「ねえ、ハーレイ。…シャングリラのお正月、覚えてる?」
そういう言葉も無かったけれど、とブルーが投げ掛けた問い。
訪ねて来てくれたハーレイと向かい合わせで、テーブルを挟んで。
「正月なあ…。そう呼んだりはしなかったよな」
ただの年越しだ、とハーレイは遠く遥かな時の彼方を思う。
白いシャングリラで前のブルーと過ごした頃には、「年が変わる」というだけのこと。
SD体制が始まった年から、数えられて来た年号が。
十二ヶ月ある月が全て終わって、また一月に戻るだけ。
けれども、それは銀河標準時間で数えるから。
何処の星でも「同じ」ではない、「一年の長さ」。
それぞれの星系の中心にあった太陽、いわゆる恒星。
その恒星の周りを一周する公転、それが星ごとの「一年」の筈。
もっとも、誰も「そうとは」思わなかったけれども。
SD体制があった時代も、それよりも前の「人類が宇宙に船出した頃」も。
今の時代も変わらない「暦」。
地球を基準に全てが動いて、年が変わるのも「地球に合わせて」。
ただ、違うのは「今は、本物の地球にいる」こと。
ブルーと二人で生まれ変わって、青く蘇った水の星の上に。
雲海の星、アルテメシアに潜んでいた頃、何度も迎えた「年が変わる」日。
正月などは無かったけれども、それに関する行事なら、あった。
「お正月…。前のぼく、お酒に弱かったから…」
いつもハーレイに頼んでいたよ、とブルーが微笑む。
皆で乾杯したのだけれども、その時に使った赤ワイン。
前のブルーは酒に弱くて、グラスを空けてしまおうものなら…。
「お前、酔っ払っちまって、大変なことになるからな?」
真っ赤な顔のソルジャーなんて、とハーレイが浮かべた苦笑い。
赤い顔だけで済めばいいけれど、確実だったろう、前のブルーの二日酔い。
新年早々、それではマズイ。
いくら「年が変わる」だけであっても、節目の時には違いないから。
「ぼくが酔っ払っちゃったら、大変だしね…。次の日だって、胸やけと頭痛」
そんなソルジャーだと困るものね、と小さなブルーも覚えていること。
乾杯のために配られたグラス、それに注がれた赤ワイン。
シャングリラでは、酒は合成品だった。
白い鯨になる前の船なら、本物の酒もあったのだけれど。
人類の船から奪った物資に、酒が混じっていた時には。
その「酒」が消えた、白いシャングリラ。
自給自足で生きてゆく船で、本物の酒は作れない。…技術はあっても、無かった材料。
農場で育てた葡萄の実たちは、「食べる」ための葡萄だったから。
そのまま食べたり、干しブドウにしたり、果汁を搾ってジュースにしたり。
「酒好きの者しか口にしない」酒は、けして作られはしなかった。
ただ、例外が一つだけ。
新年の時の乾杯用にと、樽で仕込まれた赤ワイン。
船でじっくり熟成させて、新年を迎えた時の祝いに配られた。
楽しみに待つ「酒好き」の仲間も多かったけれど、前のブルーは「そうではなかった」。
グラスに一杯分のワインで、酔ってしまえたソルジャー・ブルー。
本人にも自覚があったものだから、乾杯の時は「形だけ」。
一年を無事に過ごせたことへの感謝と、新しい年も皆が息災であるよう、祈りをこめて。
「乾杯!」とグラスを掲げた後には、ほんの一口。
そして、ハーレイに「頼むよ」と渡した。
ソルジャーの側に控えるキャプテン、「酒には強い」人に任せた「残り」。
「お前が、俺に渡すもんだから…。俺は多めに飲めたんだよな」
一年に一度きりの本物の酒、とハーレイの舌に蘇る味。
いつも「美味い」と思っていた。
合成品の酒とは違って、きちんと樽で仕込まれたもの。本物の葡萄で作ったワイン。
「あれ、美味しかった…?」
前のぼくには、少しも分からなかったけど、とブルーが尋ねる。
「お酒の味なんか、前のぼくには本当に分からなかったから」と。
「美味かったぞ? なんと言っても、本物だしな?」
おまけに一年に一回きりだ、とハーレイは「美酒」を懐かしむ。
「あれはなんとも美味かったんだ」と、「俺には、おかわりもあったしな」と。
前のブルーに譲られたグラス、それを飲み干すのもキャプテンの役目。
「貴重な酒」を無駄にするなど、白いシャングリラでは許されない。
いくらソルジャーが「飲めなくても」。
酒に弱くて酔っ払うのが分かっていても、「口をつけた残り」を捨てられはしない。
だからこそ、「これも俺の役目」と、毎年、空にしていたグラス。
自分のグラスを空けた後には、ブルーの分まで。
「美味しかったんなら、いいんだけどね。いつも押し付けちゃってたから」
前のぼくには美味しくないのを、とブルーは肩を竦めてみせる。
「ハーレイにしか頼めないしね」などと、可笑しそうに。
「まあなあ…。残りの酒は希望者に、って言えば大騒ぎになっちまうしな?」
酒好きのヤツやら、ソルジャーに憧れる女性やらで、と今でも容易に想像がつく。
きっと、そうなっていただろう、と。
皆がブルーの周りに押し掛け、飲み残しのワインを貰おうとして。
それを防ごうと、前のブルーが渡したグラス。
一口飲んだら、「頼むよ」とキャプテン・ハーレイに。
「あのお酒…。今のワインと比べたら、どう?」
どっちの方が美味しいと思う、とブルーが傾げた首。
「地球の赤ワインと、シャングリラの赤ワインなら、どっちが上?」と。
「どっちが美味いかって、そんなのは…」
俺に訊くまでもないだろう、とハーレイは答えたのだけど。
青く蘇った地球の土と水と、降り注ぐ地球の太陽の光。
それが育てた葡萄の実。
たわわに実った葡萄の房たち、それを搾って仕込まれたものが、今の地球のワイン。
赤でも白でも、ロゼであっても。
(当たり年のワインってヤツでなくても…)
とびきりの美酒に決まっている。
銘柄などにこだわらなくても、ごくごく安いワインでも。
どれも「シャングリラの赤ワイン」よりは、遥かに優れた味わいと香り。
船の中だけで育てた葡萄は、「地球の葡萄」に敵わないから。
最初から勝てる筈などはなくて、わざわざブルーに問われなくても…。
(今の赤ワインの勝ちに決まっているだろう…!)
断然、こっちが美味いんだから、と軍配を上げて、其処で気付いた。
「本当にそうか?」と、「今の赤ワインの勝ちなのか」と、シャングリラの赤いワインの味に。
地球のワインとは比較にならない、白いシャングリラで作られたワイン。
本物の葡萄を使っていようと、葡萄の味で既に負けていたから。
けれど、あの船の「唯一の本物」。
年に一度しか味わえなかった、グラスに一杯分だけのワイン。
(俺の場合は、ブルーの飲み残しがあって…)
二杯分ほどを飲めたけれども、あれも最高に美味ではあった。
一年を無事に過ごせたことを祝うワインで、新しい年を迎えるワイン。
あの「特別なワイン」と比べてみたなら、今のワインに、どれほどの価値があるのだろう…?
まるで無いな、と思わされた「それ」。
どれほど名高いワインであろうと、シャングリラのワインに敵いはしない。
「ミュウの箱舟」、其処で作られた「本物」には。
皆の命が懸かっていた船、その船の「祝いのワイン」の味には。
「…すまん、ワインの味なんだが…。シャングリラの方が美味かったようだ」
あっちが上だ、と訂正した。
小さなブルーに、「間違いない」と。
「えっ、だけど…。本当に?」
今の方が美味しい筈なんだけど、とブルーが言うのも、また正しい。
同じ条件で「味比べ」したら、シャングリラのワインに勝ち目は無い。
地球のワインを白いシャングリラに運んで、皆に飲み比べをさせたなら。
「どっちが美味い?」と注いでやったら、ゼルもブラウも、ヒルマンも、エラも…。
(迷いもしないで、地球のワインを選ぶんだろうな…)
その光景が見えるようだけれど、流れ去った時は遡れない。
「安いものでも最高に美味い」地球のワインを、白いシャングリラに運べはしない。
だから、ブルーに微笑み掛ける。
「あの船だったからこそ、美味かったのさ」と。
「同じワインを此処に持って来たら、地球のワインに負けちまう。だがな…」
あそこで飲むから美味かったんだ、と小さなブルーに教えてやった。
「酒を飲むには、時と場所ってヤツも大切なんだ」と。
白いシャングリラで飲んだ「新年のワイン」、あの場はどんなパーティーにも勝る。
「あれを越える酒は、まず飲めんだろう」と。
「…そうなんだ…。じゃあ、ぼくたちの結婚式で飲んでも負けちゃう?」
あの赤ワインに負けてしまうの、と心配そうな顔になるブルー。「負けちゃうよね」と瞬いて。
「いや、俺たちの結婚式なら、正月よりもめでたいからな?」
あれよりも美味いワインになるさ、とハーレイは「その日」を思い浮かべる。
きっとブルーは「頼むよ」と、また乾杯のグラスを寄越すのだろう。
純白の花嫁衣裳を纏って、そのたおやかな白い手で。
「ハーレイが飲んで」と、「花嫁さんが酔っ払ったら、大変だもの」と、最高の美酒を…。
最高の美酒・了
※シャングリラで新年を迎えた時に、乾杯していた「本物の」赤ワイン。遠い昔に。
地球のワインには敵わなくても、そちらの方が美味だった酒。そしていつかは最高の美酒を。
2017年の元旦用です、pixiv のハレブル更新日と重なったんで…。ゆえに単品v
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