(ふうむ…)
俺だよな、とハーレイが何の気なしに覗いた鏡。
とうに夜更けで、コーヒーだって飲んでしまった後。
片付けを済ませて入ったのが風呂、ゆったり浸かって出て来た所。
バスルームからの湯気で、少し曇った洗面台の鏡。
じきに曇りは消えるけれども、其処に映っている自分。
(風呂上がりってヤツは締まらんなあ…)
身体のことではないんだが、と浮かべた苦笑。
柔道と水泳で鍛えた身体は、今もトレーニングを欠かさない。
学校では柔道部員たちと一緒に走り込みもするし、家にいる時はジョギングも。
もちろんジムにも出掛けてゆくから、まるで衰えない肉体。
(年は取らなくても、何もしなけりゃ、なまっちまうし…)
それに元々、運動好き。
ブルーの家へと出掛けてゆく日が多くなった分、きちんと調整。
小さなブルーとお茶やお菓子や、のんびり食事で過ごした後には運動を。
(こっちは普段の俺なんだがな…)
身体だけはな、とポンと叩いてみる肩。
その仕草でも動く筋肉、充分に自慢出来るのだけれど。
(…この髪だけは、どうにもならんぞ)
ガシガシ洗えばこうなっちまうが、と眺める少しくすんだ金髪。
すっかりと濡れてペシャンとへこんで、それをタオルで拭いたものだから…。
(好き勝手な方を向いていやがる)
前にパラリと垂れているのや、あちらこちらに跳ねているのや。
まるで締まらない、今の髪型。
濡れたままでも撫でつけてやれば、いつものスタイルに戻るけれども。
(こうすりゃ、元の木阿弥なんだ)
タオルで拭きにかかったら、と乱れ放題の髪を見る。
短いたてがみのライオンよろしく、もう本当にメチャクチャだから。
生徒たちには見せられないな、と思う自分のヘアスタイル。
ただし、スーツの時だけれども。
(学校でも、シャワーを浴びた後なら…)
こうなるもんだ、と分かっている。
柔道部で汗を流した後にはシャワーなのだし、其処へ生徒がやって来たなら見る姿。
夏はプールで泳いでもいたし、水泳部の生徒たちも見ていた。
プールからザバッと上がった後に、プールサイドでタオルで拭いていたから。
(しかし、TPOってヤツで…)
そうなって当然の時ならともかく、授業に出ては行けない頭。
何処から見たって「たるんでいる」姿、寝起きでやって来たかのよう。
(家だからこいつでいいんだが…)
我ながら間抜けな姿だよな、と拭いてゆく髪。
水気をそこそこ拭い取れるまで、雫が落ちない程度まで。
(…こんなモンかな)
後は寝るまで部屋でゆったり、コーヒー抜きでの軽い休憩。
ベッドサイドに置いてある本、それを広げてみたりして。
そうしている間に乾く髪。
すっかり乾けば丁度頃合い、ベッドに入って眠るだけ。
(その前に、と…)
一応、いつもの俺のスタイル、と撫でつけた髪。
パラリと前に垂れているのを、頭の上へ掻き上げて。
好き放題に跳ねているのも、含んだ水気でオールバックに。
(これで良し、ってな)
俺の髪だ、と大満足。
自分しかいない家の中でも、ライオンのたてがみは酷いから。
やはりきちんとしておきたいから、どうせ寝癖がつくにしたって…。
(こいつでないと駄目なんだ)
俺はコレだ、と眺めたキャプテン・ハーレイ風の髪型。
もう何年もこれ一筋だし、すっかり馴染んだヘアスタイル。
ライオンよりもキャプテン・ハーレイ、それでないと、と思ったけれど。
それでこそ自分のヘアスタイルだし、「よし」と満足したけれど。
(…おいおいおい…)
俺なんだがな、と改めて覗いた鏡の向こう。
キャプテン・ハーレイ風のヘアスタイルで映った自分は、まさにその…。
(…キャプテン・ハーレイそのものだぞ?)
前はそうではなかったんだが、と瞬かせた瞳。
少なくとも春には違ったんだと、「四月は明らかに違っていたな」と。
四月だったら、今の学校にはいなかったから。
前に勤めていた学校。
其処から今の学校へ転任してくる予定が、途中で狂った。
急な欠員が出来た前の学校、新しい教師を急いで見付け出さないと…。
(古典の授業が上手く回らないと来たもんだ)
だから頼む、と請われて残った。
今の学校なら、一人足りなくても間に合うだけの数の教師がいたから。
(でもって、俺の代わりが見付かって…)
引き継ぎなどを無事に済ませて、キリのいい所で今の学校へ。
五月からの着任、こちらでも急いで引き継ぎしてから…。
(…あいつのクラスに行ったってな)
小さなブルーがいる教室へと、颯爽と。
忘れもしない五月の三日に、挨拶なんかを考えながら。
生徒の心を掴むためには、大切なのが第一印象。
足を踏み入れたクラスの雰囲気、それを見定めて放つ第一声。
「はじめまして」とやるのがいいか、「こら、静かに!」とやらかすか。
此処のクラスはどうしたもんか、と扉を開けて入って行ったのに…。
(…挨拶どころじゃなかったんだ…)
入った自分の顔を見るなり、ブルーに現れた聖痕。
たちまち血まみれになったのがブルー、挨拶は何処かへ吹き飛んだ。
いきなり倒れた生徒の出血、それが最優先だから。
てっきり何かの事故だと思った、小さなブルーが起こした出血。
「大丈夫か!?」と慌てて駆け寄った途端、前の自分が戻って来た。
キャプテン・ハーレイだった自分が、前の記憶が。
遠く遥かな時の彼方から、まるで知らなかった前の自分の正体が。
(…あれで人生、変わっちまった…)
恋人までが出来ちまったぞ、と思う鏡に映った自分。
キャプテン・ハーレイ風の髪型、「生まれ変わりか?」と何度も言われた顔。
ただの偶然だと、「他人の空似だ」と思っていたのが、今や本物のキャプテン・ハーレイ。
生まれ変わって別人とはいえ、中身は本物。
キャプテン・ハーレイの記憶を引き継ぎ、魂も同じものだから。
前の自分が愛した恋人、その人も忘れていないから。
(…あいつはチビになっちまったが…)
それでも俺のブルーなんだ、と思い浮かべた愛おしい人。
十四歳にしかならないブルーは、今は自分の教え子だけれど。
キスさえ出来ない子供だけれども、それでも中身は前と同じで…。
(…あいつ、ソルジャー・ブルーなんだ…)
だからこそ持っていた聖痕。
ソルジャー・ブルーがメギドで撃たれた時の傷痕、それを背負っていたブルー。
今は欠片も現れないから、本当にただの子供だけれど。
前のブルーがチビだった頃に、アルタミラで出会った頃のブルーにそっくりなだけの。
(…そして俺はキャプテン・ハーレイでだな…)
髪型通りになっちまった、と見詰める鏡。
キャプテン・ハーレイそっくりな顔に、キャプテン・ハーレイ風のヘアスタイル。
今もやっぱり、何も知らない人が見たなら…。
(似てるってだけのことなんだがな…)
前と少しも変わらないが、と思うけれども、変わった中身。
本物になってしまったから。
前の自分の記憶が戻って、正真正銘、キャプテン・ハーレイそのものだから。
(うーむ…)
まさか本当にこうなるとはな、と鏡の自分に困った笑みを向けてみた。
「おい、お前さんはどう思う?」と。
「お前が前の俺だとしたなら、今の状態をどう思う?」と。
キャプテンとして船を纏めていたのが、今ではただの古典の教師。
ソルジャーだった恋人の方は、チビの教え子という現状。
(…まるで想像もつかないよな?)
俺と同じで、とキャプテン・ハーレイだった頃に思いを馳せる。
今の自分が驚いたように、あちらもきっと驚くのだろう。
「どうして俺が」と鏡を見て。
キャプテンの自分はどうなったのだと、なんだって地球にいるのかと。
(ブルーもついてて、幸せな日々じゃあるんだが…)
もうとびきりのサプライズだぞ、と「前の自分がこうなったなら」と考える。
ある日突然、古典の教師になったなら。
白いシャングリラは消えてしまって、洗面台の鏡の前にいたならば。
(髪型が妙になってるぞ、ってトコまではいいが…)
其処までは前の人生でも何度もあったことだし、同じに撫でつけていたものの。
キャプテンたるもの、こうでないと、と心がけてはいたものの…。
(…こう変わるとは思わんぞ?)
ビックリだよな、と眺めた鏡。
鏡の向こうは前と同じに自分だけれども、違うから。
キャプテン・ハーレイだった自分は、古典の教師になったから。
しかも小さなブルーつき。
きっと幸せに生きてゆけるし、青い地球までが自分を迎えてくれたのだから…。
鏡の向こうは・了
※ハーレイ先生が何の気なしに眺めた鏡。ヘアスタイルのことを考えていた筈が…。
気付けば、鏡に映る自分が前とは違っている現実。ビックリですけど、きっと幸せv