(今日のあいつは後ろ姿、と…)
それでお別れだったっけな、とハーレイが思い浮かべた恋人。
夜の書斎でコーヒー片手に、頭に描いた小さなブルー。
今日はブルーの家に寄れなくて、学校から真っすぐ帰って来た家。
「こういう日には…」と買い出しなどはしたのだけれど。
最初から決まっていた会議。中身からして、長引きそうだということも。
だから帰りにブルーの家には出掛けられない、そういう日。
(そしたら、あいつに会っちまってだ…)
授業が終わった後の放課後、バッタリ出会ってしまったブルー。
会議の前に柔道部に顔を出しておこう、と歩いていたら。
「ハーレイ先生!」とブルーの笑顔が弾けたけれども、今日は家には行けないから…。
ほんの僅かな立ち話。
まずは「すまん」と謝ってから。
「今日はお前の家には行けん」と、「これから会議があるもんでな」と。
ブルーの顔は曇ったけれども、健気に「いいえ」と答えてくれた。
「先生の用事が大切ですから」と、「それに、ぼくならかまいません」とも。
来られないことが分かっているなら、もう充分だと微笑んだブルー。
「今日は待たなくていいですから」と、「ガッカリすることもないですから」と。
いつもはひたすら待っているらしい、愛おしい人。
もうすぐ訪ねて来てくれるかと、何度も窓の方を眺めて。チャイムの音にも耳を澄ませて。
予定があると分かっているなら、今日のブルーは待たなくていい。
残念だとは思うけれども、後で「来なかった…」と肩を落とすより、よっぽどいい、と。
そう話してから、「それじゃ、先生、さようなら!」とブルーはペコリと頭を下げた。
「柔道部の方に行かれるんですよね」と、「引き留めてすみませんでした」と。
それに応えて「おう、気を付けて帰れよ」と軽く振ってやった手。
帰ってゆくブルーを見送った。たまに後ろを振り返るのを。
本当だったら、柔道部に急ぐのだけれど。
せっかくブルーに出会えたのだし、今日はもうこれでお別れだから…。
(あいつの姿が見えなくなるまで…)
見送りたいと思ったのだった、小さな背中を。
振り返っては、「もういいですよ」という風に頭を下げるブルーを。
通学鞄を提げたブルーは、校門の方へと歩き続けて、門の所でまた振り返った。
きっと目が丸くなっていたろう、「なんでハーレイ、まだいるわけ?」と。
急いでいるんじゃなかったのかと、それならもっと話していれば良かったかも、と。
(生憎と、そうじゃないってな)
ブルーと立ち話が長く続いても、結果はやはり同じこと。
今日はこれでもう会えない恋人、見送りたくもなるというもの。
小さな後ろ姿でも。
どんどん遠くなる背中でも、門の所では表情さえも分からなくても。
(早く帰れよ、って…)
大きく振った手、ブルーもお辞儀して出て行った。…門の外へと。
(だから最後は後ろ姿で…)
ブルーの顔は見ていない。
いくらブルーがこちらの方を気にしていたって、後ずさりでは出てゆけないから。
こちらに顔を向けたままでは、とても門から出られないから。
(…そういうお辞儀もあったらしいがな?)
人間が地球しか知らなかった頃の、王侯貴族の間の作法。
王や王妃に背中を向けては失礼だから、と後ずさりながら部屋を出てゆく。
上手く出来ないと転んでしまうし、貴族たちには必須の練習。
(特にイギリスのレディーだったか?)
社交界デビューに向けての特訓、ドレスにくっついた長いトレーンを踏まないように…。
(後ろは見ないで、前を向いたままで…)
お辞儀した後は後ずさり。
失敗したなら恥になるから、来る日も来る日も猛特訓で。
けれど、そういう貴族とは違う小さなブルー。
後ずさりで出てゆく作法があった時代のことすら、きっと知らない。
それに自分も王ではないから、「俺に背中を向けるヤツがあるか!」と怒りもしない。
ブルーが背中をこちらに向けて、「さよなら」と門を出て行っても。
門の向こうへ消えた背中を見送れただけで、充分、満足。
(あいつを見送った後は、体育館まで…)
突っ走る羽目になったけれども、気にしない。
ブルーを見送ることが大事で、そういう気分だったのだから。
(でもって、今日は背中にお別れ…)
最後に見たのは後ろ姿だ、と思った所で掠めた思い。
遠く遥かな時の彼方で、自分はそれを見送ったのだ、と。
これが最後だとブルーの背中を、今よりも大きかった背中を。
(大きいと言っても、俺よりはずっと華奢だったがな…)
前の自分が愛した恋人、ソルジャー・ブルーと呼ばれた人。
去ってゆく背中を、ただ呆然と見送っていた。
多分、自分の表情は普通だったろうけれど。普段通りの筈だったけれど。
(キャプテンの俺が動揺しちまっていたら…)
ブルーの思いが無駄になるから、平静なふりを装った。
けれども心の中は空っぽ、あるいは凍り付いたよう。
ブリッジを出てゆくブルーの背中を、自分は二度と見られないから。
違う場所でも見られはしないし、二度とブルーに会えないから。
(…頼んだよ、と来たもんだ…)
ブルーが声に出した言葉は、たったそれだけ。「頼んだよ、ハーレイ」と。
だから仲間は何も知らない、ブルーが何処へ行くのかも。
(あいつ、死ぬつもりだったのに…)
それを微塵も見せずにいたから、ブリッジの仲間は騙された。
「ジョミーとナスカに行くだけなのだ」と、「残った仲間を説得しに」と。
皆は騙され、ジョミーも疑わなかったけれども、前の自分は知っていた。
ブルーが死にに行くということ、二度と戻りはしないことを。
(俺だけにコッソリ伝えやがって…)
なんという残酷な仕打ちだろうか、恋人が死に赴く姿を見送らせるとは。
ソルジャーだったブルーらしいと思うけれども、恋人としては酷すぎる別れ。
腕を掴んで引き留めたいのに、そうすることは出来ないから。
ブルーの背中が遠くなるのを、ただ見ているしかなかったから。
(まったく、あいつは…)
なんてヤツだ、と思い出しても辛くなる。
「俺の気持ちも考えないで」と、「あいつらしいとは思うんだがな」と。
よくも耐えた、と前の自分の心の強さにも呆れるばかり。
取り乱しもせずに見送ったから。…「ソルジャー!」と呼び止めさえせずに。
一言、声を掛けていたなら、きっとブルーは振り返ったろうに。
「なんだい?」と、「ハーレイ、ぼくに用事でも?」と。
呼び止めていたら、聞けたろう声。
もう一度、見られただろう顔。
誰よりも愛した人の表情、それが偽りの笑みだったとしても…。
(見ることくらいは出来たんだ…)
これで最後だ、と自分の瞳に焼き付けること。
ブリッジの誰が気付かなくても、ブルーの顔には「さよなら」の笑みが浮かんでいても。
(あいつだったら、笑うくらいは…)
きっとしたのだ、と思うソルジャー・ブルー。
船の仲間を騙すためなら、最後に笑うことだって。「すぐ戻るよ」と嘘をつくことも。
けれど、呼び止めなかった自分。
もしも呼び止めたら、抑えが利かなくなるだろうから。
キャプテンの立場をすっかり忘れて、「いけません!」と叫ぶだろう自分。
「このシャングリラに残って下さい」と、「そのお身体では外出禁止です!」と。
決してしてはならないこと。
前のブルーが残した言葉と、意に背くこと。
(…だから見送るしかなくて…)
動けないまま、声も出せずに前のブルーを見送った。
二度と戻りはしない恋人、その人がこちらに向けた背中を。
死へと赴く人の背中が、紫のマントが消えてゆくのを。
(…あの時も背中だったんだ…)
俺が最後に見ていたブルーは後ろ姿だ、と蘇った記憶。
今日のブルーと全く同じに、前のブルーは後ろ姿で自分の前から永遠に消えた。
白いシャングリラに戻りはしないで、メギドへと飛んで。
それきり失くした愛おしい人、もう戻っては来なかったブルー。
(…そいつを思えば、今の俺はだな…)
なんて幸せ者なんだ、と零れた笑み。
今日もブルーを見送ったけれど、小さな背中だったのだけれど。
それが別れになったけれども、ブルーは家に帰っただけ。
明日になったらまた会えるのだし、いつかは二人、結婚式を挙げて…。
(一緒に暮らせるんだしな?)
同じ背中でも大違いだ、と思う自分が見送った背中。
「あいつの背中には違いないんだが、前のあいつとは違うしな?」と。
後ろ姿で消えて行っても、ブルーは自分の家に帰っただけなんだから、と…。
あいつの背中・了
※ハーレイ先生が見送った、ブルー君の背中。名残惜しくて見送り続けたようですけれど…。
前のハーレイも同じに見送ったブルー。同じ背中でも、今は幸せに見送れますよねv