(平均、一分…)
そうだったっけ、とブルーが思い出したこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
さっきまで浸かっていたお風呂。お湯はたっぷり、大好きな時間。
のぼせない程度に長く浸かるのが好きで、今日もゆっくり浸かったお風呂。
手足を伸ばして、のんびりと。
ウッカリ滑って沈まないよう、その辺は加減していたけれど。
(滑ったら、お湯の中にドボンで…)
頭の天辺まで、お湯の中。
小さい頃から何度もやっているのが失敗、お風呂で潜る趣味は無いのに。
弱い身体では、そうそう出来ない水遊び。元気な子ならば、夏はお風呂で…。
(潜ったりしてるらしいけど…)
プール代わりだ、と潜るのがお風呂。家にあるような子供プールより深いから。
けれど自分はしていない遊び、お風呂のお湯に頭まで浸かってしまう時といったら…。
(バスタブの中で滑った時だけ…)
もうちょっとだけ、と足を伸ばして滑るとか。
肩までお湯に浸かった状態、其処でツルッと滑るだとか。
とにかく自分は潜らないお風呂、ゆったり浸かって部屋に戻ったら頭にポンと浮かんだこと。
今日の新聞、「海女」と呼ばれる人たちの記事が載っていた。
人間が地球しか知らなかった時代の、日本の漁業の方法の一つ。
酸素ボンベも何も使わずに、海に潜って貝などを獲っていた女性たち。
地球が滅びに向かった時には、既に失われていた職業。
海に潜っても、貝も魚もいないから。…獲物は何もいなかったから。
けれど今では、ちゃんと復活しているらしい。
せっかくだからとサイオンは抜きで、昔と全く同じに「素潜り」。
シールドは無しで、肺の中にある酸素だけを使って潜る人たち。
彼女たちが潜る時間の平均、それが一分。
一分間で海の底まで行って戻って、獲物も獲って来るというから凄すぎる。
前の自分はサイオンを使って、自在に海に潜ったけれど。
アルテメシアの海の底にも潜んだけれども、素潜りなどはしていない。
平均一分、そんな時間を潜ってはいられなかっただろう。…サイオン無しでは。
(今のぼくでも、絶対に無理…)
お風呂でドボンと沈んだだけでも大変だから、と思い返す何度もやった失敗。
何の準備もしていないから、沈んだ途端にお湯を吸い込んだりもして…。
(ゲホゲホ、ゴホゴホ…)
派手にむせていたら、外の廊下を通り掛かった父や母が覗きに来ることも。
いったい何をしでかしたのかと、廊下まで咳が響くなんて、と。
(叱られたりはしないけど…)
なんともバツが悪いもの。お風呂で溺れかかったなんて。
海女が潜るという一分どころか、ほんの一瞬、ドボンと沈んだだけなのに。
プールに慣れた子供だったら、同じような目に遭ったって…。
(きっと冷静…)
丁度いいや、と目を開けたりもするのだろう。
沈んだからには潜って観察、家のお風呂でプールの気分。
(息が続く間は潜ったままで…)
色々楽しんでいそうだけれども、自分にはまるで出来ない相談。
「溺れちゃうよ!」と慌てて顔を出す水面。そしてゲホゲホ、ゴホゴホと咳。
プールの授業も休みがちだし、入った時にも制限時間つきの身だから。
(潜水なんか、上手くなるわけないってば…)
練習自体をしていないのでは、結果が出せるわけがない。
今のハーレイのようにはいかない、チビの自分と水との関係。お湯にしたって。
(ハーレイだったら、一分間でも…)
潜れそうだよね、と思い浮かべる恋人の顔。
水泳はとても得意らしいし、海に潜った話も聞いた。
(…ハコフグに会ったことだって…)
ハーレイにつけられてしまった渾名が「ハコフグ」、膨れっ面が似ているからと。
海に潜ってハコフグと出会っていたハーレイなら、一分間でも潜れるのだろう。
しかも一分は平均時間なのだから…。
(もっと長い時間、潜っていられる人だって…)
いるのだろうし、ハーレイも潜れるかもしれない。
仕事にしている海女ではなくても、海に潜ってあれこれ獲るのは好きそうだから。
(…一分かあ…)
そんなに長く止められるかな、と思った呼吸。
海女たちは一分間で潜って、獲物を探して、また水面に戻るらしいし…。
(泳ぎながらで一分だよ?)
運動すれば、増える酸素の消費量。静かに座っている時よりも。
体育の授業で走った時には実感するから、ますます凄いと思う海女。…ハーレイだって。
今の自分も、前の自分も、きっと一分も呼吸を止めてはいられない。
(…一分だよね?)
時計の針が此処から此処まで、と眺める時計。秒針つきの目覚まし時計。
一秒刻みで回ってゆく針、それがクルリと一周するのが一分間。
どう考えても無理そうだけれど、ちょっと試してみたい気分。
此処なら海でもお風呂でもなくて、自分の部屋の中だから。
ベッドに座っているだけなのだし、酸素が切れても、その場で息を吸い込めるから。
(…一分間…)
出来るかどうか試してみよう、と深呼吸。
いきなり息を止めるよりかは、何度か大きく呼吸してから。
その方が身体が慣れていそうだし、肺も分かってくれそうだから。
何度も息を吸ったり吐いたり、そろそろいいか、と止めた息。
胸一杯に、大きく息を吸い込んで。
もうこれ以上は入らないよ、と思うくらいにパンパンに肺を膨らませて。
其処でエイッと息を止めたら、出来るのは息を少しずつ吐くことだけ。
使い終えた酸素を吐き出すのならば、全く問題ないだろうから。
目標の時間は一分間。
少しずつ、少しずつ息を吐きながら、時計の針を睨んだけれど。
秒針が回るのを見詰めたけれども、ノロノロ回ってゆくだけの針。
(…今で二十秒…)
あと四十秒もあるんだけれど、と早くも失くしてしまった自信。
とてもそんなに持ちはしないと、今までの時間の二倍も息を我慢だなんて、と。
(…三十秒…)
頑張れ、と両手で押さえた口と鼻。
一分間は耐えてみたいし、出来ることなら頑張りたい。
(もうちょっと…)
半分までは来たんだものね、と思ってみたって、気持ちと身体は別のもの。
やっぱり無理だ、と耐え切れないで、大きく吸ってしまった息。
途端に身体は大喜びで、肺の細胞が生き返ったよう。「やっと酸素を貰えたよ」と。
(…一分なんて…)
長すぎるってば、と乱れた呼吸を整えていたら、不意に頭を掠めたもの。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が聞いた声。
正確に言えば音声だろうか、あれは肉声ではなかったから。
あんな所に、女性は多分、いなかったから。
(…メギドシステムは発射体制に入りました、って…)
当該区画で作業中の者は退避するよう、促す声が何度も聞こえた。
急かされるように急いだ自分。
第二弾が発射されてしまったら、白いシャングリラはおしまいだから。
ふらつく足で歩き続けて、やっとの思いで辿り着いた制御室に繋がる通路の入口。
あの時、聞いた女性の声は…。
(発射まであと一分です、って…)
最終シークエンスに入ったメギド。
一分の間に止められなければ、何もかも全て終わってしまう。
ミュウの歴史も、白いシャングリラも、赤いナスカも。
あと一分しか無くなったのだ、と気付かされた自分の持ち時間。
その間に制御室まで入って、コントロールユニットを破壊するのが自分の務め。
(…背中から撃たれちゃったけど…)
弾はマントが防いでくれた。
けれど防げなかった衝撃、倒れ伏しても立ち上がった自分。
兵士たちを一撃の下に倒して、制御室へと入り込んだけれど…。
(あそこでキースが…)
後ろから来て、向けられた銃。
何発も撃たれて、それでも耐えた。メギドを破壊するためだからと、その一念で。
(最後に右目を撃たれてしまって…)
視界が真っ赤に塗り潰される中で、床へと叩き付けたサイオン。
わざと招いたサイオン・バースト、それでメギドを破壊したものの…。
(…ハーレイの温もり、失くしちゃってた…)
最後まで持っていたいと願った、右手に残っていた温もりを。
ハーレイと自分を結ぶ絆を、それさえあったら、けして一人ではなかったものを。
(メギドの発射は…)
第二弾が発射されたのはきっと、その後だろう。
自分は何一つ覚えていないけれども、照射率は下がっていたそうだから。
制御室が無事なままだったならば、第一弾と同じ炎が解き放たれた筈なのだから。
(…あれだけのことが一分間…)
たった一分、さっき自分が呼吸を止めようと頑張った時間。
やろうと挑んで耐え切れなくて、息を吸い込んで「無理だよ」と思っていたけれど…。
(前のぼくの最後の一分間…)
ほんの一分しか無かったのか、と気付いた前の自分のこと。
息絶えるまでは、もう何秒か残っていたかもしれないけれども、あれも一分。
(…今のぼくだと、息を止めるのも無理な時間で…)
なんと重みが違うのだろうか、どちらも同じ一分なのに。
前の自分の最後の戦い、今の自分が息を止めようとしていた時間。
ホントに全然違うんだけど、と見詰めてしまった時計の秒針。
同じ時間だけど、まるで中身が違うみたい、と。
(…一分あったら、海の底まで行って戻って…)
獲物も獲って来られる時代が今らしい。
自分はとても潜れなくても、ハーレイならばきっと出来そうだから…。
(うんと幸せな一分だよね?)
いつかチョコンと海辺に座って、ハーレイが上がって来るのを待つ。
もう戻るかな、とワクワクしながら待つ一分。
何が獲れるかと、獲って来たなら、それをどうやって食べようかと。
(サザエの壺焼き…)
前にハーレイと約束したから、一分間を楽しもう。
「獲って来たぞ」とサザエを手にして、ハーレイが海から顔を出すまで。
今はそういう時代なのだし、同じ時間でも、幸せに使える世界だから。
同じ一分でも違うんだよ、と零れる笑み。
「同じ時間だけど、うんと幸せ」と、「同じ一分でも、中身がまるで違うんだから」と…。
同じ時間だけど・了
※ブルー君が息を止めてみようと、頑張ってみたのが一分間。無理でしたけれど。
前のブルーは、同じ一分で…。どちらも同じ一分だと気付くと、今の幸せが分かりますよねv