(今日はあいつと歩けたってな)
ほんの少しの間だけだが、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
夜の書斎でコーヒー片手に、今日の出来事を思い返して。
(俺はハーレイ先生だったが…)
それでもブルーと並んで歩けた。
二人一緒に歩いた廊下。
休み時間の学校の中で、たまたま通り掛かった場所。
(あいつが後ろから追い掛けて来て…)
背後から呼び掛けられた声。「ハーレイ先生!」と、ブルーが張り上げた声。
振り向いたら、ペコリとお辞儀したブルー。
それから急いで歩き始めた、こちらへ向かって。
本当は走り出したいだろうに、そうはしないで精一杯の早足で。
(俺が歩くと、ますます距離が開いちまうから…)
立ち止まって待っていてやった。
小さなブルーがやって来るまで、すぐ側まで来て見上げるまで。
「ハーレイ先生!」と弾けた笑顔。
「先生はこれから授業ですか?」と、きちんと敬語で尋ねたブルー。
学校の中では教師と教え子、自分は「ハーレイ先生」だから。
いつもブルーは敬語で話すし、それが学校での作法。
いくら守り役をしているとはいえ、教師は教師。
他の生徒の手前もあるから、特別扱いするのは無理。
ブルーも充分承知していて、敬語で話してくるけれど…。
(顔を見れば書いてあるってな)
会えて嬉しい、ということが。
たとえ「ハーレイ先生」だとしても、急いで追い付いて話したい、とも。
ブルーの心は手に取るように分かるから。
少しでも長く一緒にいたい、と思っているのも分かるものだから。
「お前、次の時間は教室なのか?」
それとも他の場所で授業か、と訊いてやったら、「教室です」という返事。
だったら、歩く方向は同じ。
ブルーのクラスには行かないけれども、次の時間は何処で授業でもないけれど。
(…いわゆる頼まれ事ってヤツで…)
同じ古典の教師をしている同僚の代わりに、ちょっとした用を引き受けた。
今いる廊下よりも上のフロアで、ほんの少しで終わりそうな用事。
多分、五分もかかりはしない。
だから急がない、自分の用件。
(ブルーと立ち話してたって…)
その間に休み時間が終わったとしても、自分の方は困らない。
チャイムが鳴っても、次の時間は空き時間。
頼まれた用事を片付けた後は、のんびり帰ってゆくだけだから。
(しかしだな…)
ブルーの方は、これから戻ってゆかねばならない教室。
何処かで何かやっていたのか、中庭にでも出掛けていたか。
(あそこからは、ちょいと距離があったし…)
チャイムが鳴ったら全力疾走、それが必要だと分かる。
健康な普通の生徒だったら、元気に走ってゆけるけれども…。
(…あいつじゃ、息も切れ切れで…)
下手をしたなら、次の授業で目を回す。
いきなり走ると身体に負担がかかるから。
今度も弱く生まれたブルーは、体育も休みがちだから。
(走らせちまったら大変だしな?)
歩く方向が同じだったら、二人で歩いた方がいい。
階段がある所まで。
「俺はこっちだ」と、上り始める所まで。
そう考えたから、「其処まで歩くか」とブルーの顔を見下ろした。
「上の階に少し用があってな」
お前、教室に戻るんだったら、俺と方向、同じだろ?
階段のトコまで一緒に歩くか、こんな所で立ってるよりもな。
お前の教室に近い方へ、と言ってやったら、「はい!」と元気に返った声。
「行くか」とブルーと歩き始めた。
ほんの短い距離だけれども、二人並んで。
小さなブルーは首が痛くなりそうなほどに上を見上げて、自分の方では見下ろして。
(なにしろ、身長が違いすぎるし…)
四十三センチも違う。
それだけ違えば、もう本当にブルーの首は痛そうだけれど。
(あいつ、俺ばかり見上げてて…)
足元も前もろくに見ないで、それは嬉しそうに歩き続けた。
「ハーレイ先生の用事、何ですか?」だとか、「何処へ行くんですか?」などと訊きながら。
それに答えてやっている間に、もう階段に着いてしまった。
校舎の真ん中、上のフロアに続く階段。
ブルーのクラスはもっと向こうで、此処でお別れになるのだけれど。
「俺は上だから」と階段を指したら、俄かに曇ったブルーの顔。
「もう行っちゃうの?」と言わんばかりに、寂しそうに。
さっきまでの笑顔が嘘だったように、一気に沈んでしまった表情。
(…あんな顔をされると、俺も放って行けないし…)
腕の時計をチラリと眺めて、「もう少しなら」と判断した。
休み時間が終わるまでには、あと少しだけある余裕。
二言、三言の立ち話ならば大丈夫。
(本当に、少しだけだがな…)
小さなブルーのためにサービス、用事の方は急がないから。
階段を上るのが遅れた所で、困るわけでもなかったから。
階段を上がって別れる代わりに、もう少しだけ立ち話。
キリのいい所で「じゃあな」とブルーに手を振った。
「お前も教室に戻らないとな?」と、「じきにチャイムが鳴っちまうぞ」と。
そして階段に足を向けたら、ピョコンとお辞儀したブルー。
「ありがとうございました!」と元気一杯に、「呼び止めてすみませんでした」と。
「かまわんさ。…どうせ、おんなじ方向だしな?」
それじゃ、と別れた小さなブルー。
階段を上りながら振り返ったら、もう消えていたブルーの姿。
(…なんたって、場所が学校だしなあ…)
いつまでも立って見送っていたら、廊下をゆく生徒の目に付くだろう。
いったい何をしているのかと、ブルーの視線を追ったりして。
階段の上に何かあるのか、そちらを見上げてみたりもして。
(…ついでに、その内、チャイムも鳴るし…)
ブルーはいなくなって当然、自分の教室に向かった筈。
「ハーレイと話せて楽しかったよ」と、「今日はいい日」と足取りも軽く。
(俺の方でも、其処は同じで…)
ちょっぴり得をした気分。
小さなブルーと二人で歩けた、ほんの少しの距離だったけれど。
教師と教え子、そういう関係だったのだけれど。
(ハーレイ先生で、あいつが敬語で喋っていても…)
それでも二人、並んで歩けた。
同じ方へと、肩を並べて。…その肩の高さが違っていても。
(あいつと並んで歩けるってのは…)
いいモンだよな、と緩んだ頬。
二人並んで歩くということ、それが出来るということが。
ブルーと一緒に、同じ方へと肩を並べてゆけること。
長いこと、それは無理だったから。
前の自分は、いつもブルーの後ろを歩いていたのだから。
ソルジャーになった前のブルー。
キャプテンだった前の自分は、ブルーの後ろに付き従うもの。
ブルーが通路をゆく時は。
視察や用事で、キャプテンを従えてシャングリラの中をゆく時は。
(…いつだって、俺はあいつの後ろで…)
案内する時は先を行けても、隣に並べはしなかった。
ソルジャーと並んで歩くことなど、いくらキャプテンでも許されなかった。
(…前のあいつはソルジャーだから…)
ミュウたちの長で、皆が敬うべき存在。
隣に並んで歩けはしなくて、後ろを歩くか、先に歩いて案内するか。
これが恋人同士だったら、並んで歩けたのだろうに。
恋を隠していなかったならば、いつも並んで歩けたろうに。
(ところが、そうはいかなくて、だ…)
二人並んで歩けないままで終わっちまった、と遥かな時の彼方を思う。
前のブルーとは歩けなかったと、今日のブルーとのようにさえ、と。
(俺がハーレイ先生とはいえ、ちゃんとブルーと歩けたわけで…)
いい日だった、と思い出さずにはいられない。
小さなブルーと歩けたことを、学校の廊下を歩いたことを。
(こうなると、欲が出るってモンで…)
いつか、あいつと歩けたらな、と広がる夢。
小さなブルーが前と同じに育ったら。
大きく育ってデートとなったら、堂々と二人で歩いてゆける。
色々な場所を、手を繋ぎ合って。
「何処へ行こうか」と街を歩いたり、のんびり散歩してみたり。
その日は必ずやって来るけれど、今はまだ遠い日でもあるから、夢を見る。
いつか、あいつと歩けたら、と。
ブルーと二人で何処までも行こうと、手を繋いで歩いてゆきたいと。
(あいつが疲れちまわないように…)
ちょっと休んだり、何か飲み物を買ってやったり、きっと楽しい。
いつかデートに出掛けられたら、ブルーと二人で歩けたら。
今日よりももっと、今日よりも、ずっと。
(前のあいつと、そっくりなあいつと歩けたら…)
いいんだがな、と描く夢。
今日も素敵な日だったけれども、もっと素敵だろう未来。
恋人同士で歩くんだよなと、今日よりも遥かに幸せに歩いてゆけるんだから、と…。
あいつと歩けたら・了
※ハーレイ先生が学校で出会ったブルー君。二人並んで、ほんの少しだけ歩いた廊下。
それだけで幸せ気分のようです、「いい日だった」と未来を夢見るハーレイ先生v