(うーむ…)
今日は運動が足りなかったかもな、とハーレイが開けてみた瞼。
ブルーの家には寄れなかった日、「さて、眠るか」と入ったベッドの中で。
いつもだったら直ぐに訪れる筈の眠気が来ない。
待ってみても欠伸の一つも出なくて、もうどのくらい経ったろう?
枕元の目覚まし時計を眺めて、「十五分か…」と呟いた。
なんとも珍しい「眠れない夜」。寝付けないとも言えそうな夜。
(はてさて、こうなった原因は…)
コーヒーのせいではない筈なんだ、と好きなコーヒーを思い返してみる。
書斎で飲んだ夜の一杯、あれは普段と同じに淹れた。豆も、その後の手順なども。
(濃く淹れすぎちまったってことは…)
今夜に限って言えば「無い」。
飲んだ時にも、違和感は何も無かったから。いつもの味わい、寛ぎのひと時。
夜にコーヒーを飲むと言ったら、人によっては驚くけれど。「眠れますか?」と。
カフェインが苦手な人が飲んだら、まるで眠れなくなるらしい。
夕食の後にデミタスカップに一杯だけでも、もう眠れないというタイプの人。
(前のあいつも、コーヒーは駄目で…)
味も苦手な上、眠れなくなっていたのがブルー。遠く遥かな時の彼方で何回も。
今のブルーも同じ目に遭って、散々文句を言っていた。「昨夜は眠れなかったよ!」と。
けれど自分はそうではないし、夜のコーヒーは「いつもの一杯」。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、ゆっくりと傾けるのが習慣。
前の自分の記憶が戻る前から、もうずっと長く。
(俺にとっては、ごくごく普通の一杯で…)
眠れなくなることなどは無い。たまにウッカリ、濃くなっても。
「少し濃すぎたか?」と思った時でも、ベッドに入れば直ぐに眠れる。
今夜のように瞼を開けはしないで、ぐっすりと。
だからコーヒーのせいではないな、とハッキリ言える。
他に原因があるとしたなら、さっき思った運動不足。
身体が疲れていないのだったら、きっと眠気は来ないだろう。ベッドに入って目を閉じても。
(まだまだ起きていられるってわけで…)
起きていたいのかもしれない身体。今夜はまだまだ動けるから、と。
もっと本でも読んでいようと訴えているか、「軽く走りに行きたかった」と訴えるのか。
夜にジョギングする日もあるから、少し走りに行けば良かった。
今になって寝付けないのなら。直ぐに眠気が来ないのならば。
(俺としたことが…)
失敗だな、と指でコツンと叩いた額。
運動不足を今頃になって自覚するなど、なんとも間抜けな話だから。
パジャマに着替えた今となっては、もうジョギングには出られない。
なにしろ風呂にもゆったり入って、バスタブに張った湯はすっかり流してしまったから。
起きて着替えて走りに行ったら、戻った後にはシャワーだけ。
夜はゆっくり入浴するのが好きなのに。シャワーよりかは、浸かりたいバスタブ。
まったくもって失敗だった、と嘆きたい気分の運動不足。
何処かで気付けば、夜に走りに行ったのに。夕食前でも、夕食を食べた後にでも。
(……まったく……)
朝に動いていないんだよな、と直接の原因は分かっている。
いつもだったら柔道部員の生徒と一緒に走り込み。
それが済んだら皆に稽古をつける時間で、「かかってこい!」と大勢を一度に相手にもする。
朝一番には学校で運動、そういう毎日なのだけれども…。
(今朝は用事があったもんだから…)
何処かでかかるだろう招集。
職員室まで来て下さい、と同僚の誰かが呼びにやって来て。
行くならきちんとした格好で出掛けたいから、今朝は脱がずにいたスーツ。
それでは運動出来はしないし、走り込みだって出来るわけがない。
ただ腕組みをして立っていただけ、皆に号令を飛ばしただけ。「しっかりやれよ!」と。
アレのせいだな、と浮かべた苦笑。「朝の運動が足りなかった」と。
朝から身体を動かしていたら、運動不足に陥りはしない。
(とはいえ、他にも何か原因はあるんだろうが…)
思い付かんな、と考えてみても分からない。
今日という日を思い返して、順にあれこれ数えてみても。
起きた所から頭に浮かべて、ベッドに入るまでの時間をズラリと並べてみても。
(まさか、あいつに会えなかったくらいで…)
眠れなくなりはしないよな、と思う小さなブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
学校では姿を見られたのだし、「会えなかった」とは言わないだろう。
家を訪ねてゆけなかっただけで、二人きりで会えはしなかっただけ。
(二人きりどころか、まるで会えずに終わる日だって…)
たまにあるから、それが原因ではなさそうな感じ。
きっと自分でも気付かない何処か、ほんの小さな何かが原因。
運動不足で疲れていない身体にとっては、「起きていられる」と思わせる何か。
(特に嬉しいことも無かった筈だがなあ…)
遠足前の子供じゃあるまいし、と挙げてみる例。はしゃぎすぎたら眠れない子供。
今日は普通の一日だったし、明日もこれという予定は無い。
心が躍って眠れないのではないらしい。「楽しかった」とか、「楽しみだ」と。
(その逆ってヤツもあるわけだが…)
何か気にかかることがあるなら、人は眠れなくなったりもする。
心配事とか、気乗りしない何かをやらねばならない時だとか。
(そっちの方も、まるで無くてだ…)
いったい何が悪いんだか、と考えるほどに分からない。全く思い付かない原因。
直接の理由になっているだろう、運動不足を除いては。
心地よい眠りが訪れるほどには、動かさなかった身体のせいではあるけれど…。
(何が原因なんだかな?)
まるで分らん、とベッドの中で指を折る。あれか、それともこれだったか、と。
そうして指を折ってみたって、出てこない答え。
眠れなくなるような原因は無くて、ただただ「運動不足」とだけ。
(…まあ、いいが…)
その内に眠くなるだろうさ、と結論付けた。
身体が眠くならないのならば、暫く放っておけばいい。ベッドの上に転がして。
それでも眠気が訪れないなら、起き出して本を読むのもいい。
(寝酒なんぞをしなくても…)
今日の俺なら眠くなるさ、と分かっている。心配事など抱えていないし、仕事も順調。
こういう時には、眠気が来るまで待つだけでいい、と。
(何か悲しいことでもあったら、酒を飲みたい気分にもなるが…)
生憎と今日はそうじゃない、と思った所で掠めた思い。「前は何度もあったんだ」と。
今と同じに眠れない夜、それを幾つも過ごしたと。
時の彼方で、キャプテン・ハーレイと呼ばれた自分。前の自分が生きていた頃。
(…あいつと二人だった時には…)
眠れない夜など、まるで無かった。
ブルーが眠りに落ちてゆくのを見守りながら、前の自分も同じに眠った。明日に備えて。
白いシャングリラを導くソルジャー、その船の舵を握るキャプテン。
誰にも言えない秘密の恋でも、夜には一緒だったから。同じベッドで眠ったから。
(なのに、あいつが長い眠りに就いちまって…)
十五年間もブルーは目覚めないままで、とても気にかかったブルーの命。
眠ったまま逝ってしまうのでは、と。
深い眠りに就いた身体は、いつどうなるかも知れないから。
今日は静かに眠っていたって、明日になったら二度と目覚めない眠りになるかもしれない。
眠ったまま死の国に行ってしまって、身体だけがベッドに残される時。
その日が来たなら、ブルーを追ってゆくけれど…。
(あいつの葬儀を済ませない内は…)
放棄できないキャプテンの任務。
愛おしい人を失った後も、冷静でなければいけないキャプテン。皆を指揮して。
その日が怖くて、何度も眠れない夜を過ごした。
「まさか」と自分の考えを打ち消し、「いつかブルーは目覚めるから」と。
眠ったままで逝きはしないと、きっと目覚めてくれる筈だと。
(そして実際、起きてくれたんだが…)
ブルーの目覚めは死へのカウントダウンで、前の自分は気付かなかった。その真実に。
二人きりで会える時間も無いまま、ブルーはメギドへ飛んでしまって…。
(俺は一人で残されちまって…)
追ってもゆけずに、眠れない夜を幾つ過ごしたことだろう。
いつになったら地球に着けるかと、ブルーを追ってゆけるのかと。
どうして今も生きているのかと、愛おしい人はもういないのに、と。
(…あれに比べりゃ、今の俺なんか…)
ただの運動不足ってだけで、とクシャリと掻き混ぜた短い金髪。
「どうってこともありやしない」と、「ブルーは帰って来てくれたしな?」と。
きっと明日にも会えるだろうから、眠れないならブルーを想おう。
その内に眠くなる筈だから。
小さなブルーも今頃はきっと、ベッドで眠っているだろうから…。
眠れない夜に・了
※眠れなくなったハーレイ先生。原因は多分、運動不足。ジョギングでもすれば良かった、と。
そして思い出した前の生での「眠れない夜」。それに比べれば、今は遥かに幸せですv