(ハーレイのケチ…!)
もう本当にケチなんだから、と小さなブルーが尖らせた唇。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今は学校の教師のハーレイ、その恋人が今日は訪ねて来てくれたけれど。
この部屋で二人、ゆっくり時間を過ごせたけれども、過ごした時間の中身が問題。
(ぼくにキスして、って頼んだのに…)
キスをくれなかったケチな恋人。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの台詞で断って。
そんな決まりは要らないのに。ハーレイが勝手に決めた決まりで、酷すぎる決まり。
前の自分と同じ背丈に育たない限りは、キスは額と頬にだけ。
恋人同士のキスは贈って貰えない。
欲しくてたまらない唇へのキス、唇と唇を重ねるキスは。
(いつ頼んでも、断られちゃって…)
ついでに叱りもするハーレイ。時には腕組みして睨んだりも。
「何度言ったら分かるんだ?」と。
キスを贈ってくれる代わりに、苦い顔。唇だって、綻ぶ代わりに引き結んで。
だからプウッと膨れてやる。
不満な気持ちをぶつけてやるなら、それが一番だと思うから。
俯いてションボリしょげているより、「怒ってるんだ」と顔に出すこと。
今日もプンスカ怒って膨れた、「ハーレイのケチ!」とキッと睨んで。
キスを断って叱った恋人、ハーレイに向かって仕返しとばかり。
(ぼくが怒っているんだってこと…)
顔を見れば一目で分かるだろうに、ハーレイときたら、謝りさえもしなかった。
謝るどころか、放っておいて知らんぷり。
涼しい顔で紅茶のカップを傾け、ケーキも「美味いぞ」と頬張って。
負けてたまるか、と膨らませた頬。
こんな意地悪な恋人なんかに、ぼくは絶対負けないんだから、と。
(ずっと膨れてたら、根負けしてキス…)
そういうことも起こりそうだ、と思って頬っぺたを膨らませるのに。
紅茶もケーキも我慢でプンプン怒っているのに、ハーレイも負けていなかった。
暫くそのまま放っておかれて、それから伸びて来た両手。
とても大きな褐色の両手、それがペシャンと潰した頬っぺた。…顔の両側から。
「それじゃ紅茶も飲めんしな?」と、言葉だけは親切なのだけど。
紅茶が冷めてしまう前にと、美味しいケーキも食べられるようにと、心遣いは優しいけれど。
(言ってることと、態度が全く違うってば…!)
頬っぺたを見事に潰した後には、しげしげと眺められたから。
不満たらたらの、自分の顔を。
しかも頬っぺたを押し潰されて、きっとヘンテコになった筈の顔を。
鳶色の瞳にまじまじ見られて、「ハコフグだな」と酷い言葉で評された。
そのハコフグは、ハーレイの恋人の顔なのに。
ハーレイが自分で頬っぺたを潰して、ハコフグにしてくれたのに。
(最初から、そのつもりなんだから…!)
頬っぺたを潰しにかかる前から、ハーレイは「ハコフグ」を見るつもり。
そうでなくても膨れた時には、「フグだ」と言ってくれるから。
頬っぺたを潰したらハコフグなことも、ハーレイは知っているのだから。
(ぼくはホントに怒ってるのに…!)
キスを断られて膨れているのに、ハーレイは意にも介さない。
いつも「駄目だ」と断られるキス、チビの自分は膨れっ面が精一杯。
その顔だって、今日みたいにペシャンと潰される。
甘くて優しいキスの代わりに、大きな両手で潰される顔。
それを眺めて笑うハーレイ、「ハコフグだよな」と。
怒って唇を尖らせていても、気にせずに。
どんなにプンスカ怒ってみたって、少しも謝らないハーレイ。
酷すぎるよ、と思うけれども、今日もペシャンとやられた頬っぺた。
ハーレイに観察されて「ハコフグ」呼ばわり、貰えなかった唇へのキス。
前の生から恋人同士で、奇跡みたいに会えたのに。
ずっと遥かな時の彼方で、二人で行こうと夢見た地球。
あの頃には無かった青い地球の上に、生まれ変わって来られたのに。
(ちゃんと今でも恋人同士で…)
ハーレイは自分を抱き締めてくれて、「俺のブルーだ」と言ってはくれる。
結婚できる年になったら、結婚しようと約束だって。
(ハーレイのお父さんとお母さんには…)
いつか結婚する相手だから、と話してくれたのがハーレイ。
お蔭で貰えた、夏ミカンの実のマーマレード。
(パパとママは何も知らないから…)
美味しく食べているのだけれども、金色をしたマーマレードは自分のもの。
まだ会ったことがないハーレイの両親、その人たちからの贈り物。
「新しい家族が増えた」と喜んでくれた優しい人たち。
結婚式も挙げない内から、会いに行ってもいない内から。
(…ちゃんと話をしてくれたんなら、ぼくにだって…)
もっと恋人らしくしてよ、と頼んでみたって、駄目らしい。
ハーレイが勝手に決めた約束、それが小さな自分をキュッと縛るから。
前の自分と同じ背丈に育たない内は、キスは貰えない決まりだから。
(だけど、例外…)
どんな決まりにも例外はあるし、約束だって似たようなもの。
その時々で変わるものだし、場面に合わせて変わりもする。
キスの決まりもそれと同じで、ちょっと変わっても良さそうなのに。
普段は駄目でも、たまにはキスを贈ってくれても…。
(駄目ってことはない筈だよね?)
そう思うから、頑張る自分。
何度頬っぺたを押し潰されても、フグやハコフグだと笑われても。
けれど失敗続きの日々。
今日もやっぱりフグでハコフグ、貰えなかったハーレイのキス。
優しいキスをくれる筈の唇、それは笑いを湛えていただけ。
頬っぺたを潰されて怒る自分を観察していた、恋人の顔の定位置で。
「唇は此処」と神様が決めている場所、其処でニヤニヤ、それは可笑しそうに。
(…前のぼくは膨れてないけれど…)
膨れっ面をした覚えは無いのだけれども、もしも膨れていたならば。
前のハーレイに向かって「ケチ!」と怒っていたなら、きっと笑いはしない唇。
ハーレイはとても酷く慌てて、「すみません」と詫びてくれただろう。
いったい何が気に障ったかと、平謝りで。
(前のハーレイなら、きっとそうだよ…)
恋人の頬っぺたを潰しはしないし、ニヤニヤ笑って観察もしない。
大急ぎで詫びて、言葉だけでは済まなくて…。
(もう絶対に、お詫びのキス…)
それを贈ってくれた筈。強い両腕でギュッと抱き締めたりもして。
膨れっ面になった恋人、前の自分の機嫌が元に戻るまで。
「もういいから」と、笑みを浮かべてハーレイのことを許すまで。
(…前のぼくだと、そうなるってば…)
分かっているから、もう悔しくてたまらない。
同じ唇は其処にあるのに、チビだから貰えない唇へのキス。
ハーレイの唇がキスをくれるのは、いつでも頬と額だけ。
前の自分なら、いくらでもキスを貰えたのに。
「ハーレイのケチ!」と膨れてやったら、膨れっ面をやめるまでキスを幾つも。
きっと困った顔のハーレイ、「申し訳ありませんでした」と。
「どうか機嫌を直して下さい」と、「キスで駄目なら、お菓子を貰って来ましょうか?」とか。
前の自分も、甘いお菓子が好きだったから。
甘いお菓子は幸せな気持ちを連れて来るから、幸せな気分で食べていたお菓子。
前のハーレイも知っていたから、キスで駄目ならお菓子の出番。
そんな具合にキスを貰えたのが前の自分。
キスで機嫌が直らないなら、きっとお菓子もつけて貰えた。
けれどもチビの自分の場合は、お菓子を理由に潰される頬。…ハーレイの手で。
「そのままじゃ菓子が食えんだろう」と、親切に。
大きな両手でペシャンとやられて、可笑しそうに笑うハーレイの顔。
キスをくれない唇だって、一緒になって笑っている。
ハーレイの顔にくっついて。
神様が決めた唇の居場所、其処でニヤニヤ、悪戯っぽい笑みを浮かべて。
(…なんで、あんなに意地悪なわけ?)
同じハーレイの唇なのに、と悔しい気分。
優しいキスをくれる唇、それはハーレイの顔にあるのに。
前の自分の記憶そのまま、愛おしい人が顔に持っているのに。
(…ハーレイもケチだけど、唇もケチ…)
ハーレイと一緒になってケチだよ、と唇までケチに思えてしまう。
自分にキスをくれる代わりに、笑うから。
ハーレイの顔にくっついたままで、「ハコフグだよな」などと言うから。
(あの唇も、ケチで意地悪…)
前ならもっと優しかったよ、と膨れてみたって、無駄なこと。
此処にハーレイがいたとしたなら、きっと両手が伸びて来るから。
「そんな顔だと、寝られないだろう」と、言葉だけはとても親切に。
ゆっくりぐっすり眠れるようにと、ペシャンと潰してくれる頬っぺた。
(これでぐっすり寝られるな、って…)
あの唇が言うのだろう。さも可笑しそうに、笑いをたっぷり含んだ声で。
「ハコフグはもう寝る時間だぞ」と、「しっかり寝ろよ」と、子供扱いして。
(…ハーレイも唇も、とってもケチ…)
それに意地悪、と悔しいけれども、決まりは決まり。チビの自分は貰えないキス。
だからプンスカ怒って膨れて、ハーレイの唇にも怒ってやる。
「君の唇も、うんとケチだよ」と、「前よりもケチになったってば」と…。
君の唇・了
※ブルー君が貰い損なったキス。膨れても、頬っぺたを潰されただけ。「ハコフグだな」と。
唇までケチになっちゃった、とケチな恋人に膨れっ面。キスはまだまだ貰えませんねv