(あれは性分なんだよなあ…)
ついつい、やってしまうんだ、とハーレイが浮かべた苦笑い。
そろそろ寝ようと入った寝室、ふと先刻の自分の姿を思い返して。
いつもの寛ぎの一杯。愛用のマグカップに熱いコーヒー。
楽しんだ後は風呂の時間で、上がって来たら明日に備えて寝るのだけれど。
何をするわけでもないのだけれども、向き合ってしまう鏡の自分。
風呂に入ったら髪も洗うから、タオルでゴシゴシ拭き取る水気。
パジャマが濡れない程度に拭いたら、鏡を覗き込みながら…。
(なんだって、真面目に整えるんだか…)
後は寝るだけ、誰とも顔を合わせないのに。
オールバックに整えてみても、ベッドに入って眠ったら…。
(朝には乱れているってな)
そうクシャクシャにはならないけれども、何処かがピョコンと跳ねたりもする。
朝になったら洗面台の鏡に向かって、それをきちんと整える自分。
仕事のある日は、「身だしなみってヤツは大事で…」と考えながら。
休日だって、「誰かに会ったら大変だしな?」と、起きるなり。
ジョギングにしても、ジムに行くにしても、きっと誰かに出会うから。
顔見知りではない人にしたって、みっともない姿は見せられない。
(だから朝なら分かるんだが…)
夜にもやってしまうってのが、と自分の頭にやってみた右手。
ピタリと撫で付けられている髪、いつも通りのオールバックに。
パジャマでなければ、玄関にも出られそうなほど。
(まったく、俺というヤツは…)
妙な所で律儀なんだ、と本当に苦笑するしかない。
こんな時間から何処に行くんだと、「第一、服がパジャマなんだが?」と。
流石にパジャマで出られはしない家の外。チャイムが鳴っても、この姿では…、と。
そうは思っても、こういう性分。
子供時代は放っておいた髪だけれども、学生時代も多分、似たようなものだけど。
「朝にきちんとすればいいんだ」と、夜はおかまいなしだったけれど。
いつの間にやら、整える癖がついていた。
きっと教師になった頃から、今の髪型になるずっと前から。
(キャプテン・ハーレイ風の方なら、まだ分かるんだが…)
前の俺の記憶が身体の何処かに染み付いていて…、と思ったはずみに気が付いた。
「それじゃないか?」と。
風呂上がりで寝るだけの時間になっても、誰が見なくても整える髪。
その習慣は前の自分が持っていたもので、今の自分に引き継がれたもの。
記憶が戻ってくる前から。
前の自分は誰だったのかを、思い出すよりずっと前から。
(…なんたって、あっちは三百年で…)
そのくらいにはなる筈なんだ、と折ってみる指。
白い鯨ではなかった船で、燃えるアルタミラを後にしてから流れた年月。
アルテメシアで人類軍の前に浮上した時、三百年はとうに経っていた。
其処から宇宙を放浪した後、ナスカで四年で、更に地球まで。
(…キャプテンになるまでに、十年もかかってないからな?)
つまり三百年を超えているだろう、キャプテン歴。
「キャプテンはきちんとしていなければ」と、いつから思い始めたか。
厨房からブリッジに移った頃には、身だしなみなど気にしていない。
とにかくキャプテンの役目が優先、「早く操舵を覚えねば」と。
けれど制服が出来た頃には、もう間違いなく気にしていた。
マントと肩章までついていた服、あの制服では髪に寝癖は許されない。
(毎朝、鏡に向かってキッチリ…)
オールバックに整えていたし、休憩時間も覗いた鏡。
「変になってはいないだろうな?」と。
キャプテンは船の模範で「顔」だし、だらけた格好では駄目だ、と。
あれのせいだな、と生まれた確信。
今の自分に記憶が無くても、前の自分が三百年も真面目に続けた習慣ならば…。
(染み付いちまって、同じ髪型でなくてもだ…)
キャプテン・ハーレイ風ではなかった頃でも、整えようとするだろう。
学生時代が終わったら。…教師になって、社会に出たら。
(それで間違いなさそうだぞ)
今の俺より、前の俺の方が社会経験ってヤツが長いわけで、とパジャマで腕組み。
「あいつにはとても敵わんな」と。
シャングリラの中だけが世界の全てで、外の世界に出てゆかなくても、社会は社会。
皆の手本になるべきキャプテン、あらゆる場面で。
制服を常にきちんと着こなし、髪型だって手を抜かない。
朝にピョコンと跳ねていたなら、しっかり直して外に出るべき。
でないと仲間が「あれでいいんだ」と思うから。
「キャプテンだって寝癖がついたままだし、肩書きが無いなら別にいいよな?」と。
一事が万事で、たかが寝癖でも侮れないのが船の中。
それでいいのだと皆が思えば、たちまち「だらけた船」になる。
寝癖どころか、寝起きの顔を洗いもしないで、持ち場に行く者が出るだとか。
制服をきちんと着込む代わりに、着崩れた格好で歩き回るのが普通になるとか。
(そうなってからじゃ、遅いんだ…)
楽な方へと流れてしまえば、引き締めるのは難しい。
何度も怒鳴って叱り付けても、足並みが揃いはしないから。
誰もが自分の周りを見回し、「この程度ならば、皆、やっている」と思うから。
そうならないよう、気を引き締めていたキャプテン・ハーレイ。
「皆の手本にならねば」と。
髪といえども手抜きは駄目だと、気が付いた時に整えるべき、と。
いったい何度確かめたろうか、一日の内に。
朝はもちろん、食事の時やら、休憩でブリッジを離れる度に。
乱れていたなら直ぐに整え、「これでいいな」と眺めた鏡。
どうやらそれだ、と解けた謎。髪を整えたがる習慣。
制服を着ていた前の自分は、とっくにオールバックだったのだけれど…。
(そいつで長くやっていたから、今の俺に生まれて来てもだな…)
教師になって社会に出るなら、きちんとせねばと思ったのだろう。
柔道部や水泳部の指導をしたって、それが終われば整える髪。鏡に向かって、元通りに。
オールバックではない髪型でも。
キャプテン・ハーレイ風でなくても、「きちんとしよう」と、前の自分の習慣で。
(そんなトコまで引き摺ってたか…)
別に困りはしないんだがな、と考える今の自分の習慣。
「髪はきちんと」と考えることは「いいこと」なのだし、どちらかと言えば有難い。
そういう習慣が元からあるなら、何も努力は要らないから。
「お前は社会に出たんだろうが」と、自分自身を叱咤しなくて済んだのだから。
学生気分から心機一転、教師の職に就いた途端に、自分の中身も変身して。
(実に有難いと思うわけだが、しかしだな…)
寝る前にまで整えなくてもいいだろう、と頭が下がる前の自分の律義さ。
如何にキャプテン・ハーレイといえど、眠る時には眠るもの。
夜の夜中に通信が来たら、どう考えても「寝起き」だから。
寝る前に髪を整えていても、「どうした?」と起きたら、きっと乱れているだろうから。
(それでもキッチリ整えてたとは、前の俺はだ…)
なんて真面目な奴だったんだ、と自分に感心したけれど。
「流石にキャプテン・ハーレイだな」と、ただの教師とは大違いだと思ったけれど…。
(…ちょっと待てよ?)
そうじゃなかった、と頭に浮かんだブルーの顔。
今の小さなブルーではなくて、ソルジャー・ブルーだった方。
(…原因は、あいつ…)
あいつが恋人だったからだ、と気付いた「寝る前も整える」髪のこと。
恋人の前でグシャグシャの髪では、少しも様にならないから。
たとえブルーが「それでいいよ」と言ったとしたって、自分が納得できないから。
(うーむ…)
それで寝る前も直すのか、と両手で軽く撫でてみた髪。
「今もきちんとしているようだ」と、「そういや、前もそうだった」と。
青の間にしても、キャプテンの部屋での逢瀬にしても、洗った後には整えた髪。
ブルーに笑われないように。…この髪型で向き合えるように。
(その習慣まで、俺に染み付いてるってか?)
まだ当分は、そっちの出番は無いんだが…、と小さなブルーを思い浮かべる。
寝る前の姿を見せられる時は、まだまだ先になるんだが、と。
(しかし、まあ…)
いつかは出番が来るんだしな、と湛えた笑み。
今は単なる習慣でいいと、「誰も見てくれなくてもな?」と。
きっといつかは、育ったブルーがこれを目にするだろうから。
「ハーレイは少しも変わらないね」と、「いつもきちんとしてるんだから」と。
その日が来るのが待ち遠しいな、と思うけれども、まだ先でいい。
ブルーには幸せに生きて欲しいし、子供時代をゆっくり満喫して欲しいから。
当分はチビのブルーでいいから、小さなブルーを眺めているのも、幸せな時間なのだから…。
俺の髪型・了
※寝る前にも律儀に髪を整えるのがハーレイ先生。文字通り「後は寝るだけ」でも。
キャプテン・ハーレイだった頃の習慣らしいですけど…。寝る前にきちんとするのは特別v