(えーっと…)
やっぱりぼくが映ってるよね、と小さなブルーが覗いた鏡。
お風呂上がりにパジャマ姿で、何の気なしに。
自分の部屋にある鏡。
それほど大きくないのだけれども、やはり鏡は必要だから。
学校へ行く前に着込む制服、襟元がきちんとしているかどうか、見るだとか。
それに髪の毛、銀色の髪に寝癖がついていたならば…。
(ママに直して貰わなきゃ…)
自分では上手く直せないから、いつもより急いで着替える朝。
寝癖直しを頼む分だけ、それに必要な時間の分だけ。
(朝御飯、ママはいいんだけれど…)
父は仕事に出掛けてゆくから、母がそちらに手を取られている時もある。
「あれは何処だった?」と父が訊くとか、「取って来てくれ」と頼むとか。
そうなった時は父が優先、寝癖直しは後回し。
(…ぼくの髪なら、そのまま学校に行ったって…)
笑われるだけで、つまり困るのは自分だけ。
けれども、父はそうはいかない。
仕事に行くのに持って行くもの、それが無ければ会社の人や他の誰かが…。
(…困っちゃうしね?)
父が持ってゆく筈だったものが、届かないままになったなら。
会社の仕事とは無関係でも、父に借りようとしていた何かが借りられないままになるだとか。
そうならないよう、頼み事なら父を優先するのが母。
「ちょっと待ってね」と後回しになる、跳ねてしまった銀色の髪。
幸いなことに、間に合わないで学校に行く羽目に陥ったことは無いけれど…。
(ぼくがのんびり着替えてたら…)
そういう悲劇も起こり得るから、朝は鏡を覗いてみる。
「大丈夫かな?」と、顔を洗いに行くよりも前に。
鏡だったら、洗面所にもあるけれど。
部屋の鏡より大きな鏡が待っているけれど、まずは部屋でのチェックから。
「今朝の髪の毛は大丈夫?」と。
其処でピョコンと跳ねていたなら、洗面所で歯を磨く間も…。
(直すの、間に合いますように、って…)
祈りながらで、部屋に戻ったら急いで着替え。
制服を着込んで駆けてゆく階下、朝食の支度が整っているダイニングまで。
「ママ、お願い!」と。
「ぼくの髪の毛、また跳ねちゃった」と、「寝癖、直して!」と。
母に頼んだら、作って貰える蒸しタオル。
トーストを齧ったりしている間に、頭の上に母が乗っけてくれる。
(タオル、ホカホカ…)
熱いタオルの湯気と熱とで、綺麗に直る跳ねた髪。
それをする時間が欲しいのだったら、朝は必ず、髪の具合を調べること。
部屋の鏡を覗き込んで。
洗面台の鏡を覗くよりも前に、「急がなくちゃ」と心の準備。
(寝癖を見るのと、制服をきちんと着るためと…)
この鏡は朝の相棒だよね、と改めて覗いてみる鏡。
夜は出番が無いけれど。
パジャマ姿で映っていたって、何の役にも立たない鏡。
(…パジャマで外には出掛けないし…)
寝癖だって、これからつく時間。
ベッドに入って朝までぐっすり、その間についてしまうのが寝癖。
変な具合に頭が枕に乗っかったりして、髪が押されて。
そうでなければ被った上掛け、それが悪戯してしまって。
(ホントに今は出番が無いよね)
この鏡、と指でつついてみる。
パジャマの自分を映し出しても、鏡は役に立たないから。
チョンと鏡をつついた指。
鏡の向こうの自分も同じに、こちらに指を出して来た。
こちらと向こうと、鏡を挟んで重なった指。
(向こうにも、ぼく…)
不意に茶目っ気、ペロリと舌を出してみた。
そしたら向こうも舌を出すから、面白くもあるし、ちょっと考え方を変えたら…。
(生意気だよね?)
鏡のくせに、という気もする。
自分を真似て舌を出すから、まるで鏡に馬鹿にされているようだから。
(うーん…)
ぼくなんだけど、これは鏡だし…、と眉間にちょっぴり寄せた皺。
舌を出したのは自分か鏡か、なんとも難しい所。
(鏡の精っていうの、いるよね…?)
お伽話だと、そういう鏡が出て来るから。
鏡に向かって「誰が一番綺麗なの?」と質問したなら、答える鏡の話があるから。
(最初の間は、お妃様が一番綺麗で…)
大満足なのがお妃様。
けれど、王様の娘が大きくなったなら…。
(一番綺麗な人は、お妃様から白雪姫になっちゃって…)
大変なことになってしまうのが、お伽話の中の鏡の答え。
もっとも鏡の精がいたって、自分は訊きはしないけど。
(この地球の中で、誰が一番綺麗なの、って訊いたって…)
鏡の答えは、きっと自分が知らない誰か。
母は優しくて綺麗だけれども、もっと綺麗な人は大勢。
(シャングリラの中なら、誰なのか直ぐに分かるけど…)
此処じゃ無理だよ、と思う地球。
一番綺麗な人が誰か聞いても、多分、その人を知らないから。
有名な女優や歌手とかだったら、「ああ、あの人!」とピンと来るかもしれないけれど。
鏡の精が入っていたって役に立たない、と眺める鏡。
質問したって、返った答えが分からないなら、まるで駄目。
(それに、一番綺麗な人が誰か分かっても…)
ぼくが腹を立てるわけないんだから、とクスクス笑い。
地球どころか、宇宙で一番綺麗な人でも、自分にとってはどうでもいいこと。
そんな美人に興味など無いし、どちらかと言えば…。
(美人の逆…)
ぼくが好きな人は、美人なんかじゃないんだから、と頭に思い浮かべた恋人。
前の生から愛したハーレイ、美人ではなくて逆な恋人。
(薔薇の花もジャムも、似合わないって…)
そんな評判が立っていたほど、女性陣にはモテていなかった。
だから美人はどうでもいいし、鏡の精が何と答えても、怒る理由が無いのが自分。
「今はそういう人がいるのか」と思う程度で、「誰だろう?」と首を傾げておしまい。
ある日、鏡が違う答えを返しても…。
(もっと綺麗な人が見付かったみたい、って思うだけ…)
ぼくにはホントに用事が無いや、と鏡の精も出番が無い。
こんな夜なら、鏡の精が「御用ですか?」と現れそうなのに。
明るい日射しが射し込む朝より、夜の方が神秘的なのに。
(でも、出て来ても…)
尋ねることが何もないや、と思ったけれど。
鏡の精に訊きたいことなど、ありはしないと考えたけれど…。
(…ちょっと待ってよ…?)
鏡の向こうにいる自分。
さっき自分に舌を出していた、鏡の精を連想した自分。
チビの子供で、十四歳にしかならないけれど…。
(…ぼくって、どうなの…?)
前の自分の姿に比べて、どうだろう?
ハーレイがキスもくれない自分は、チビの自分は。
もしも鏡の精がいたなら、訊きたい気分になって来た。
(世界で一番、綺麗なぼくって…)
今の自分か、遠く遥かな時の彼方で死んでしまったソルジャー・ブルーか。
きっとハーレイが惹かれる自分は、綺麗な方に違いない。
同じブルーでも、同じ魂でも、どちらか選んでいいのなら…。
(…綺麗な方がいいに決まってるよね?)
恋人にするのも、連れて歩くのも。
いつか結婚するにしたって、断然、綺麗な方のブルー。
ということは、チビの自分は…。
(…ハーレイ、キスもしてくれないから…)
鏡の精に訊いてみたなら、悲しい答えが返るのだろうか。
「世界で一番綺麗なぼくって、誰か教えて」と訊いたなら。
(…それはもちろん、あなたです、って答える代わりに…)
迷いもしないで鏡が答える、時の彼方の自分の名前。
今の時代も知られた英雄、ミュウの長だったソルジャー・ブルー。
「もちろん、ソルジャー・ブルーですとも」と自信たっぷりに答える鏡。
映っているのはチビの自分なのに、質問したのもチビなのに。
(…ぼくだって、言ってくれなくて…)
前の自分の名が返ったなら、どうすればいいというのだろう?
お伽話の悪いお妃なら、それは慌てて白雪姫を殺しに行くけれど…。
(前のぼくの所に、毒が入ったリンゴを届けに行ったって…)
それは行くだけ無駄というもの。
毒のリンゴを届けなくても、ソルジャー・ブルーはとうに死んだから。
メギドを沈めて死んでしまって、生まれ変わってチビの自分になったから。
(…ぼく、悪いお妃にもなれないんだけど…!)
鏡の精が本当のことを言ったって。
「世界で一番綺麗なブルーは、もちろんソルジャー・ブルーですよ」と告げたって。
いないライバルは殺せもしなくて、殺すよりも前に死んでいる有様。
チビの自分が此処にいるなら、ソルジャー・ブルーは宇宙の何処にもいないのだから。
(…世界で一番、綺麗なブルー…)
ハーレイがそれを探しているなら、チビの自分は手も足も出ない。
どんなに悔しくて歯軋りしたって、ソルジャー・ブルーに毒のリンゴは…。
(届けられないし、届けに行っても、食べるより前に死んじゃってるから…!)
どう頑張ってもソルジャー・ブルーに勝てはしなくて、チビの自分は負けたまま。
世界で一番綺麗なブルーは、ソルジャー・ブルー。
(…ハーレイのお目当て、そっちだったら…)
キスが駄目でも仕方ないよね、と覗いた鏡の中にチビ。
鏡の向こうに、いつか大きく育った自分が映る日がやって来ない限りは…。
(…負けっ放しだよ…)
前のぼくに、と睨んだ鏡。
なんて鏡は酷いんだろうと、鏡の精がいるみたい、と。
鏡の向こうに、世界で一番綺麗なブルーの姿は映っていないから。
チビの自分しか映っていなくて、チビのままだとハーレイはキスもくれないから…。
鏡の向こうに・了
※鏡の向こうを見ている間に、鏡の精がいるような気がして来たブルー君。でも…。
世界で一番綺麗なブルーが前の自分でも、届けられない毒リンゴ。子供ならではの発想かもv