(今日はハーレイ、来てくれなかったし…)
古典の授業も無かったし、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
そのハーレイが仕事の帰りに寄ってくれたら、天にも昇る心地だけれど。
もう嬉しくてたまらないけれど、寄ってはくれなかった今日。
おまけに古典の授業も無かった。
今のハーレイは古典の教師で、授業のある日は教室で会える。
(学校じゃ、先生と生徒だけれど…)
それでもハーレイの姿が見られて、大好きな声も聞けるのが授業。
運が良ければ「ブルー君!」と、当てて貰える時だって。
質問されたら気分は最高、教科書を音読するだけにしても…。
(ハーレイ、こっちを見てくれるから…)
他の授業より、ずっと張り切るのが古典の時間。
けれども今日は古典は無しで、明日もやっぱり無いわけで…。
(…ハーレイ、明日も会えないかも…)
学校でも、ぼくの家でも駄目かも、と悲しい気持ち。
古典の授業が無い日の学校、そういう時だとハーレイに会えても挨拶程度。
ツイていたなら、ほんの少しの立ち話。
それでおしまい、たったそれだけ。
もっとハーレイの側にいたいのに、姿を眺めていたいのに。
今は補聴器を通さずに聞ける、あの温かな声だって、もっと。
(…なんで古典の授業も無いわけ?)
ホントに酷い、と眺めた壁のカレンダー。「あんまりだよ」と。
今日の日付けが此処だから…、と意地悪なカレンダーを睨むしかない。
次に古典の授業がある日は此処なんだから、と。
なんとも悲しい、今日という日と、それから明日と。
古典の授業は明後日まで無くて、明日もハーレイが家に来てくれなかったら…。
(明後日までは会えないまま?)
立ち話が出来たらマシな方なの、とカレンダーを見ていてハタと気付いた。
「今日は何日だったっけ?」と。
確かにこの日、と頭から思っていたけれど。
日付も曜日も合っているのだと、すっかり信じていたけれど。
(…今日の宿題…)
帰って直ぐにやった宿題、それを出したのは歴史の先生。
歴史の宿題が今日出たのならば、今日の曜日は…。
(嘘…!)
間違えちゃってた、と今になって気付いた勘違い。
宿題をせっせとやっていた時は、ちゃんと覚えていた筈なのに。
もちろん学校から帰った時にも、曜日も日付も勘違いしてはいなかったのに。
(何処で間違えちゃったわけ…!?)
信じられない、とベッドから下りて駆けて行った勉強机の所。
明日も学校に持って行く鞄、その蓋を開けて驚いた。
(…やっちゃってる…)
もう間違えていたんだよね、と分かる証拠がその中に。
「明日は古典の授業は無いよ」と思った通りに、きちんと詰められた教科書やノート。
古典の教科書も、ノートも入っていないのだけれど…。
(ハーレイの授業、あるってば…!)
ぼくが間違えちゃっただけ、と慌てて引っ張り出す中身。
「この教科書は要らないから!」と、「このノートだって要らないよ」と。
間違えていた時間割。
いったい何処で勘違いしたか、曜日を先へ飛び越えていた。
二日続けて古典の授業が無い所まで。
まだその曜日は来てもいないのに、自分の頭の中だけで。
大慌てで直した時間割。
きちんと古典の教科書を入れて、それにノートも。
(…危なかったよ…)
もう少しで忘れて行く所、と情けない気分。
明日はハーレイの授業があるのに、もしも気付いていなかったなら…。
(学校に着いて、鞄を開けて…)
どの段階で気付くのだろうか、自分が犯した間違いに?
全く違った教科書やノート、それを揃えて学校に来てしまったことに。
(早く気付けばいいけれど…)
朝のホームルームが終わった後にも、まるで気付いていなかったならば大惨事。
一時間目は教科書が無くて、隣の席の子に頼んで見せて貰うしかない。
ノートを取るのも、その授業のは持って来ていないわけだから…。
(他の科目のノートに書くしか…)
方法が無くて、そうやって書いた授業のノートは、家でもう一度書いて写すか…。
(ノート、破って貼り付けるか…)
それ以外には無い方法。
しかも午前中はそういう授業ばかりで、古典の授業もその一つ。
他のクラスへ教科書を借りに走って行こうにも…。
(…時間、足りないかも…)
教科書を忘れたことが無いから、何処のクラスへ行けばいいのか分からない。
同じ日に古典の授業がある筈のクラス、それがサッパリ分からないから。
(誰か、仲間がいたらいいけど…)
忘れたから、と借りに走ってゆく生徒。
救いの神にも見える先達、それがいたなら「あのクラスだ」と駆け込んでゆけばいいけれど。
誰でもいいから、顔馴染みの生徒を捕まえればそれで済むけれど。
(…借りに行く人、誰もいなかったなら…)
順に入って訊くしかない。
「古典の教科書、今日は持ってる?」と。
持っているなら貸して欲しいと、家に忘れて来てしまったから、と。
そうやって順に尋ねて回って、無事に借りられたらいいけれど。
間に合ったならばいいのだけれども、古典の授業があるクラスの子が…。
(体育だとか、調理実習…)
別の場所へと移動していたら、教科書はもう借りられない。
まっしぐらに其処を目指していたなら、借りられたかもしれないのに。
他のクラスで「教科書、持ってる?」と訊いたりしないで、直ぐに行ったら。
(…凄くありそう…)
運が悪すぎる巡り合わせ。
古典の教科書が手に入らないままで、鳴ってしまうだろう授業のチャイム。
じきにハーレイがやって来るのに、持ってはいない古典の教科書。
隣の席の生徒に見せて貰うより他に無い上に…。
(ハーレイ、絶対、気が付くから…)
きっと側まで見にやって来る。
教科書を忘れた間抜けな生徒は、いったいどちらの席なのかと。
二人で一冊、その教科書の広げ方。
教科書の持ち主はどちらなのかと、隣に迷惑をかけている馬鹿は誰なのかと。
(…見に来られたら、直ぐにバレちゃう…)
平気なふりを装っていても、きっとハラハラしている自分。
「どうしよう…」と、「全部バレちゃうよ」と。
古典のノートも持っていないし、違う科目のノートだから。
それを広げて書いているだけ、他のページをパラリとめくってみたならば…。
(…古典なんか、何処にも書いていなくて…)
まるで違った中身のノート。
どんなに堂々と振舞いたくても、それでは無理。
ハーレイもきっと見抜くだろうから、「見せてみろ」とノートに手を伸ばすだろう。
そして中身をパラパラ眺めて、「いい度胸だな?」と声が降ってくる。
「俺は古典の教師なんだが」と、「いつから別の教科の教師になったんだ?」と。
そう言った後は、チクチクと嫌味。
「そっちの授業の方がいいなら、この時間だとあのクラスだな」とか。
前にやられた生徒を見たから、どうなるのか知っている末路。
ハーレイの授業で教科書とノートが無かったら…。
(…何組に行け、って叱られちゃって…)
授業が終わるまで針の筵で、質問が幾つも飛んで来る。
「おい、其処の馬鹿!」と名前も呼ばずに、教科書の別の箇所から質問。
今、広げてはいないページに書かれた言葉や、注釈などや。
「教科書があれば分かるだろ?」と。
「隣に迷惑かけちゃいかん」と、「それをめくらずに直ぐに答えろ」と。
(…なんとかなるとは思うけど…)
今日までにやった箇所ばかりだから、自分なら切り抜けられると思う。
詰まりながらでも、辛うじて。「それはこうです」と、なんとか正解。
けれど、教科書を持っていないのは本当だから…。
(…うんと恥ずかしくて…)
おまけに相手はハーレイなのだし、いたたまれない気分なのだろう。
どうして教科書を忘れたのかと、ノートも忘れて来たのかと。
(…そうならなくてホントに良かった…)
忘れちゃう前に気が付いたしね、と鞄に詰めてある教科書とノート。
危うい所だったけど。
カレンダーを睨んでいなかったならば、忘れて出掛けただろうけど。
(もしもハーレイが今日、来てくれてたら…)
大満足で眠った筈だし、鞄の中身を間違えたなんて思いもしない。
明日、学校に行くまでは。
学校に着いて鞄を開いて、教科書を出そうとするまでは。
(大失敗…)
もうちょっとでハーレイの前で大恥、と思ったけれど。
学校で赤っ恥はもちろん、ハーレイが家に来てくれた時も多分、叱られそうだけど。
(…今だからそれで済むだけで…)
前は違った、と掠めた思い。
遠く遥かな時の彼方で生きた頃には、違ったと。
白いシャングリラで暮らした時代。
前のハーレイと恋をしていた頃には、失敗など出来はしなかった。
ミュウの箱舟を守るためには、仲間たちの命を守るためには。
(…前のぼくが守り損なったら…)
白いシャングリラは沈んでしまって、誰一人として助からない。
もちろん前のハーレイだって。
(…失敗、一度もしなかったけど…)
それはそのように生きていたからで、毎日が真剣勝負の日々。
青の間でのんびりしてるようでも、張り巡らせていたのが思念の糸。
何か起きたら、直ぐ分かるよう。
いつでも飛んでゆけるようにと、けして失敗しないよう。
(…だけど、今だと失敗したって…)
赤っ恥だけで済むみたい、と浮かんだ笑み。
ハーレイの授業で赤っ恥など嫌だけれども、今はそれで済む時代だから。
失敗したって、大恥だけで済む時代。
白いシャングリラは沈みはしないし、仲間たちの命を失くしもしない。
ハーレイにチクチク嫌味を言われて叱られた後は、笑い話でおしまいだから…。
失敗したって・了
※ブルー君が勘違いして鞄に詰めた教科書やノート。まるで別の日の時間割で。
危うく古典の教科書も忘れるトコでしたけど…。今は大失敗をしても、笑い話で済む時代v