(王子様なあ…)
ふと、ハーレイの頭に浮かんだ言葉。「王子様」と。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
コーヒー片手に寛いでいたら、そういう言葉がポンと浮かんだ。頭の中に。
今の時代は、何処にもいない「王子様」。お伽話の世界にしか。
(前の俺が生きた時代にも、とうにいなかったんだが…)
そういう人種は、と思い描いてみる「王子様」。
王子には王と王妃がつきもの、王の息子が王子だから。娘だったら、王女様。
(…王侯貴族ってヤツがいないと…)
そもそも存在しやしないんだ、と簡単に分かる「王子様」。
王国があって王族がいれば、王子様も存在するのだけれど…。
(その王国が消えてしまっていたから…)
人間が宇宙に版図を広げて、地球が窒息し始めた時は、もう王国は無かったという。
とうの昔に時代遅れで、王族も貴族も、いつの間にやら普通の人間。
(財産だけは持っていたかもしれないが…)
それさえも地球が滅びた時には、何の意味すらも無くなった。
「人間は全て地球を離れる」ことが決定されたから。
他の星へと散って行った後は、誰一人として表舞台に戻れはしない。
SD体制に入った世界に、旧世代の「人」は不要のもの。
人間は全て人工子宮から生まれる世界で、血縁などは誰も持たない。
(そんな時代に、世襲の財産が入り込む余地が無いからな?)
彼らの財産は没収されたか、あるいは最期を迎える星へと宇宙船で運ばれて行ったのか。
どちらにしたって、彼らは二度と戻らなかった。
財産も血筋も消えてしまって、その最期さえも分からない。
SD体制を始めた機械は、何の関心も彼らには「持たなかった」から。
何処で死のうが、滅びてゆこうが、不要な者たちが消えただけ。
そうして彼らは宇宙から消えて、何も残りはしなかった。身分も血筋も、財産さえも。
宇宙から消えた王侯貴族。SD体制の時代の幕開けと共に、もう完全に。
前の自分が生きた頃には、とっくに別の世界の住人。お伽話の中にいただけ。
(それでも言葉は知っていたがな)
王子様という言葉なら。王も王妃も、王侯貴族も。
お伽話は残っていたし、人類の歴史も調べれば分かる。
遠い昔は、本物の王子や王や王妃が存在したと。彼らを取り巻く貴族たちだって。
地球のあちこちにあった王国、お伽話ではない本物の国。
(しかし、現実味は無いモンだから…)
シャングリラで生きる自分たちには、何もかも夢の世界のもの。
船の中だけが世界の全てで、外に出たなら殺されるだけ。異分子として。
だから実在した王子も王族たちも、お伽話と変わらなかった。
自分たちとは無縁の世界で暮らす人々、「遠い昔に暮らした」人間。
それが王子や王族たちで、夢の世界の住人たち。本物だろうが、お伽話の人物だろうが。
(まあ、人類の方にしたって…)
事情は同じだっただろう。
血縁の無い家族関係、養父母の家で暮らす子供たち。
けれど十四歳の誕生日が来たら、大人の社会へ旅立たされる。
記憶を処理され、教育ステーションへと。大人社会の入口へと。
(それまでに読んでた、本の記憶は残るんだろうが…)
王子や王女が出てくる話が好きな子だったら、その記憶までは消えない筈。
それは「知識」で、そういう話を好むというのは「個性」だから。
本を与えた養父母の記憶は曖昧になっても、きっと残るだろう「読んだ本」の記憶。
(定番のお伽話なんかは、常識だしな?)
大人社会でも何かのはずみに、話題になることもあったろう。
だから人類も、王子様なら知っていた。
「夢の世界の住人」として。
かつては本物がいたのだけれども、SD体制の時代は「不要な存在」。
とはいえ、夢はたっぷりあるから、時には本物の彼らの歴史を追ったりもして。
それから遥かな時が流れて、青い地球が宇宙に戻ったけれど。
SD体制も微塵に壊れて、人間は昔と同じ形で命を紡いでいるのだけれど…。
(王子様は戻って来なかったよなあ…)
今でもやっぱりお伽話の中だけなんだ、と平和な今の時代を思う。
人間は誰もがミュウになった世界、戦いも武器も無い世界。
頂点に立とうと野心を抱く者はいないし、世界征服を目論む輩もいない世の中。
それでは出来ない「王」や「王族」、王国だって生まれては来ない。
「王子様」は夢の世界の住人のままで、お伽話の世界の外には出てこない。
もちろん歴史の本の外にも、データを集めたライブラリーなどの外の世界にも。
(それでも、夢は一杯で…)
憧れるヤツも多いのが「王子様」なんだ、と前のブルーを思い浮かべる。
ミュウの時代の礎になった、ソルジャー・ブルー。
今の時代の始まりの英雄、誰もが称える初代のソルジャー。
(おまけに、ああいう姿だから…)
それは気高く、美しかったソルジャー・ブルー。
前の自分が恋をしたのを抜きにしたって、振り向かない人などいはしない美貌。
(キースの野郎は、遠慮しないで撃ちやがったが…)
普通だったら躊躇うぞ、と考えずにはいられない。
あの美しい赤い瞳に向かって、弾を一発ブチ込むなんて。
非の打ち所がない美を損ねるだなんて、たとえ敵でも迷うだろうと。
(こう、罰当たりな気がしちまって…)
俺なら引き金を引けないんだが、と思う、あの顔。
どうしても殺さねばならない敵なら、ただ息の根を止めればいい。
わざわざ瞳を砕かなくても、心臓を狙えばそれで済むこと。
神が作り上げた美を損ねずとも、ブルーの息は絶えるのだから。
(キースの野郎が例外なだけで、普通は惹かれるのがブルーの顔で…)
だからあいつは「王子様」だっけな、と思いを馳せる、今の時代のブルーの立ち位置。
すっかり「王子様」扱いだったと、憧れる女性が山ほどだぞ、と。
英雄な上に、あの美しさ。それに気高さ。
写真集が沢山出ているブルーは、「王子様」にも負けない勢い。
お伽話の王子様にも、遠い昔に実在していた「本物」の王子様たちにも。
(王族の血なんか引いちゃいなくて、人類に追われるミュウの長でだ…)
アルタミラじゃ檻で暮らしてたんだが、と前のブルーの人生を思う。
成人検査で発見された最初のミュウ。
ただ一人きりのタイプ・ブルーで、それもブルーに災いを呼んだ。
繰り返された過酷な人体実験、けれど死ぬことは許されない。生かしてデータを集めるために。
未来も希望も見えない中で、心も身体も成長を止めていたブルー。子供のままで。
(まるで囚われの王子様だな)
逃げ出した後は、ちゃんと育っていったんだが、と思い出す船の中での日々。
少年だったブルーは育って、やがてソルジャー・ブルーになった。
今も写真が何枚も残る、あのソルジャーの衣装を纏って。
白と銀の上着に、紫のマント。…お伽話の王子たちにも負けない姿。
(あれだけ揃えば、立派に王子になれるよなあ…)
今の時代も人気の王子に、とブルーを収めた写真集の多さに零れる溜息。
「前のあいつは、今じゃすっかり王子様だな」と。
そういうつもりで生きたわけではなかっただろうに、時が流れた今となっては「王子様」。
大勢の女性たちの憧れ、お伽話の世界の王子や、本物の王子に負けないほどの。
(…でもって、今のあいつの方も…)
王子様だぞ、と可笑しくなった。生まれ変わったブルーの方。
十四歳にしかならない子供で、まだまだチビの姿だけれど…。
(前に比べりゃ我儘一杯、幸せ一杯といった所で…)
前のブルーの人生とは違う、それは幸せな今のブルーの人生。
優しい両親も、暖かな家も、何もかも持っているブルー。それは贅沢に、王子様のように。
(財産は持っちゃいないんだが…)
恋人の俺まで持っていやがる、とチビの王子様な恋人を想う。
何かと言ったら我儘放題、「ぼくにキスして」と強請る恋人を。
(…本当に王子様だな、あいつ)
そしていずれは俺が足元に跪くんだ、とクックッと笑う。
いつかブルーが大きくなったら、プロポーズ。その時は跪くだろうから。
(文字通りに跪くかはともかく…)
ブルーに自分の人生を捧げ、一生守ると誓いを立てるだろう瞬間。
まるで王子に跪く騎士か、はたまた忠実な家臣なのか。
(…あいつが王子様なら、だ…)
俺はいったい何になるんだ、と想像するのも、また楽しい。
我儘なチビの王子様なブルーが君臨する今は、自分は何になるのだろうと。
教育係か、はたまた下僕か、あるいは王子に跪く騎士か。
(何でもいいよな、あいつの側にいられれば…)
充分なんだ、と浮かべた笑み。
もしもブルーが王子様なら、自分は跪くだけだから。
家臣だろうが、騎士であろうが、ブルーの側で守ってやれたら、もう充分に満足だから…。
王子様なら・了
※前のブルーが王子様扱いされる今。平和な時代ならではですけど、今のブルーも王子様。
我儘一杯で幸せ一杯、王子様みたいなブルー君。ハーレイ先生の役柄が気になりますよねv