(ハーレイ、明日も来てくれるといいな…)
仕事が早く終わるといいのに、と小さなブルーが思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は平日だったけれども、仕事の帰りに訪ねて来てくれたハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
二人でお茶を飲んで過ごして、両親も一緒に食べた夕食。
ハーレイは「またな」と帰ってしまって、今頃はきっと何ブロックも離れた家で…。
(…コーヒーだよね?)
そんな時間だと思うから。
いつも夜にはコーヒーらしいし、コーヒーが大好きなハーレイ。
けれど、この家ではコーヒーは出ない。
チビの自分が苦手な飲み物、それを知る母は滅多に淹れはしないから。
(ホントにコーヒーが似合う時だけ…)
そういう夕食を作った時だけ、母が淹れるのが食後のコーヒー。
ハーレイはとても喜ぶけれども、チビの自分はそうはいかない。
(…コーヒー、ホントに飲めなくて…)
何度強請っても、挫折してばかり。
最初の一口、その苦さだけでもう駄目なのが口の中。「なんでこんなに苦いわけ?」と。
頑張って続きを飲もうとしたって、まるで飲めないのがコーヒー。
どうしても飲むなら、砂糖たっぷり、ミルクたっぷり。
(それにホイップクリームも…)
こんもりと入れて、ようやく飲める味になる。「これなら、ぼくも大丈夫」と。
そうなるのを母も知っているから、いくらハーレイがコーヒー好きでも…。
(うちでは滅多に飲めないんだよ…)
今日も出ないで終わってしまった食後のコーヒー。
飲み損なった分を取り戻すように、ハーレイはコーヒーを飲んでいるだろう。
気に入りの書斎か、リビングか、あるいはダイニングで。
コーヒーが好きな恋人には少し気の毒だけれど、出来るなら明日も来て欲しい。
学校の仕事が早く終わったら、この家へ。
(…学校でも顔は見られるけれど…)
立ち話だって出来るのだけれど、学校ではあくまで教師と教え子。
ハーレイは「ハーレイ先生」なのだし、敬語で話さなくてはならない。
恋人同士だと分かる話はもちろん、ハーレイに甘えることも出来ない。
会えても何処か寂しさが残る、学校でしか顔を見られなかった日。
明日がそういう日にならないよう、夜には心の中でお祈り。
「ハーレイが来てくれますように」と。
次の日が休みでない限り。
確実にハーレイが来てくれるのだと、分かっている日でない限り。
(…明日も仕事が早く終わって、柔道部の方も何にもなくて…)
柔道部の生徒が怪我をしたりはしませんように、と祈る目的は自分のため。
もしも誰かが怪我をしたなら、ハーレイはその子の家に行くから。
保健室だの病院だので手当てを終えたら、車に乗せて。
そっちの方へと行ってしまったら、この家に来てはくれないから。
(…ぼくの勝手なお祈りだけど…)
生徒の無事を祈るのだから、神様もきっと知らない顔はしない筈。
少しくらいは気にかけてくれて、柔道部が活動している間は…。
(多分、守ってくれるよね?)
こらしめなければ、と神様が思わない限り。
よくハーレイが言う「弛んでいる」生徒、そんな生徒への戒めの怪我。
「もっと酷い怪我をしない間に、気を付けろ」という神様の声。
捻挫で済んで良かったと思え、と足首を捻挫させるとか。
ウッカリついた手首がグキッと、そんな感じの怪我だとか。
(柔道、危ないらしいしね…)
頭を打ったら気絶することもあるという。
だから神様の警告だってあるだろう。
「これに懲りたら気を付けなさい」と、「次からきちんと気を引き締めて」と。
怪我をする生徒も災難とはいえ、チビの自分も蒙る被害。
来てくれる筈だったハーレイは来なくて、何度も零すのだろう溜息。
「まだ来ないかな?」とチャイムが鳴るのを待つ間にも、ついに鳴らずに終わった後にも。
こんな風にお風呂に入った後にも、きっと溜息が幾つも零れる。
(今日はハーレイ、来なかったよ、って…)
とても寂しくて、ハーレイの家がある方角を眺めてばかり。
ハーレイは今頃、何をして過ごしているのだろうか、と。
書斎でコーヒーを飲んでいるのか、それともリビングかダイニングの方か。
少しでいいから姿を見たいし、声が聞きたくてたまらないのに、と。
(お前、まだ起きているのか、って…)
呆れた顔で叱られたって、会えないよりはずっとマシ。
会えなかったら声も聞けないし、叱られることも無いのだから。
今日は運よく会えたけれども、明日は本当に分からない。
(来てくれないと寂しいんだけど…)
ぼくはとっても困るんだけど、と思ったら不意に掠めた思い。
今の自分は、ハーレイが訪ねて来てくれるように、せっせと祈っているけれど。
柔道部の生徒が怪我をしないよう、柔道部員のためにも祈るのだけれど。
(…柔道部員のためにお祈り…)
そんなの、前はしていなかった、と気が付いた。
ハーレイと出会って、前の自分の記憶が戻って来るまでは。
遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
チビの自分が大きくなったら、きっとそっくりになる筈の人が、自分なのだと知るまでは。
(…ソルジャー・ブルー…)
今では「前のぼく」と呼ぶ人。
白いシャングリラで生きていた人、前のハーレイと恋をした人。
その人がとても怖かったのだ、と今の今まで忘れていた。
自分がソルジャー・ブルーだったこと、それをきちんと思い出す前は。
ただ漠然と「そうかもしれない」、そう告げられてからの自分は。
思い出す前には怖かったんだ、と蘇って来た、自分が感じていた恐怖。
聖痕が身体に現れる前、右目からの出血を起こした時。
(パパたちの前で、血が出ちゃって…)
連れて行かれてしまった病院。
診察結果は「異常なし」だったけれど、恐ろしいことを聞かされた。
(怪我か何かだと思っていたのに…)
だから両親にも出血のことを隠していたのに、診てくれた医師はこう告げた。
「もしかしたら」と、「あなたはソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんね」と。
「生まれ変わりという現象を、私は信じていませんが…」とも、言ったけれども。
(…そんな怖いこと…)
言われても困る。
今日まで「ぼくだ」と思って来た自分、それが本当は違うだなんて。
歴史の授業で教わる英雄、ソルジャー・ブルーが自分だなんて。
(…先生の従兄弟に、キャプテン・ハーレイにそっくりな人がいて…)
教師をしていて、近い間に自分が通う学校に赴任して来るという。
その人に会った途端に記憶が戻るかも、と口にした医師。
「もしも本当にソルジャー・ブルーなら、そうなるのかもしれませんね」と。
それを聞いて以来、怖かった。
本当にソルジャー・ブルーだったなら、自分はどうなってしまうのかと。
今の自分は消えてしまって、違う自分になるのだろうか?
遠い昔の英雄だったソルジャー・ブルーが復活したら。
彼の記憶が戻って来たなら、チビの自分は何処かに消えて。
両親と暮らす幸せな日々も、今の記憶も消えてしまって。
(そうなっちゃったら、どうしよう、って…)
ただ怯えながら過ごしたけれども、止んだ出血。
もう大丈夫、と思っていた頃、ハーレイに会った。
学校の自分の教室で。
忘れもしない五月の三日に、ハーレイが其処に入って来て。
ハーレイの姿を目にした途端に、右の目から、肩から溢れた鮮血。
脇腹からも出血したから、激しい痛みで気絶したけれど。
(…気絶する前に、全部思い出して…)
ハーレイなのだ、と分かった恋人。
ずっと愛していた人だったと、やっと会えたと。
それきり意識を失くしたけれども、もう忘れたりはしなかった。
自分が本当は誰だったのかも、ハーレイを愛していたことも。
気が遠くなるほどの時を飛び越えて、ようやく地球で巡り会えたということも。
(…あの時からずっと、ハーレイに夢中…)
チビの自分は、消えてしまいはしなかった。
思い出す前には恐れていたのに、ソルジャー・ブルーの記憶が運んで来たものは…。
(前のぼくが行きたかった、地球で暮らしているぼく…)
青い地球の上で、優しい両親と暮らす幸せな自分。
それに再び会うことが出来た、愛おしい人。
今は古典の教師をしている、前はキャプテン・ハーレイだった恋人。
(…ハーレイに会えてしまったから…)
会えなかった日にはとても寂しくて、悲しい気持ちに包まれる。
夜にポツンと独りぼっちで、「ハーレイ、どうしているのかな?」と。
そうならないよう、毎晩、祈っている自分。
「明日はハーレイが来ますように」と、「柔道部の生徒が怪我をしたりはしませんように」と。
自分が誰かを思い出す前には、柔道部員の生徒なんかは、目にも入っていなかったのに。
朝のグラウンドで走っていようが、放課後の彼らの活動場所が何処であろうが。
(だけど、今だと…)
朝に彼らが走っていたなら、ハーレイの姿を探してしまう。
放課後になったら、気になる場所は体育館。
(…なんだか、色々変わっちゃったよ…)
思い出す前には、怖かったりもしたのにね、と思うけれども、今は幸せ。
クラブの時間に怪我をする生徒がいませんように、と柔道部員の分までお祈り。
コーヒーが大好きな愛おしい人、ハーレイに明日も会えますように、と…。
思い出す前には・了
※ハーレイ先生に来て欲しいから、と柔道部員の安全まで祈るブルー君。怪我しないように。
けれど、ソルジャー・ブルーの記憶が戻る前には、怖かった日々も。今は幸せ一杯ですv