(行き損ねちまった…)
今日は行けると思ったんだが、とハーレイがついた小さな溜息。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
コーヒー片手に寛ぎの時間、けれど拭えない残念な気持ち。
愛おしい人の家に行き損ねたから。
前の生から愛した恋人、生まれ変わって再び巡り会えたブルー。
仕事の帰りに訪ねて行こうと思っていたのに、長引いた会議。
終わった時には、出掛けてゆくには遅すぎる時間。
仕方なく家へ帰ったけれども、今頃になって零れる溜息。
「あいつと話したかったんだが」と。
十四歳にしかならない恋人、キスも出来ないくらいに子供。
それでもブルーはブルーなのだし、会えなかったら寂しくもなる。
会えたところで、ただお喋りをするだけでも。
ブルーを抱き締めることは出来ても、キスを交わせはしなくても。
(学校でなら、少し話せたんだが…)
朝に出会って、ほんの短い立ち話。
今日はそれだけで終わっちまった、と傾ける愛用のマグカップ。
もっとゆっくり話したかったと、生徒ではなくて恋人のブルーに会いたかったと。
学校で会えるのは「ブルー君」だから。
あくまで教え子、自分は教師。
交わせる話も恋人同士のようにはいかない、それに話題も。
(…前の俺たちのことなんて…)
まるで話せやしないんだから、と浮かべた苦笑。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、そんな前世の思い出のことは。
生まれ変わりだとは誰も知らないし、知られるわけにもいかないから。
もっとも、今日は特に話題は無かったけれど。
何を思い出したわけでもないから、前世の話は特に無くてもいいのだけれど。
(あいつと話したかったんだよな…)
ブルーの家で、誰にも邪魔されずに。
教師と生徒の会話ではなくて、愛おしい人と過ごすひと時。
それが欲しかっただけなんだが、と思うけれども、行けなかった今日。
(…明日は行けるといいんだが…)
どうなるやらなあ、と明日の予定を考えてみる。「運次第か」と。
多分、時間はあるだろうけれど、何が起こるかは分からない。
予知能力などありはしないし、明日の自分は見えないから。
(まあ、明日が駄目でも…)
その次もあるし、と思った所で掠めた思い。
「もしも、ブルーがいなかったら」と。
ただ会えないということとは違って、最初からブルーがいない世界。
こうして地球に生まれて来たって、ブルーが何処にもいなかったら、と。
(…前にも少し考えたんだが…)
あの時は他の考えのついで。
直ぐに紛れて忘れてしまった、「ブルーがいない世界」というもの。
ブルーは「いる」のが当たり前だから。
前の自分の記憶が戻った、その瞬間にはいたブルー。
聖痕が現れて、血まみれになって。
(…あれを見るまで、俺はブルーを知らなくて…)
正確に言えば、忘れていた。
あの日が来るまで、前の自分がいたことを。
キャプテン・ハーレイに瓜二つだから、「生まれ変わりか?」と言われはしても。
自分でも「似てる」と思ってはいても、キャプテン・ハーレイは遠い昔の英雄。
まさか自分だと思いはしないし、似ているだけだと思っていた。
それが変わった、小さなブルーと再会した日。
自分は誰かを思い出したし、ブルーも目の前にいたけれど…。
あそこでブルーがいなかったならば、自分はどうしていただろう。
前の自分の記憶が戻る切っ掛け、それがブルーでなかったら。
聖痕を目にして気付く代わりに、まるで違った何かだったら。
(…宇宙遺産のウサギとかか?)
博物館にある木彫りのウサギ。
前の自分がせっせと彫って、トォニィに贈ったナキネズミ。
何処で誤解をされたものだか、今は立派な宇宙遺産。
しかもウサギに変わってしまって、貴重だから普段はレプリカの展示。
(博物館なら、たまに行くこともあるからな…)
あれも見るか、とケースを覗き込んだ途端に、記憶が戻って来るだとか。
「俺が作ったナキネズミだ」と。
レプリカでも、本物そっくりだから。
(…これはウサギじゃないんだが、と思うんだろうなあ…)
何処か間抜けな瞬間だけれど、其処で戻って来る記憶。
ブルーと再会を果たす代わりに、よりにもよって木彫りのナキネズミ。
おまけに「ウサギ」と書かれた始末で、前の自分の腕前をコケにされたよう。
(生きてる時から、下手だと評判だったがな…)
死んだ後にもこうなるのか、と愕然とすることだろう。
そして「違う」と否定しようにも、きっと笑われてしまっておしまい。
ケースの周りにいるだろう人、それを捕まえて語ってみても。
「これはウサギじゃないんですが」と言ってみたって、「そうですか?」と傾げられる首。
プレートには「ウサギ」と書かれているから、その人の方が正しい世界。
「ナキネズミです」と言い張ったならば、いったい何と思われることか。
審美眼とやらを疑われるのか、芸術家と勘違いされるのか。
(芸術家ってのは、勝手なもんだし…)
そのお仲間だと思われることもあるかもしれない。
宇宙遺産のウサギを見たって、ナキネズミに見える芸術家。
まるでいないとも言い切れないから、その可能性もあるけれど…。
(…ナキネズミなんだ、と言える相手は…)
その場では知らない人ばかり。
家に帰って両親に通信を入れてみたって、自分の事情は伝わらない。
「俺はキャプテン・ハーレイだったらしい」と、通信で言えるわけがない。
大慌てで飛んでくる両親の姿が見えるよう。
隣町から車を飛ばして、「大丈夫か?」と。
変な夢でも見てはいないかと、でなければ熱が高いのでは、と。
(…そうなっちまうぞ…)
両親には未だに内緒のまま。
自分が本当は誰だったのかを、まだ話してはいないから。
(ブルーみたいに、聖痕でも出たと言うならなあ…)
実は、と話す切っ掛けになっても、何も起こっていないから。
自分の見た目は変わらないのだし、慌てて話すこともないな、と。
ブルーがいてさえ、その有様。
たかが木彫りのナキネズミのせいで、記憶が戻って来たのなら…。
(話す切っ掛けどころじゃないぞ)
ウサギを否定したくても。「あれはナキネズミだ」と言いたくても。
暫くの間は、ナキネズミのことで頭が一杯。
「なんだってウサギになったんだ」と。
あれはナキネズミで間違いないのに…、とブツブツ言う間に、気付くこと。
ナキネズミよりも、もっと大切なこと。
「ブルーは何処に行ったんだ?」と。
木彫りのナキネズミがあそこにあるなら、前の自分の恋人は、と。
(ナキネズミの木彫りがあるってことは…)
ブルーも何処かにいるかもしれない。
この町にいるか、宇宙の何処かか、きっと、と探し始める恋人。
新聞に尋ね人を出したり、他にも色々、手を尽くして。
なんとかブルーを探し出そうと、友人たちにも頭を下げて。
生まれ変わりの件は伏せつつ、必死になって。
「こういう人を探しているんだ」と、「一目惚れなんだ」とでも大嘘をついて。
けれど、見付からないブルー。
いくら探して貰っても。
何処にもブルーは生まれていなくて、誰もブルーを見付けられない。
自分はもちろん、協力してくれた友人だって。
「息子のためなら」と頑張ってくれた、両親も、両親の知り合いたちも。
ブルーが生まれていなかったならば、どう探しても無駄だから。
自分しか宇宙にいないというなら、ブルーに会えはしないのだから。
(…そいつは御免蒙りたいぞ…)
前の自分の記憶が戻った、その瞬間はブルーを忘れていても。
木彫りのウサギに憤慨していて、「ナキネズミだぞ!」と睨んでいても。
やがては思い出すブルー。
思い出したら、頭にはもう、ブルーしかいない。
ナキネズミのことは、どうでも良くて。
木彫りのウサギになっていたって、それを訂正するよりは…。
(…ブルーを探すことが大事で…)
きっとそれしか考えられない、いつかブルーが見付かるまで。
見付からなくても、きっと一生、ブルーを探し続ける筈。
何処を歩く時も、何処に行っても。
ブルー無しでは寂しすぎるから、一人で生きるのは辛すぎるから。
(…そいつを思えば、今の俺はだ…)
幸せだよな、と笑みが零れる。
木彫りのウサギはブルーに何度も笑われたけれど、それはブルーがいる証。
小さなブルーに出会えたお蔭で、会えない寂しさも味わえる。
(うん、寂しいってだけなんだ…)
ブルーの家には行き損なっても、行ける日はまたやって来るから。
もしも自分が一人だったら、そんな日はやって来ないから。
だからいいんだ、と幸せな気持ち。
今日はブルーと過ごし損なったけれど、一人だったら、会うことさえも出来ないから、と…。
一人だったら・了
※もしもブルー君がいない世界だったら、と考えてみたハーレイ先生。寂しすぎる、と。
けれど今いるのは、ブルー君がちゃんといる世界。会えない日だって、少し寂しいだけv