(すっかり遅くなっちまったよな…)
こんな時間か、とハーレイが眺めた腕時計。
家のガレージに車を停めて、ドアを開けて外に出た後で。暗い外へと。
車の中にも時刻は表示されるけれども、そちらを見てはいなかった。
(遅いってことは分かってたしな?)
とうの昔に、車を運転し始める前に。
今日は会議が長引いたから、ブルーの家には寄れずに終わった。
早めに済んでくれていたなら、寄れたかもしれなかったのに。
思った以上にかかった時間。何度も時計を眺める内に。
これは駄目だと分かった時には、残念に思ったのだけど。
「今日は行けないな」と考えたけれど、同時に頭を掠めたこと。
こんな時こそ絶好のチャンス、書斎の友を増やしにゆこうと。
つまりは書店に出掛けてゆくこと、そしてあれこれ探して買うこと。
(ゆっくり時間が取れる日でないと…)
掘り出し物には出会えない。目当ての本を買って出るだけ、それで終わるから。
だから会議が済んだ後には、もう早速に乗り込んだ愛車。
街へ向かって走らせてやって、いつもの書店に出掛けて行って…。
(収穫の方は山ほどなんだ)
この頑丈な身体でなければ、きっと書店で訊かれただろう。
買った本を家まで送るサービス、それを使って送りましょうか、と。
それはドッサリ買った本たち、どれから読もうか迷うくらいに。
あちこちの棚を端から巡って、目に付いた本はどれも手に取っていたものだから…。
(本屋で過ごした時間だけでも…)
充分に長くて、出た時に腕の時計を眺めた。「こんな時間になっちまったぞ」と。
其処から車に戻って運転、家に着いたらこの時間にもなるだろう。
自分でも承知の遅い帰宅で、けれど収穫は袋に山ほど。何冊もの本。
書斎の友が増えてゆくのは楽しいもの。
読み終えるまでは机に積んで、読み終わったら棚に入れてゆく。
お仲間の本がいる辺りを選んで、「此処だな」と決める新入りの居場所。
本のサイズも色々だから、時には移動も必要になる。「これをこっちに」という引っ越し。
今日の収穫を全て収めるなら、きっと引っ越しもあるだろう。
(はてさて、どういう風になるやら…)
一気に入れるわけじゃないしな、と心が躍る。
読み終えた本から入れてゆくから、全部を棚に収めた時には引っ越す本が何冊あるか。
新入りの隣に並ぶ本たちはどれになるのか、それを考えるのもまた楽しい。
「いい日だった」と庭を横切り、玄関に着いて取り出した鍵。
玄関の灯りは自動で点いているから、扉を開けて中に入っても暗くはない。
けれど廊下は暗いわけだし、パチンと灯りを点けた途端に…。
(…俺一人だよな)
この家には誰もいないんだ、と何故だか思った。
一人暮らしだから、当たり前なのに。いつも一人で戻る家なのに。
どうして「一人だ」と考えたのか、自分でもまるで分からない。
(ふうむ…?)
この家じゃそれで普通だろうが、と靴を脱いで奥へ進んだけれど。
鞄や買った本の袋をドサリと置いて、楽な普段着に着替えたけれども、消えない思い。
「一人だよな」と、心の中から。
一度そうだと気付いてしまえば、「一人」なことがよく分かる。
行く先々で点けてゆく灯り、リビングでも、それに洗面所なども。
この家に他に人がいるなら、とっくに点いているだろう灯り。
点けないと何処も暗いのだから。
真っ暗な中で手を洗えはしないし、暗いリビングではソファも見えない。
ダイニングやキッチンもそれは同じで、サイオンを使って見ない限りは…。
(何一つ見えやしないんだ…)
暗いままでは、灯りをつけていない部屋では。
灯りを幾つも点ける間に、何度「一人だ」と思ったことか。
着替える時にもやはり思った、スーツを脱いでも「お疲れ様」とは言って貰えない。
(まあ、仕事だけではなかったんだが…)
本屋でたっぷり本探しもだ、とは思うけれども、仕事帰りには違いない。
この家に他に住人がいたら、掛けて貰える筈の声。「お疲れ様」と。
そうでなくても、玄関の扉を開けた途端に「おかえりなさい」と迎えられる筈。
誰かが家にいるのなら。…一緒に暮らしているのだったら。
(本当に、俺一人だよな…)
何処を見たって一人暮らしだ、とキッチンで作ってゆく夕食。
手早く作れて美味しいものを、と冷蔵庫などの中を覗いて作る時間も好きなのだけれど。
(これだって、一人分なんだ…)
量は多くても、一人分。自分の身体が大きい分だけ、食事の量も多いから。
それを器に盛り付けてみたら、「一人なのだ」と一目で分かる。
同じ料理が入った器は一つも無くて、どの器にも違った中身。
他に誰かがいるのだったら、「誰か」の分だけ、料理の器が増えるのに。
炒め物なら炒め物の器が、煮物だったら煮物の分が。
(味噌汁も、それに飯だって…)
一人分ずつあるもんだよな、とテーブルの上を眺めてみたって、どちらも一つ。
この家には自分だけだから。
一人暮らしのテーブルの上に、同居人の分が載りはしないから。
(…なんともはや…)
とんだ所に気付いちまった、と着いた食卓。「いただきます」と。
誰もいなくても「いただきます」と挨拶するのは、若かった時代に叩き込まれたこと。
家でも厳しく躾けられたけれど、柔道や水泳の先輩たちにも何度も言われた。
「誰もいなくても「いただきます」だ」と、「食事に感謝の気持ちをこめて」と。
作って貰った食事はもちろんのことで、自分で作った料理も同じ。
感謝する相手は「作り手」だけれど、料理を作った人よりも前に…。
(食材を作ってくれた人がだな…)
大勢いるし、神様もだ、と「いただきます」。感謝をこめて。
そうして一人で食べ始めてみても、やはり「一人だ」と拭えない気持ち。
テーブルの向かいには誰もいなくて、他の部屋から物音もしない。
誰かこの家で暮らしているなら、人の気配があるのだろうに。
此処で一人で食べていたって、何処かでドアを開ける音がするとか…。
(階段を上がる足音だとか、キッチンで水の音だとか…)
そういう音さえ聞こえやしない、と寂しくなる。「一人だよな」と心で繰り返して。
家に帰ってくる時までは、収穫に胸が躍っていたのに。
「今日は山ほど買い込んだぞ」と、本たちの置き場を考えたりもしていたのに。
(…一人ってヤツに捕まっちまった…)
なんてこった、と見回す辺り。同居人などいない家。
ダイニングには自分一人きりだし、他の部屋にも人影はない。
一人で食事をしている間に、遅れて帰ってくる人も。「遅くなってごめん」と。
(…遅くなってごめん?)
聞こえた気がする、ブルーの声。
今のブルーの声とは違って、時の彼方のブルーの声で。
(…前のあいつは、そんな言葉は…)
言っていないぞ、と思ったけれども、あるいは聞いていたのだろうか。
いつもは自分がブルーの部屋を訪ねて行った。あの広かった青の間へと。
けれど、ブルーが来る時もあった。…キャプテンの部屋へ。
(…そういう時に、聞いていたかもしれんな)
約束の時間よりも遅れて来たとか、色々な時に。「遅くなってごめん」と、あの声で。
今のブルーは「遅くなってごめん」と言いはしないし、いつでも家で待っている方。
恋人の自分が訪ねてゆくのを、首を長くして。
(…あいつの所に寄れなかったのに、楽しく本屋で過ごしたから…)
罰が当たったというヤツかもな、と首を竦める「一人」な呪い。
普段は少しも気にならないのに、今日は何度も思うから。
寂しい気持ちがしてくるくらいに、「一人なのだ」と次から次へ。
其処へ聞こえたように思ったブルーの声。「遅くなってごめん」と、前のブルーの声で。
(…そうか、お前がいてくれるのか…)
今ではチビになっちまったが、と思い浮かべる恋人の顔。
「此処にいるよ」と、「ぼくがいつでもいるじゃない」と、得意そうな顔。
さっき聞こえたブルーの声とは、まるで違った子供の声で。
「ハーレイは一人なんかじゃないでしょ」と、「ぼくは帰って来たんだから」と。
(…うん、そういえばそうだよなあ…)
俺は確かに一人じゃないな、と前の自分の孤独を思う。
前のブルーがいなくなった後、独りぼっちで生きた白いシャングリラ。
どんなに仲間が大勢いたって、心は一人きりだった。
愛おしい人を失くしたから。もう戻っては来てくれないから。
(…あの時の俺に比べれば…)
今は最高に幸せだよな、と浮上した気分。「今はあいつがいるんだしな?」と。
寂しい時でも、同じ世界にいるブルー。声が聞こえたと思うくらいに。
(よし、それじゃ飯が終わったら…)
二人で一緒に今日の収穫を見てみような、と小さなブルーに心で掛けてやる声。
色々な本を二人で見ようと、「いつか本物をお前が見られる日が来るからな」と。
この家で二人で暮らし始めたら、ブルーも目にする棚の本たち。
いつか一人ではなくなるのだから、それを思えば幸せな今。
一人暮らしは今だけだから。寂しい時でもブルーを思えば、心がふわりと軽くなるから…。
寂しい時でも・了
※ハーレイ先生が捕まってしまった「一人」の呪い。気付かされる「一人だよな」ということ。
けれど本当は、「一人きり」ではない世界。寂しい時でも、同じ世界にブルー君v
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