(さて、と…)
今日も一日終わったってな、とハーレイが傾けたコーヒー。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、夜の書斎で。
(あいつの家にも、帰りに寄れたし…)
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
十四歳にしかならないブルーは、今は自分の教え子だから…。
(晩飯を一緒に食えたら上等、そんなトコだな)
休日はともかく、平日は。
仕事の帰りにブルーの家に寄れた時には、ブルーの両親も交えて夕食。
それまでの時間はブルーの部屋で、お茶とお菓子でのんびり過ごす。
(今日はそういう日だったが…)
はてさて、明日はどうなるのやら、と考える。
遅くなりそうな会議の予定は無いのだけれども、柔道部の方が大いに問題。
(最近、これっていうほどの怪我も無いから…)
そろそろ弛んで来てやがる、と分かっているのがクラブの生徒。
注意したって、こればっかりは本人次第。
気が緩んでいれば怪我しかねないし、そうなった時は…。
(俺の予定も狂っちまうぞ)
怪我した生徒が保健室だけで済むとは限らないから、病院へ連れてゆくだとか。
保健室で済んでも足の怪我なら、家まで車で送るとか。
(どっちのコースも…)
帰りが遅くなるんだよなあ、と経験からとうに出ている答え。
怪我をした生徒を送って行ったら、平謝りなのが生徒の家族。
「うちの息子がご迷惑を…」と、生徒にも何度も謝らせた上に…。
(どうぞお茶でも、と家にだな…)
招き入れられて、それっきり。
お茶だけで済まないことも多くて、ブルーの家よろしく夕食も食べることになるとか。
そのこと自体はいいんだが…、と思うし、有難いとも思う。
息子の怪我はお前のせいだ、と責めるような親はいないから。
監督不行き届きと言われるどころか、「私たちの躾が悪いんです」と詫びる親たち。
息子の頭をコツンと小突いて、「ハーレイ先生に謝りなさい!」と。
とうに学校は終わっているのに、こんな時間までご迷惑を、と。
(それから「どうぞ、お茶でも」だから…)
断ったら却って申し訳ないし、「では、少しだけ…」と入る家。
けれど、言葉通りに「お茶だけ」の家は、お目にかかったことが無い。
必ず添えられる、ちょっとした菓子。
(こんな物しか無いんですが、って…)
息子のおやつに、と買ったのだろう、スナック菓子が出たことだって。
心遣いだけで嬉しいものだし、「いただきます」と食べるスナック菓子。
そんな具合だから、「夕食もどうぞ」と誘われたなら…。
(有難く御馳走になるってモンで…)
怪我をして叱られた生徒の方も、夕食の席では笑顔が弾ける。
生徒たちにとっては「憧れのハーレイ先生」なのだし、ヒーローと一緒の夕食だから。
「プロの選手にならないか」と誘われたほどの、ちょっと知られた有名人。
(まあ、ヒーローにもなるってこった)
生徒はもちろん、家族もあれこれ聞きたがるのが学生時代の試合の話。
アッと言う間に経ってゆく時間、家に帰ると…。
(今日と同じで、もうすっかりと…)
夜なんだよな、と苦笑い。
前はそれでも良かったけれども、この春からは変わった事情。
(あいつが膨れちまうんだ…)
帰りに寄ってやれなかったら、ガッカリするのが小さなブルー。
毎日は無理だ、とブルーも充分、知っているけれど…。
(それでも寂しがっちまうから…)
出来れば避けたい、他の生徒の家での歓談。
ブルーの家とは違う所で、のんびりお茶だの、夕食だの。
まるで読めない、明日の放課後。
会議の予定の方にしたって、今は入っていないだけで…。
(急な会議もあるからなあ…)
これまた読めん、とコーヒーのカップを傾ける。
急な会議だと、始まる時間も終わる時間も全くの謎。
長引いたならば、やはり行けないブルーの家。
(早く終わる会議もあるんだが…)
始めてみないと分からないよな、と仕事だからこそ、よく分かる。
予定通りに進む会議と、そうでない会議。
どちらも会議で、そういった会議が入らなくても…。
(帰りに何処かで食事でも、っていうヤツも…)
そろそろ来そうな頃合いなんだ、と思う同僚たちからの誘い。
たまには一緒に食事しよう、と誘われたならば、それも嬉しいお誘いだから…。
(あいつの家に出掛ける代わりに…)
行っちまうんだ、と出ている自分の答え。
「ハーレイが来てくれなかったよ」と膨れっ面になるだろう恋人、そちらよりも同僚。
ブルーの家なら、次の機会は幾つもあるから困らない。
けれど、同僚たちの方だと、そうはいかない、それぞれの予定。
「今日は空いている」と皆の都合が合った時しか、食事の誘いは来ないのだから。
(…どれも来ないかもしれんがな…)
食事の誘いも、急な会議も、生徒の怪我も。
ごくごく平凡に終わる一日、そう、今日のように。
そういった日の方が遥かに多いし、多分、明日だって平凡だろう。
とはいえ、一応、心の準備は…。
(しておかないとな?)
思った通りに進まなかった時に、「こんな筈では…」と焦らないように。
ブルーの家に寄れずに帰ることになっても、「こんなモンさ」と思えるように。
何事も心の準備というのが肝心で…、と思うこと。
それが自分の信条でもあるし、何があっても焦らない。
急な会議でも、生徒の怪我でも、直ぐに対応出来てこそ。
(それも出来ないようでは、だ…)
柔道なんぞ、やっていられるか、とコクリと飲んだカップのコーヒー。
一瞬の焦りが命取りだし、試合は常に真剣勝負。
試合の時だけ、焦らない自分を作ろうとしても無理なこと。
(普段からの心構えってヤツが…)
大切なんだ、と生徒たちにも指導する。
どんな時にも焦らないこと、「焦れば自滅しちまうぞ」と。
水泳の方にしても同じで、焦れば自分自身に負ける。
実力を発揮出来もしないで、どんどん狂ってゆくペース。
思い通りに動かない身体が足を引っ張り、無残に負けてしまう試合。
(だからだな…)
日頃からきちんと先を読んで…、と思った所で掠めたこと。
「前の俺だって、そうじゃないか」と。
遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイと呼ばれた自分。
白いシャングリラの舵を握って、船を纏めていたけれど…。
(あの頃だって、焦れば終わりで…)
常に自分を戒めていた。
「落ち着け」と、「いつも、先の先まで読んでおけ」と。
シャングリラの航路を決める時にも、船の舵を握っている時も。
勤務時間が終わった後にも、やはり何処かにあった緊張。
(どうなっちまうか分からないしな?)
明日の予定というものが。
そもそも、その明日が来るかどうかも…。
(あの船じゃ、分からなかったんだ…)
夜の間に人類軍に発見されたら、全て終わるかもしれないから。
白いシャングリラは沈んでしまって、明日は来ないかもしれないから。
(…そうだったっけな…)
前の俺だって読んでいたんだ、と気付いた「先の先まで読む」こと。
会議にしても、あの船で共に暮らした仲間たちのことも、何もかもを。
(…俺が読み誤ったなら…)
終わりかもしれないシャングリラ。
航路設定を間違えたならば、出くわすかもしれない人類軍の船。
本格的な戦闘状態に入った後には、もう毎日が緊張の連続だった筈。
地球に着くまで、前のブルーに頼まれたことを果たすまで。
(ジョミーを支えてやってくれ、って…)
そう言い残して、メギドに向かって飛び去ったブルー。
愛おしい人を失った後も、前の自分は生き続けた。
シャングリラを地球まで運ぶためだけに、先の先まで読み続けて。
魂はとうに死んでいたのに、生ける屍だったのに。
(あんな芸当が出来たのも…)
それまでに長く培った日々のお蔭だったし、やはり日頃の心構えが大切らしい。
前の自分はブルーと過ごした長い年月をかけて、「焦らない」自分を作ったけれど。
愛おしい人を失ってさえも、きちんと務めを果たしたけれど…。
(今じゃ、同じに心構えをしてたって…)
生徒の怪我に、学校の会議に…、と折ってゆく指。
おまけに同僚と出掛ける食事で、その結果、駄目になるものは…。
(あいつの家で、晩飯を一緒に食うってことで…)
なんてこった、と可笑しくなった。
前とは全く違うじゃないかと、誰の命もミュウの未来も懸かってないぞ、と。
明日への心構えをしたって、この程度か、と。
(うんと平凡になっちまったなあ…)
俺の人生、平凡だよな、と思うけれども、それが幸せ。
もうキャプテンではなくなった上に、ブルーも一緒なのだから。
二人で青い地球に来た上、今度は恋を明かして結婚出来るのだから…。
平凡だよな・了
※先のことを読んでおかないと、というのが信条のハーレイ先生。焦らないように。
同じだったのが前の自分で、けれど全く違った責任。平凡なのも、きっと幸せv