家に出掛けて行ったら、また炸裂したブルーの我儘。
キスは駄目だと言ってあるのに、「ぼくにキスして」と強請ったブルー。
もちろん「駄目だ」と断ったけれど、ブルーが納得するわけがない。
たちまちプウッと膨れた頬っぺた、尖ってしまった桜色の唇。「ハーレイのケチ!」と。
(いったい何回、アレを言われたやら…)
今じゃすっかりお馴染みなんだ、と耳が覚えている言葉。不満そうな響きの声と一緒に。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って、赤い瞳で睨み付けるブルー。
悪いのはブルーの方だというのに、まるでこちらが悪いかのように。
(俺は子供にキスはしない、と何度も説明してあるんだがな?)
それも聞かない我儘なヤツ、と今のブルーの我儘っぷりに呆れるばかり。
キスを断ったら不満たらたら、「ケチだ」と文句で膨れっ面。
命に関わることでもないのに、キスが無くても飢えて死んだりしないのに。
膨れっ面など、前のブルーは一度もしてはいないのに。
(ジャガイモ地獄だの、キャベツ地獄だのと比べたら…)
今の暮らしは天国だろうが、と思うけれども、その「天国」が我儘なブルーを作った。
優しい両親と暖かな家と、何の不自由も無い暮らし。
十四年間もそれを続けていたなら、今のようにもなるだろう。
「欲しいもの」は何でも手に入るのだし、する必要すら無い我慢。
たまに小遣いを切らしていたって、両親に頼めばきっと補充をして貰える筈。
そうでなければ、代わりに買って来てくれるとか。
(シャングリラの写真集がソレだよなあ…)
俺が持ってるのとお揃いだが、とチラと本棚に目を遣った。
白いシャングリラの姿を収めた豪華版。
下調べをして出掛けた本屋で、「やはり買おう」と決めたそれ。
買うなりブルーに教えてやって、「お前が買うには少し高いが…」とも付け加えたけれど。
ブルーの両親なら、きっと買い与えてくれる筈だと考えた。
可愛い一人息子のためなら、喜んで。
案の定、ブルーは買って貰って、持っている。「ハーレイの本とお揃いだよ」と。
そんな具合で我儘放題、我慢を知らない小さなブルー。
あれでも我慢はしているだろう、と思ってはみても、前のブルーと比べたら…。
(我慢のガの字も無いってくらいで…)
少しも我慢しないんだ、と頭が痛くなってくる。
これから先も、いったい何度聞くことだろう。「ハーレイのケチ!」と。
膨れっ面を何度目にするのだろう、プンプン怒っているブルーの顔を。
(フグみたいだから、可愛いんだが…)
今ならではの顔なんだが、と思考を別の方へと向けた。
我儘一杯に育ったブルーを、前の自分は見ていない。
アルタミラの檻で心も身体も成長を止めて、希望さえも失くしていたブルー。
人としてさえ生きられなかった辛すぎた日々が、前のブルーから奪った「我儘」。
檻で我儘など言えはしないし、その中で長く生きる間に、ブルーが失くしてしまった未来。
「こうしたい」だとか、「こうなればいい」とか、そういった夢も全て失くした。
其処から再び歩み出しても、もう「我儘なブルー」は出来ない。
すっかり我慢に慣れてしまって、欲しいものなど無いのだから。
たとえ「欲しい」と思ったとしても、「手に入ればいいな」と考える程度。
何が何でも手に入れたい、と我儘を炸裂させはしなくて、せいぜい努力してみるくらい。
「こうすれば手に入るのかな?」と、仲間たちに迷惑が掛からないよう、控えめに。
(前のあいつは、そうだったから…)
我儘なブルーは「いなかった」。シャングリラの何処を探しても。
三百年以上も共に暮らしても、そんなブルーに会ってはいない。ただの一度さえも。
(そいつを思えば、我儘で膨れっ面のあいつも…)
うんと可愛くて好きなんだが、と思った所へ、耳に蘇った「ハーレイのケチ!」。
小さなブルーの愛らしい声で、まだ声変わりをしていない声で。
(…しかし、ケチだと言われるのは、だ…)
実に不本意で心外なんだ、と傾けるコーヒー。「俺はあいつのためを思っているのに」と。
ブルーの幸せを思っているから、子供の間は子供らしく。キスなどしないで。
なのにブルーは「ケチ!」ばかりだから、溜息だって零れてしまう。
「愛してるんだが、我儘なヤツ」と、「そんな所も、纏めて愛してるんだがな」と…。
愛しているが・了
※前のブルーは我儘なんかは言わなかった、と思うハーレイ。我慢することに慣れてしまって。
ところが今のブルー君は我儘放題なわけで、零れる溜息。それでも愛してるんですけどねv